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明治45年は1912年ちょうど100年前である。日本では西洋列強の脅威を感じながら、「明治維新」と呼ばれる大きな変革を成し遂げた。西洋文明を急速に吸収するため、社会の大変革も伴った。日清戦争と日露戦争も終わり、社会がそろそろ落ち着きを見せ始めた期、日本語はどのように書かれていたのか。当時の日本語の書きことばを採りあげて現代との違いを指摘し、この100年ほどの間に日本語がどんな変化を遂げてきたかを追う。
副題の「書きことばが揺れた時代」の通り、明治期の書きことばには「揺れ」、それは、西洋文明の概念や術語を漢語に変換して行く過程の中での出来事だ。明治期の漱石の原稿など一次史料(原稿)をもとに分析し、現代日本語への変遷を辿る。漱石一人の中ですら、明治期の日本語は表記の仕方が複数あったり、旧字新字の混在を許容したりして、「豊富な選択肢」があった。
たとえば、「コドモ」にあてられた漢字は、「子供」で統一されているが、明治期には、「小兒」「幼兒」「童兒」「童子」「小供」「子共」「児」などが並列しても使われた。言葉を使う人が漢語を当て嵌めて、振仮名を振れば暫定的には問題はない。音と字をくっつけることは日本語の得意技だ。また、話しことばで使われていたと思われる語形も書きことばに持ちこまれる。そのために語義に近い漢字を借用したり、仮名で書いたり、振仮名や送り仮名を活用して工夫され、書きことばの選択肢はひろがっていった。
しかし、活版(活字)印刷の技術の進歩により、新聞や冊子が普及し始めて、「不特定多数への情報発信」に適した書きことばが求められるのは必然である。活字の普及が進んだ明治期の後半期、日本語は「収斂」へ向かう。そして統一・標準化の動きは、現代に、そして未来にも続く。一つの語はできるだけ一つの書き方にしようとする、書きことばの「統一・標準化」・「揺れの排除」は、コミュニケーションには大切なことだ。
「現代のような状態になったのは、日本語の長い歴史の中で、ここ100年ぐらい」だそうだが、この150年の東西文明が混在する激動期にしてはまだ原型をとどめているのかすっかり変わってしまったのか?しかし、特に戦後のアメリカ・カタカナ語の氾濫には不安になる。使う人が言葉の意味を理解していないことが多すぎる。(漢字・漢語導入の時も同じ現象はあったかもしれないが…)
統一化によって排除されたものも多い、戦後の漢字の簡体化、旧仮名遣いから現代仮名遣いへなど、歴史的に残すべきではなかったと思われるものまで、拙速に捨ててしまったような気がする。書き言葉を決めるには、国をあげてもっと日常的に論議すべきだと思うが、教育制度を管掌するいまの文部科学省は望むべくもないのかもしれない。文科省がやっていないわけではないが、あるべき方向と違うような気がする。
矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-272.html より転載
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