http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/599.html
Tweet |
クリックすると紙面拡大
(「しんぶん赤旗」 2012.06.20 日刊紙 9面 「文化・学問」欄)
==============================================
http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=289170&nwIW=1&nwVt=knd
『小社会』
2012.06.02 朝刊 1頁
きのうは高知市出身の反戦詩人槙村浩(こう)の生誕100年だった。記念の講演会がきょう、同市内で開かれる。槙村は悪名高い治安維持法違反で逮捕され、激しい拷問がたたって26歳で早世した
▼生前の槙村と親しかった人を、一人だけ知っている。県選出の社会党衆議院議員だった故井上泉さん。もう20年以上も前に、「槙村浩全集」を贈っていただいたことがある。井上さんは全集の編集・発行人の一人だった
▼槙村の最初の反戦詩「生ける銃架」、代表作「間島パルチザンの歌」…。ほとばしる波のように紡がれる言葉の迫力に圧倒された。槙村の早熟の天才ぶりを示すいくつかの逸話も、全集で知った
▼井上さんは兄と親しかった槙村の影響で、「プロレタリア文学」などに投稿し始めた。槙村は井上さんを実の弟のようにかわいがり、静かな口調ながら、厳しく原稿を手直ししてくれたという(「遠き白い道」高知新聞社)
▼井上さんは同著で「槙村とともに闘った旧友が次々と亡くなる中、今に生きる私が槙村を語るのは、ある意味で努めでもありましょう」と話していた。閃光(せんこう)のように散った詩人の青春の記憶を、時はいや応なしに押し流す。一方で作品を通じて研究が深まり、再び見直しの機運があるのは喜ばしいことだ
▼もし槙村が生きていれば100歳。「神童」とうたわれた若き俊英の命はその4分の1ほどで奪われた。つくづく戦争の愚かさを知る。
高知新聞社
--------------------------------------
槙村浩の足跡たどる 生誕100年 高知市で朗読、講演会
2012.06.03 朝刊 25頁
高知市出身の反戦詩人、槙村浩(こう)の生誕100年を記念して2日、同市丸ノ内2丁目の高知城ホールで詩の朗読会と講演会が開かれた。槙村の代表作の朗読や、作家の戸田郁子さん(52)=愛知県出身、韓国在住=による講演を通し、約200人が槙村の足跡をたどった。
槙村は1912年6月1日、同市廿代町に生まれ反戦の信念を貫き、26歳で早世した。今月1日の生誕100周年を記念し、槙村の資料を所蔵する平和資料館「草の家」(高知市升形)の岡村正弘館長(75)らが主催した。
朗読会では「生ける銃架」「間島パルチザンの歌」など槙村の代表作を、同市で活動する劇団員や詩人が朗読した。
戸田さんは、槙村が詩で歌った間島(現在の中国・延辺朝鮮族自治州)の風景や歴史を説明しながら、「高知と延辺が細い糸でつながっていることを感じる。私たちはそれを太くしていきたい」と訴えた。
岡村館長は「今日をきっかけに多くの人に槙村を知ってもらいたい」と話した。(山本仁)
高知新聞社
【写真説明】槙村浩が代表作で歌った中国・延辺について講演する戸田郁子さん(高知市の高知城ホール)
==============================================
【関連サイト】
二〇一二年六月二日 反戦詩人・槇村浩(まきむらこう)生誕100周年のつどい。(短歌の花だより)
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/06/post-aa3b.html
【ニュース】 反戦詩「間島(かんとう)パルチザンの歌」は間島の子どもたちに届いていた 槇村浩(まきむらこう)生誕100周年のつどいで講演。(ブログ高知)
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2012/06/post-aa3b.html
槇村浩生誕100周年の集い 高知の反戦詩人・槇村浩に会いに…(社会運動情報・阪神)
http://hanshin204.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/100-f488.html
槇村浩(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%87%E6%9D%91%E6%B5%A9
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。