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まず、版ちがいだったら申し訳ありません。
どこまで信用していいものか、コンビニに売っていた雑誌からなのですが、ついつい三島の名前があって購入して読んでしまいました。
三島が自分のことを「あたい」と呼んでいたところが何とも言えないですが、彼なりの露悪主義で悪女風に自分を表現していたのでしょうか。
登場人物のS太郎は言わずもがなのあの人最近知事から新党を結成した人ですな。もう高齢。作家Mは誰か私は分かりません。だれかご存知ならご教示頂きたい。
では本文始まり始まり。
以下転載
命より守らなければならない絶対の秘密を中国語で「絶密」という――
三島由紀夫が割腹自殺を遂げた後、大森の三島邸で起こった「事件」は本誌前号でお伝えした。(残念ながら前号を持っていない)
そして今度は筆者が三島由紀夫を深く知る人物から聞いた話である。
この話もまた現在まで封印され続けてきた「絶密」であった。
この話は作家Mの自宅で聴いた。Mは綿矢りさが十九歳で芥川賞を取るまで史上最年少で芥川賞を受賞した作家だった。またMと同じく二十三歳での重症は石原S太郎・大江健三郎。村上龍と並ぶが、なかでも石原S太郎は「文学新人賞」から「芥川賞」という、Mと同じ小説家の登竜門としては王道中の王道で歩んで来た先輩作家だった。そこで『文学界』編集部が、この二人を対談させた。
一九六七年(昭和四十二年)春、三島由紀夫が割腹する三年半前のことだ。
対談終了後、S太郎がMを飲みに誘った。まだ若くて文壇のイロハも知らないMは喜ぶも断るもなくS太郎の背中に従った。しかし、Mはアルコールを一滴も口にしない。酒場まで付き合っても、西部劇に出てくるお尋ね者よろしく「ミルク!」と叫ぶ。しかし、ミルクを飲む男が相手では、さすがのS太郎もつまらなかったのだろう。早々とバーを退散して、二人で東京の街をふらふらし始めた。
「ところで、M君。ここにおもしろい男が住んでいるんだ。」
S太郎が目の前の高層マンションを顎でしゃくって両目をぱちくりする。
「えっ、誰です」
Mもメガネの細い目いっそう補足して怪訝そうに訊いた。
「うん、三島さん男だ」
「えっ、男ですか」
Mはびっくりした。右翼的な発言や行動を繰り返す三島と「男を囲っている」という行為がそぐわなかったからだ。S太郎の話によると、三島由紀夫は七人の男を囲っていて、それぞれにマンションの一室を与え、生活費を手渡している。もちろん、合計すれば、生半可な出費ではない。
「小説家って、そんなに儲かるのですか」
「いや、三島さんとかぼくとか、選ばれた数人だけはな」
Mはその数人の中に自分の名が入ることは、、未来永劫にわたってないだろうと直感した。
「会っていくか、三島のこれと会っておくのもいい経験だぞ」
S太郎が右手の親指を突き出した。しかし、Mは即座に断った。
「男には興味がありませんよ。またもし女でも、他人の女に興味はありません」
「そうか」
S太郎は唇だけ笑の格好にすると、右手を挙げてタクシーを停めた。
「新宿へ出ないか」
「いや、もうホテルに帰ります。明日の汽車が早いので」
「そうか」
S太郎は一人でタクシーの後部座席に乗り込むと、窓越しに片手を挙げて走り去っていった。Mはタクシーが見えなくなるまで、頭を下げてS太郎を見送った。
三島由紀夫が切腹して、半年ほど経ったときだった。Mが上京して、たまたまS太郎と再会した。
「三島さんも無責任だな」
Mは七人の男の話を思い出して、S太郎に呟いてみた。すると、S太郎は多少口ごもりながら、こう反発した。
「でもな、三島さんはあの割腹自殺の直前に、七人の男のうち六人とは別れている。理由も告げずに手切れ金だけ手渡してさ。ところが、あのマンションの男にだけは、手切れ金を一円だってあげなかったし、別れ話も持ち出さなかった」
「ふむ、すると、三島の彼への愛は枯れていたのですかね。それとも過剰だったのですか」
Mの質問にS太郎は答えなかった。
若くて何事にも興味津々だった筆者は。Mからその高層マンションの場所を訊き出して、三島由紀夫が最後に愛した男を捜した。結果、彼はもうその場所に住んでいなかったが、住民票などをこまめにおって、居所を突き止めた。彼の口は重かったが、ある目的のために無職だったので、生活は楽ではなく、謝礼目当てなのかインタビューを受けてくれた。以下はその話をまとめた文章である。
「あんたとは別れない」
三島先生はそう言ってくれました。
「他の六人の男とは、もう縁を切ったの。しかし、あんたとは永遠よ。死んでも別れない。だから、手切れ金なんて渡さないわ」
ぼくは涙が滲んで来ました。三島先生にそんなに思われているなんて、幸せを通り越して、怖い感じすらしました。
「あんたに手切れ金を渡さない理由は、もう一つあるのよ。それはね、あたい(三島先生は彼の前では、ご自分をこう呼んだ)が百パーセントの絶対的な確率で切腹するとは限らないからなの。あたいの呼びかけで。すわっとクーデターが勃発すれば、あたいが自分の命を絶つ必要はなくなるのよ」
――― ちょっと待ってください。すると三島先生は、あなたにはあの憂国行動の計画を事前に話していたのですか?
