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株式日記と経済展望
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私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信
のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです ドナルド・キーン
2012年1月8日 日曜日
◆ドナルド・キーン博士は日本の強さと弱さを知っている 1月6日 Youtubeで、いただく、英語
http://blog.livedoor.jp/itadaku_eigo/archives/6553122.html
日本人よ、勇気をもちましょう ドナルド・キーン
かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的ではないか」。
日本的過ぎて、西洋人には「本当は分からないのではないか」という意味です。分からないけれど、「お情け」で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。
長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。
昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。
し かし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して「日本は良くなる」とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。な ぜなら、日本人は勁いからです。
私は今年六月で九十歳になります。「卒寿」です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしまし た。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎 日、勉強を続けています。
勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、強く歩を運び続けようでありませんか
◆2011年5月 フリージャーナリスト・肥田美佐子氏によるドナルド・キーン氏へのインタビュー
キーン氏は、いったい日本のどこに魅了されたのか。日本人の最大の短所は何か。東日本大震災で大きな転換点に立つ日本には、何が求められているのか――。最後の授業の翌週、ニューヨーク市内の同大学で、日本文化を極めたキーン名誉教授に日本語で話を聞いた。
――今年になって日本永住を考え始めたとうかがっています。
ドナルド・キーン氏
キーン氏 1月、日本で3週間入院した際、あとどのくらい生きるか分からないと考え、残りの人生をどこで過ごすか、まじめに考えるようになった。そして、達したのが、いちばん住みやすい所は日本、という結論だった。かねてから日本の友人などに恵まれたことに対し、感謝の気持ちを伝えたいと思っていたところ、大震災が起こった。テレビで、ものすごい津波の映像を見て、日本の国籍を取ろうという気持ちが固まった。わたしの決断が日本の人たちに勇気を与えると言ってくれた日本人もいる。日本を離れる野球選手なども多いなかで、一人だけ日本に向かうのだから、驚く人もいたが、反対する人はいなかった。わたしを知っている人は、みんな、「なるほど(当然)」と。
今、何十年もかけて集めた文学書や美術書など何千冊をどう処分しようか、考えているところだ。今まで1冊も捨てたことがない。東京には、35年前に買った家がある。これまでも、1年の3分の2を日本で過ごしてきた。日本でも教えたことはあるが、日本の習慣では、70歳になると仕事がないので(笑)、講演活動などを行ってきた。北海道から九州まで、すべての都道府県を回った。
――56年間の教師生活を振り返って、最も心に残る思い出は何でしょう?
キーン氏 1968年、コロンビア大学で、学生のストライキがあった(注:映画『いちご白書』の下敷きにもなった有名な学園紛争)。わたしの教え子たちは参加していなかったが、(学内が騒然としていたので)私の家で授業をした。わたしは、学生が政治活動にかかわってもかまわないと考えていたが、1つだけ大事なことがあった。日本文学を愛していること、だ。あのころの学生は、心底、日本文学に「惚れて」いた。だから、授業もうまくいった。教え子には本当に恵まれた。
――教授は、日本という「女性」と結婚したようなものだと発言されています。その女性のどこにいちばんひかれたのでしょう?
キーン氏 日本にいると、いちばん落ち着く。米国が嫌いなわけではないが、ニューヨークに帰ってくるとショックを受ける。物を買っても、ありがとうとも言われない。今日も医者に診察してもらったが、「ワイシャツを脱げ」といった調子だ(笑)。それに比べて、日本のお医者さんの丁寧なことといったら。人間と動物のいちばんの違いは「礼儀」である。わたし自身、自然に日本の礼儀を守るようになった。もちろん、知らないこともあったが、いったん覚えると、それを実践してきた。
31歳のころ、日本に留学し、下宿したのが、京都にある国宝級の家の離れだった。いろりや茶室もあり、なんともいえない眺めだった。縁側に立つと、人家が一軒もなく、見えるのは、お寺だけ。だが、ひと月ほどたつと、母屋に米国帰りの京大の助教授が入ってきた。それを聞き、大変がっかりした。きっと英語の練習をさせられると思ったからだ。彼の部屋の前を通るときは、横を向いて視線を合わせないようにした。
ところが、ある夜、夕食を共にすることになり、以来、親友になった。のちに文部大臣となった永井道雄氏(故人)である。素晴らしい人だった。彼に出会ってから、現代の日本も知らねばだめだと思い、選挙演説を聴きに行ったりした。当時、『夕鶴』(戯曲)が大人気だった木下順二とも知り合った。人の紹介で三島由紀夫とも親しくなり、作品の一部を訳したこともある。素晴らしい日本人の友人を持って、本当に幸せだった。
――日本人と米国人の最大の違いは何だと思われますか。
キーン氏 家族に不幸があっても、泣いたりせず、自分の本当の気持ちを隠して人に接するのが日本人。一方、米国人は、ワーッと話す(笑)。以前、ハワイ出身の力士が負けたとき、とても悲しそうな顔をしたが、日本の力士は、表情を見せない。外国人が日本で暮らすと、日本人は、なぜ悲しいのに笑うのかと驚く。
今回の震災でも、米国人は、日本人の落ち着きぶりに驚いた。素晴らしい、と。今ほど親日感情が高まっているときはない。わたしの友人で、特に日本に関心がない人でも、大震災の話をする。(いろいろな話が出るが)誰からも、一度も日本の悪口を聞いたことがない。
――逆に、日本の最大の欠点は何でしょう?
