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日本語の相(言語学)を中国語から探る。日本人の形容詞にもとづく叫び声。あつっ(熱・暑)。いたっ(痛)。形容詞で一語文が作れる日本語。中国語では警告や命令の意味が強く、感嘆になりにくい。中国語には数多くの感嘆詞がある。
中国語起源の語彙が中国と日本で違う。中国語の魂魄は日本でいう物の怪、聊斎志異に出てくる人間以外の人間の考えの範囲を超えたものと認識されている。日本に来ると少し崇高なものとなる。漢語を取り込んだ当時の日本人にとって舶来の大事なものとして使われた。英語もギリシャ・ラテン系の新しい術語を作るとき、フランス語を取り入れて表現を使い分けるときに同じような傾向だ。
中国人文学研究者が日本に来て、大人の本の店に興味を示す。中国語の大人(ターレン)は、立派な人の意味。日本語は「たいじん」と「おとな」意味の守備範囲を使い分ける。中国人が日本語に戸惑う典型的な例だ。よくよく見ればその誤解の原因に納得いくが、表層だけではわかりにくい。言葉に関心のある人にとっては面白い。
中国語は外来語を音訳・意訳して取り込み、徐々に意訳後に向かう。周有光は、我が祖国の言語には純潔性があるという。ドイツ語やフランス語もそんな傾向があるが、英語の侵略に悩まされている。英語や日本語とは真逆である。
中国語が起点に注目し日本語は着点に注目する傾向がある。中国語の住院・出院が、日本語の入院・退院である。中国語では病院を起点とし(病院から見た目で造語)、日本語では家が起点(家から病院を見た目で造語)、病院が着点(病院に入る、病院から退く)となる。
日本語と語順が反対の中国漢語、「来去」、「買売」、「借貸」などがある。長い期間、漢語を輸入し続けたため、様々な経緯が考えられるが、日本で広く読まれた中国の書物(孔子、孟子、老子など)により、用語が確立しているものはそのままの語順で使う。語順を決める要素には「文法」と「発音」があるという。
日本語は対象が意志を持つかどうかで自動詞か他動詞か変わる。制御できるかどうか。たとえば、「立てる」では、看板を立てる(他動詞)と言えるが、酔っぱらいは立て(自動詞ない)から、立たせる(使役)。中国語の自動詞は形容詞と違いがない(形容詞を形容動詞と呼ぶ文法もある)。他動詞と自動詞/形容詞に用法が二分されることがある。自動詞と形容詞が似ているのは状態の説明という部分で一致するからか。
大いに興味をかき立てる一冊である。
矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-277.html より転載
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