「そう。ぼくにはなんでも話してくれた」
彼は少し胸を張ってそれから再び三島になりきって話を続けた。
「あたいの計画では。まず東部方面総監を人質に取ってバルコニーに出る。テレビクルーが到着するのを待って。そこでテレビカメラに向かって檄を飛ばす。なに、眼下の自衛隊員にクーデターを呼び掛けるつもりは端からない。全国に散らばっている『青桐の会』の仲間たちの、電波を使って呼びかけるのよ。
“命令系統を破ってちょうだい!”
“起ち上がってよ!”
“クーデターを起こすのよ!”
この呼びかけに呼応する動きが出るならば、あたいは切腹しなくてもいい。」クーデターの実行部隊に加わるだけですもの。こうなれば、生き残る確率だってゼロではないでしょ。でも『青桐の会』は優秀な組織。あたいの激では、きっと命令系統は打ち崩せないわね。そしたら、あたいはあたいの命を差し出すまでよ。“命よりも大事なものがある!”って叫んでさ。『青桐の会』の仲間も、さすがに胸を揺さぶられるでしょう。この言葉は戦後の民主主義教育へのアンチテーゼですものね。でもね、あたいはとっくに文学者じゃないの。言葉での勝負はしない。行動よ。行動で示したいの。切腹。本当に命を投げ出してみせるは。あたいの切腹を知って、『青桐の会』の誰か一人でも起ちあがってくれたら、それで成功よ。誰か一人でも起ち上がれば、会の存在が公になるでしょ。もう『青桐の会』の後には退けない。上から下まで全員がクーデターに加わるわ。どっちに出るかしら。あたいの予想では、九十九パーセントが切腹ね。でもね、一パーセントは、あたいの檄で、あたいの言葉で山が動く。この一パーセントに賭けて、あたいはあんたに別れを言わないのよ」
三島先生はぼくには「愛」を遺して、お金は残さなかったのです。仕方がありません、ぼくは自分で働いて生きて行くしかありません。当たり前のことです。幸いにも先生の親友の某小説家が大手の出版社の校正係を世話してくれました。
「三島先生の愛を独り占めしてぼくは生き抜くのだ!」
しかし、年が改まって、四十九日も過ぎた頃に、ぼくは自分の間違いに気がつきました。三島先生がぼくにお金を遺してくれなかったのは、先生が生還する可能性がゼロではないから、ではないのです。ぼくへの単純な未練の表現ではないのです。お金がなければ、この世では生きられない。心優しい先生は、ぼく以外の六人の男たちには。この世で生きていかれるように手切れ金を手渡しました。しかし、この世で生き抜いていく必要がないぼくには、お金なんて遺さなくてもいいのです。
「死んでもいっしょに暮らそう。永遠にいっしょに暮らそうってば」
これが、先生からぼくへの、真のメッセージなのです。手切れ金をくれなかった、真の理由なのです。先生はとてつもなく優しい人だったのです。先生のぼくへの愛は、こんなに深かったのです。
「ねえ、早く彼岸に渡ってきてよ」
先生が毎晩僕の耳元まで降りてきて甘い声で囁くようになりました。後を追うしかありません。あの世で永久に先生を抱き締めていたいのです。
その日から毎日スポーツジムに通い始めました。体中の筋肉を鍛え直したい。男らしく無駄のない、きれいな体を取り戻したい。それから三島先生に逢いにいくのです。死ぬ者が肉体を鍛えるのはへんでしょうか。変だと言うのなら、なぜ三島先生は割腹するのに、筋肉をつけたのでしょうか。これはぼくたちの“美”の問題なのです。
ジムで体脂肪を測ると十七%も、にまで上がっていました。これを十%以下にまで落としたい。これが叶ったら、旨を張って、三島先生を抱き締めにいこう。
先生は笑顔で迎えて下さるでしょう。
自害の方法も選らばなくてはいけません。肉体がぐちゃぐちゃになるのは避けたいのです。だから、先生のような切腹はまずい。同様の理由から、鉄道自殺は最も回避したい。首吊りは体内の糞尿が、みんな流れ出てしまうと聞いています。ガスを吸い込むと、肌がピンクできれいだとは聞いていますが、周りの部屋も吹っ飛んだりしますから、アパートやマンション向きではありません。他人に必要以上の迷惑をかけるのは避けたいのです。水死は水ぶくれして、なんのためのジム通いかわからなくなります。残りは睡眠薬ですか。睡眠薬なら嘔吐は避けられない。嘔吐は糞尿よりかはマシですかね。
ぼくの体脂肪率は、先生の新盆の頃から、八パーセントを保っています。そこで、「血行の日」の選定に入ったのです。すると。この日しか思い浮かびません。そうです、三島先生の一周忌です。
筆者は彼の話を聴いていて、不思議なことに、自害を止めようと思わなかった。そして、彼は本当に三島由紀夫の一周忌の、三島が割腹したのとほぼ同時刻に「後追い自殺」を遂行したのだった。(文中敬称略)
転載終了
本当に真実なのだろうか?昭和45年のジムで体脂肪率を測定できるのだろうか?
唯男性同性愛者の純愛的の方向性としてはあまり違和感が無いのでついつい信じてしまうのだが。赤江爆(これで正しかったかな?)の小説みたいだ。
まあ、三島がおぼっちゃんだった上に元官僚でベストセラー作家だったから七人の愛人を囲うこともできたかもしれないけど。美輪さんにでも実際のところお伺いしたいところである。美輪さんがこの話を読むと憤慨しそうだが。
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