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http://www.nytimes.com/2013/01/16/movies/nagisa-oshima-iconoclastic-filmmaker-dies-at-80.html?_r=0
おとといは、大雪でした。
その積もった雪を見ながら、私は、或る映画の中の雪についての会話を思ひ出しました。
それは、この会話です。
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ヨノイ「もし、君たち(捕虜たち)全員を、我々の桜の下の集いに招く事が出来たら、どんなに素晴らしいだろう。」
ローレンス「そうですね。私の一番好きな日本の思ひ出は、雪です。 雪に覆はれた木々の姿。」
ヨノイ「・・・あの日も、雪が降って居た。・・・」
ローレンス「どの日ですか?」
ヨノイ「君は知らないのか?1936年2月26日を・・・」
ローレンス「ああ、分かりました。あの日ですね。・・・私は、あの日、東京に居ました。あなたも?」
ヨノイ「いや、私は、その3か月前に満州に送られてしまって居た。私は、決起の場に居なかったのだ。」
ローレンス「その事を後悔して居るのですか?」
ヨノイ「・・・私の同志たちは処刑された。私は、彼らの後で死ぬ事が出来無かった。」
ローレンス「そうでしたか。つまり、あなたは、あの輝ける将校たちの一人だった訳ですか・・・」
(「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督・1983年)
Yonoi :How wonderful it would have been, if it could have been invited all of you to a gathering under our cherry trees.
Lawrence:Yes. My fondest memory of Japan is the snow. Trees covered with snow.
Yonoi :It was snowing on the day.
Lawrence:What day?
Yonoi :Don't you know? February 26rh, 1936.
Lawrence:Ah, yes. I was in Tokyo on the day.You too?
Yonoi :No. I had been sent off to Manchuria 3 months
before. I was not there for the uprising.
Lawrence:You regret that?
Yonoi :My comrades were executed. I was left to die after them.
Laerence:I see. So, you were one of the shining officers.
(訳・西岡)
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日本軍の捕虜収容所で、日本軍の将校とイギリス軍の将校が、敵同士でありながら、教会の前で、日本の桜と雪について語り合ふ場面の会話です。
私は、この会話が大好きです。それで、おととい、雪の中を一人で歩きながら、ふと、この映画のこの会話を思ひ出しました。
そうしたら、その雪の翌日、大島渚監督の訃報が伝えられました。
私は、大島監督と面識は有りませんでしたが、監督が亡くなる前日に、あの映画(「戦場のメリークリスマス」)のこの雪についての会話が心に浮かんだのは、もしかしたら、大島監督が、ファンの一人である私に送ってくれた「虫の知らせ」だったのだろうか?と、思って居ます。
御冥福をお祈りします。
(「戦場のメリークリスマス」ラスト・シーン)
↓
http://www.youtube.com/watch?v=I1iR965rexM
平成25年1月16日(水)
西岡昌紀
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■「戦場のメリークリスマス」の大島渚監督が死去
(読売新聞 - 01月15日 19:49)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2288715
「戦場のメリークリスマス」の大島渚監督が死去
読売新聞 - 01月15日 19:49
「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで日本映画の世界的評価を高めた映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが、15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で亡くなった。
80歳だった。告別式の日程は未定。喪主は妻で女優の小山(本名・大島)明子さん。
長男の武さん(49)によると、大島さんは昨年12月に救急車で病院に運ばれ、入院していた。数日前から血圧が下がり、15日午後2時ごろから危篤状態となった。亡くなる直前まで意識ははっきりしており、「がんばって」という家族の呼び掛けにうなずいていた。
京都府出身。1954年、京大卒業後、松竹大船撮影所に入社。59年に「愛と希望の街」で監督デビューした。続く「青春残酷物語」などで、篠田正浩監督らと共に「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれ、日本映画界に新風を送り込んだ。
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