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中沢啓治さん死去:平和と怒りゲンに託す 原爆に鋭い批判
毎日新聞 2012年12月25日 11時27分(最終更新 12月25日 15時05分)
http://mainichi.jp/select/news/20121225k0000e040132000c.html
「人類にとって最高の宝は平和です」。ゲンとともに平和への思いをスケッチブックに書き込んだ中沢啓治さん=2005年12月、堀智行撮影
拡大写真 19日に73歳で亡くなった漫画家で「はだしのゲン」作者の中沢啓治さんは、原爆投下と戦争の「責任」を問い続けた。漫画の主人公のゲンさながらに、ユーモアと明るさで包んだ怒りを、頑固に発信し続けた。
◇「ゲン」通して発信
8月6日の広島・平和記念式典に自分の意思で参加したことはなかった。「だって全然問わないからね、戦争責任を。平和宣言やって、鐘鳴らして。こんなもんじゃないだろう。もっと怒りを持たねばならない」。09年に「はだしのゲン」の原画を広島市に寄贈したことから、11年夏に初めて式典に招待された。「今生の別れのつもりで見届けたが、(ハトが飛ぶ演出など)空虚に感じた」とやはり手厳しかった。
米軍による広島、長崎への原爆投下を「実験場にされた」とみていた。原爆以前から反戦運動をしていた日本画家の父晴海(はるみ)さんが投獄され、一家で「非国民」といじめられた経験、日本人自身が昭和天皇やA級戦犯の戦争責任をうやむやにした怒りを漫画に込めた。きれいごとを嫌い、「自由にものが言えなくなる」と、団体に一切属さなかった。
怒りの矛先は原爆にとどまらなかった。「原子力」の利用そのものにも鋭い批判を向けた。旧ソ連チェルノブイリ原発事故から25年となった11年4月26日夜、広島市内であった自伝映画の上映会でのあいさつで東京電力福島第1原発事故に触れ、「人間の手で制御できない原発ばかりに頼るのは危険だ。これを機に自然エネルギー利用に転換すべきだ」と語った。被爆者が差別された経験から、福島でも同様の事態が起きないよう強く願った。
若くして離れた故郷への愛着が、憤りを一層激しくしたのかもしれない。絵描きの才能を発揮した中沢さんは中学卒業後に看板屋に就職し、1957年完成の旧広島市民球場で看板広告を描いた。11年に式典に出席した前夜、新球場「マツダスタジアム」に初めて足を運び、カープの試合で始球式のマウンドに立った。力いっぱい投げ込み、子どものような笑顔を見せていた。
既に肺がんが体をむしばみ、再発や転移を繰り返していた。抗がん剤や放射線治療をしたが副作用が強く出て中断。退院すると精力的に講演活動などを行い、今年8月6日の広島原爆の日にはラジオ番組に出演していたが、秋から肺炎で入院していた。
.文化2 阿修羅
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