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1983年の秋の事です。
その年の秋、1か月余りヨーロッパを旅する機会を得た私は、当時「共産主義」政権の支配下に在ったチェコスロヴァキア(当時)の首都プラハに10日ほど滞在して居ました。
当時のチェコは、今の若いチェコ人が想像も出来無い様な圧政の下に在りました。人々は、暗い、絶望的な表情をし、絶えず、秘密警察の影に怯えながら暮らして居ました。
そんな当時のチェコの首都プラハに私は10日ほど滞在して居たのですが、この時のプラハ滞在は、私の人生において、本当に貴重な体験と成って居ます。
そんな私のプラハ滞在中の或る日、チェコ人の友人たちが、私をオペラに連れて行ってくれました。
プラハの国民劇場でスメタナの最後のオペラを見た後、その友人たちは、「ちょっと寄り道をしよう」と言って、私を或る所に連れて行きました。
それは、国民劇場から少し離れた場所に在る本屋でした。
そこは、私をオペラに連れて行ってくれた友人たちの一人が、昼間、店員として働いて居る小さな本屋でした。その本屋は、通りに面したビルの一階に在り、昼間は、それなりの人通りの在る場所に在るのですが、「共産主義」時代の当時、夜は、殆ど人通りが無く成って居たその通りの前で、鍵をかけられ、真っ暗に成ったその本屋は、しんと静まりかえって居ました。
その真っ暗な、誰も居ない夜中の本屋に、オペラを見終えた私たちは、当時、その本屋の店員であった友人に連れられて、こっそりと寄ったのでした。
私たちは、彼女が鍵を開けると、その真っ暗な本屋に入りました。そして、何が始まるのかと思ったら、電気はつけないまま、その本屋の中で、通りからカーテンを通して差し込む街灯の光の中で、ワインを開けて、オペラの後に一杯やろうと言ふ事だったのです。
「共産主義」政権に支配されて居た当時のチェコスロヴァキアでは、個人の家に数人の友人を呼んだだけでも「集会」と見なされて、秘密警察に目をつけられる事も有ったと聞きます。ですから、オペラを見た後で、集まってワインを飲む事すら、人目をはばからなければならなかったのですが、夜の本屋で、スメタナのオペラをさかなに、チェコの友人たちと、そうしてワインを飲んだのは、あの時代(「共産主義」時代)のチェコならではの体験であったと言へます。
本棚に並んだチェコの美しい絵本や、棚に飾られた花瓶や壁時計が、明かりの消された夜の本屋の空間の中で、とても不思議な光景に見えた事を覚えて居ますが、そこで、明かりもつけずに、真夜中のパーティーを楽しむチェコ人たちを見て居て、私は、ミロシュ・フォアマンの映画『カッコーの巣の上で』のあのクリスマス・イヴの場面にそっくりである事に気が付きました。
『カッコーの巣の上で』は、チェコスロヴァキアからアメリカに亡命したチェコ人の映画監督、ミロシュ・フォアマンが、アメリカの精神病院を舞台に、そこに入院させられて居る患者たちの人間模様を描いた1970年代のアメリカ映画の傑作です。(私は、この映画が大好きです)
その映画の中で、患者たちが、隠れて、クリスマスのパーティーを開く場面が有ります。
とてもファンタスティックな、感動的な場面です。
その場面には、「共産主義」に支配された祖国を捨て、アメリカに亡命したチェコ人の一人であったフォアマン監督の自由への憧憬がこめられて居る事は余りにも明らかですが、その『カッコーの巣の上で』の真夜中のクリスマス・パーティーと同じ事を、目の前でチェコ人達がするのを見て、その時、私は、本当に胸が痛む思ひをしたのでした。
時は流れ、彼らの国(チェコ)は自由な国と成りました。
もちろん、それで良かったのですが、あの時、『カッコーの巣の上で』のクリスマス・パーティーの様な、あの場に居合はす事が出来た事は、何と幸福な事だったろうと、クリスマスを迎えるチェコの人々に伝えたい気持ちです。
2011年12月24日(土)
クリスマス・イヴにハヴェル元大統領の冥福を祈りながら
西岡昌紀(内科医)
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