キーン氏 極端から極端に走るところ、だろうか。バブルのころは、ロックフェラーセンターからドイツのお城まで、(日系企業が)ほうぼうで土地などを買ったが、もうちょっと遠慮してもよかったのではないか。
だが、(バブルがはじけると)今度は逆に、「もう日本はだめだ。外国は、みんな中国に興味がある」となってしまう。もう日本語を勉強したがる外国人はいないと言うが、うそだ。今年は、(コロンビア大学の日本文学のクラスには)去年の倍の学生が集まった。日本では、ジャパン・バッシングからジャパン・パッシング(日本外し)など、誰かが言い出すと、みんなそれにならってしまう。
今日、ニュースで知ったが、(2013年以降)ニューヨークのタクシーが日産車に統一されるという。日本製品はいいということを、みんな知っている。風評被害で日本の食べ物を敬遠する米国人もいるという話があるが、わたしの周りでは聞いたこともない。
――今、日本は、サプライチェーンの混乱など、戦後最大の危機に直面しています。
キーン氏 日本製品は高品質で信用できるという評価は、揺るぎないものだ。以前は、日本は物まねが上手だと言われたが、今は、日本が新製品を出し、他国がまねる時代だ。日本の美術も人気がある。音楽も、毎年、ニューヨーク・フィルハーモニックが武満徹の曲を演奏するようになり、広く知られるようになった。経済力が、世界2位から3位になったことに意味はない。中国は人口が多い分、(国内総生産が高くなって)当たり前だ。日本が悲観することは何もない。
――震災以降、エネルギー不足や停電の恐れなどにより、昔のレベルの生活にダウンシフトすべきといった声も出ています。
キーン氏 たとえば、機関車を例にとろう。懐かしさや(レトロの)美しさへのあこがれから、乗ってみたいという声があるのは分かる。だが、私の記憶では、本当にひどいものだった。トンネルに入ると慌てて窓を閉めたが、ほこりが口に入って、嫌な味がいつまでも残る。持ち物は汚くなるし、ちっともロマンチックではない。
――震災の危機管理や原発対策で、日本政府を批判する声が目立ちますが。
キーン氏 昔から、日本政府は透明性を欠いていた。たとえば、公人に不幸があったときも、原因などが詳しく報道されない。日本では、個人的なこととして扱われるのだろう。米国などでは詳しく報道されるが、日本政府は、はっきりした情報を出すのを避ける。ごまかしているなどとは思わないが、米国とは事情が違う。
――日本に行ったら、真っ先にやりたいことは何ですか。
キーン氏 ささやかなことだが……。家の近くの小道の両側に店が並んでいるのだが、まず、そこを歩いて、「帰ってきました!」と、みんなにあいさつしたい。
――日本の読者にメッセージをお願いします。
キーン氏 日本は大丈夫。必ず復興する、と信じている
(私のコメント)
去年の2011年は、日本にとっても大きな転機の年となったことが後世になって分かるようになるでしょう。地震や大津波は日本では珍しくもなく、神戸大震災でも6000人もの人が亡くなった。2011年が大きな転機となったのは、なんといっても日本の電気エネルギーを供給してきた原発が一気に四基もの原子炉が大爆発を起こして、その他の多くの原子炉も停止してしまった。
今までは原子炉は安全だと言う神話で原子力エネルギーが活用されてきましたが、現在の原子炉は停電してしまうと大爆発を起こす非常に危険なものだと言うことが証明された。もちろんバックアップ電源装置もあったのですが、全部が破壊されて冷却装置が働かなくなり、メルトダウンと水素爆発を起こしてしまった。原子炉と言えども最悪の場合でも自然停止するような設計でなければ作るべきではなかった。
戦後の50年代から進められてきた原子力エネルギー政策の転機が来ていますが、次世代型の100%安全な原子炉は作ることが現代の技術では可能だ。当面は火力発電に頼らなければなりませんが自然エネルギー開発の大切さも認識されるようになった。公共投資も橋や道路を作るばかりではなく自然エネルギー開発に使うようにしていれば地方は発電によって工業生産が活発になるだろう。
それと同時に、日本のエリート官僚の無責任さと無能さもエネルギー政策など一つとっても分かりましたが、現在の軽水炉型の原子炉の危険性を指摘する学者を排除して、核燃料サイクルなどというまやかしを何兆円もかけて続けてきた。その分を自然エネルギー開発などに投資していれば石油の枯渇問題などもクリアーできる可能性がある。
政治も自民党長期政権が倒れて、民主党に政権が交代しましたが、政権が交代すれば日本の戦後政治が変わるかと期待していましたが、第二自民党政権になってしまった。政権運営の失態も相次いで東日本大震災でも不手際が多くて政権交代が機能しないことも分かってきてしまった。だから小選挙区制による政権交代は機能せず、日本の政治の官僚依存が浮かび上がってきてしまった。
