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神風連の乱と古典の解釈について
神風連は神道を奉じて復古主義・攘夷主義の実現を望む旧氏族の思想団体であったが、明治9年(1876年)10月24日夜、帯刀禁止令や散髪令に憤激した神風連170名は熊本鎮台を襲撃した。鎮台司令長官種田政明は愛妾小勝と官舎で同衾中を襲われ斬殺された。余談ながら、この時小勝が東京の父親宛に打った電文「ダンナハイケナイワタシハテキズ」は名文として後世に伝わり都都逸にもなった。
ところで、今日の若い諸君は種田司令長官が官舎で愛妾と同衾の事実を不謹慎極まりない行為と捉えるだろうが、それは間違いである。当時は妻妾令という太政官布告がなされており、力量のある男であれば妾を持つのは当然の行為であり、倫理に反する行為ではなかったのである。徳川幕府の大奥に見られるような男天国の流れが残っていたのである。
以上の他、赤穂浪士の討ち入りと切腹・会津白虎隊の切腹・太平洋戦争末期の特攻隊などの事実は、人間の人生観・死生観・社会観・倫理観などは時代とともに変化することを如実に示している。
よって言える事は、近松門左衛門の浄瑠璃・歌舞伎狂言を完全に理解するためには、江戸時代前期(元禄期)の歴史の勉強が必須不可欠であり、源氏物語を完全に理解するためには、平安時代中期の貴族社会に係る歴史の勉強が必須不可欠なものとなる。当時の人々の人生観・死生観・社会観・倫理観などの理解が出来ていないと作品の完全な理解は出来ないということである。
ここに、聖書は人類の宝とも言いうる貴重な古典であり、現在「新共同訳」「新世界訳」などが刊行されている。然しながら上述の理由により聖書を完全に理解するためには、紀元前4世紀頃の歴史の勉強のみならず考古学の勉強が必須不可欠のものとなる。極めて困難な作業と言わざるを得ない。
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