この意味でも、日本の政治も転機に来ていますが、小選挙区制は廃止して中選挙区か地方ブロックごとの比例代表にして多党化を進めて、無所属の新人でも当選しやすい選挙制度に変えるべきだろう。当然政権は連立政権になるのでしょうがヨーロッパでは連立政権が多くなって来ている。日本でも与野党のねじれ問題も問題になっていますが、多党化すれば政権の政党組み換えでねじれを解消できる。
文化面でも、2011年はテレビでも韓流ドラマやK-POPなどがテレビで話題になりましたが、BSテレビ放送は韓流ドラマで埋め尽くされてしまった。紅白には三組のK−POP歌手が出るようになり、時代の変化を感じさせます。野球やサッカーや大相撲のようにスポーツ面でも外国人が日本のプロスポーツ界を支えるようになり、日本文化を引き継ぐ者が外国人と言うことが多くなっていくのだろう。
だから、紅白に外国人歌手が出ることは珍しくはありませんが、三組のK-POPグループは日本語で歌っていた。もしかしたら来年再来年とK-POP歌手がさらに増えていくのかもしれませんが、これも時代の変化なのだろう。文学界でも韓国人や中国人の作家が文学賞などを受賞していますが、知らず知らずの間に日本語が国際化して来ている。欧米人にとっては日本語は難しいが、韓国人や中国人にとっては比較的習得しやすい言語なのだろう。
ドナルド・キーン氏は、『長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです』と述べていますが、日本人は日本の文化にも自信を持つべきであり、芸能界やスポーツなどの世界では外国人が日本文化を受け継いでいる。
日本文化は、元は外国から来たものでも日本化して来たものが多く、漢字も中国から輸入されてきて日本語化して日本文化となった。戦後になって大量に英語などアメリカ文化が入ってきましたが、POPミュージックもアメリカから入ってきて日本の流行歌もだいぶ変わった。本来ならば文化には言葉の壁がありますが、インターネットの普及で外国のものが簡単に入ってくるようになり、日本のものも外国に広まってくるようになった。
日本語は外国人には難しいと日本人は勝手に思い込んでいるが、韓国人や中国人は日常会話程度は数ヶ月で覚えてしまう。日本人が外国人と言うとどうしてもアメリカ人を思い浮かべますが、アメリカ人は勝手に英語を国際公用語と認識していて英語以外の言葉は非常に苦手だ。アメリカが何でも世界一だと思い込んでいるからですが、ドナルド・キーン氏はアメリカ人だ。
確かにアメリカは、政治、経済、軍事、科学の超大国であり、世界の覇権国家であった。日本人は敗戦によって自信を喪失して日本的なものを否定しようとしてきた。ドナルド・キーン氏が指摘しているように『極端から極端に走るところ、だろうか。・・・だが、(バブルがはじけると)今度は逆に、「もう日本はだめだ。外国は、みんな中国に興味がある」となってしまう。もう日本語を勉強したがる外国人はいないと言うが、うそだ。今年は、(コロンビア大学の日本文学のクラスには)去年の倍の学生が集まった。日本では、ジャパン・バッシングからジャパン・パッシング(日本外し)など、誰かが言い出すと、みんなそれにならってしまう』と発言していますが、日本の学者や評論家の言っている事はウソが多い。
いつの間にか日本は、世界最大の債権国家になり海外からの利息収入だけでもバブル期の5倍にもなっている。技術特許収入やライセンス料なども含まれますが、だから経常黒字国となり、アメリカは世界最高の科学技術力を持ちながら、製造技術は衰退して中国に作らせて輸入している。アメリカ人は働くことよりもバクチで生活をする事がファンドマネージャーとしてエリートとなり、リーマンショックでアメリカは致命傷を負ってしまった。
それに対して日本は歴史と伝統を尊重して、アメリカ人からいくら「変われ」と言われても良いものは受け入れても悪いものは受け入れない。日本からアメリカへの留学生が減ったのもアメリカ文化の限界を見たからだろう。昔は日本でも映画や音楽はアメリカのものばかりだったが、最近では映画や音楽もつまらなくなった。逆に日本のアニメや食文化が世界的なブームになり、世界的な寿司チェーンが作られている。
寿司のような、生魚を食べる文化など日本人にしか分からないと思っていましたが、スキヤキやテンプラなどは分かるが寿司がこれほど世界的な食文化になるとは日本人は誰も思わなかった。逆に日本人はハンバーガーやコカコーラなどのジャンクフードに馴染んでしまって舌がおかしくなっている。何にでもケチャップやマヨネーズをかけて食べる子供が増えて食文化が犯されている。戦後の学校教育でパン食を強要されて飼いならされてしまったからだ。
TPPで日本の米作りも全滅するかもしれません。悪貨が良貨を駆逐すると言いますが、ドナルド・キーン博士の警告は、『「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです』という、日本人自身の自信のなさを警告しているのでしょう。
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