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『大化改新』劇では、まず中臣鎌子が登場して、蘇我氏を倒すために、『蹴毯の場』で中大兄に近づき、意気投合した。ところが、この『蹴鞠』の話も、『三国史記』[新羅」文武王に同じ話が登場する。統一新羅建国の立役者金管伽耶の末裔、金ゆ信。
金ゆ信は、金春秋と蹴鞠をしていて、春秋の服の紐(ひも)を踏んで、引きちぎってしまった。「幸い私の家が近いから縫わせましょう」と言って家に案内し、酒を出してもてなしたあと、それを縫わせようと、長女の宝姫を呼んだが、宝姫は出てこない。 末の妹の文姫が針と糸をもってきて紐を縫いつけた。春秋は、その美しい姫の態度や物腰に一目ぼれして求婚し結婚した。
これには、前置きがある。姉の夢(西岳の上で小用を足したところ、それが麓(ふもと)の都に流れて溢れて洪水になった )を買った妹(文姫)が王の妃となる。
一方、日本書紀では、蹴鞠がきっかけで親交を結ぶようになった二人(中大兄、鎌子)は、隠し事をせず、思うところ述べ合うようになった。…「この、謀りごとをうまく運ぶには、助けがあったほうがいい。蘇我の倉山田麻呂の長女を娶って妃として婚姻により(蘇我氏と)親しさを構築してください。その後に、謀を話して実行に移したい。」
鎌子は媒酌をかって出た。ところが、姉が盗まれたので倉山田臣はたいそう憂慮し、それを怪しんだ妹は、事情を聞いたの後、自分がかってでた。ついに妹が嫁いだ。C)
ポイント
・「日本書紀」・・・・中大兄に蘇我倉山田臣の長女が嫁ぐ予定が妹になった。
・「新羅本記」・・・・金春秋に金ゆ信の(姉の夢を買っった)妹が嫁いだ。
後の太宗武烈王(春秋)の妻・文明皇后*両者とも予定では、姉が嫁ぐはずが、妹に変わった点が一致する。この後の日本書紀皇極紀は、蘇我氏は逆賊とのストーリーが続き、秦氏の有名人「河勝」の話が登場だが、これなども秦氏の関与が感じることができる。
太秦(うずまさ)は 神の中の神と 聞こえも高い
禹都麻佐波。 柯微騰母柯微騰。 枳挙曳倶屡。
常世の神を うち懲らしめなさった。
騰挙預能柯微乎。 宇智岐多麻須母。
PDFのアップで失敗しました。リンクお許しください。簡単な表にしてあるのでこちらも参考に
1素人向けにしましたが、わかりやすいかどうか?
http://bian.in/manase8775/yusin614new.pdf
2こちらのほうがすごい(私邸と私第)証拠を挙げてあります。
http://bian.in/manase8775/kamatariF.pdf
A・Bは、新羅本記「文武王」から引用
後、數日 信與春秋公蹴鞠 因踐落春秋衣紐 信曰 吾家幸近 請往綴紐 因與倶往宅 置酒 從容喚寶姫 持針線來縫 其有故不進 其季進前縫綴 淡粧輕服 光艶人 春秋見而ス之 乃請婚成禮 *A
母金氏文明王后 蘇判舒玄之季女 信之妹也 其夢登西兄山頂坐 旋流國内 覺與季言夢 季戯曰 予願買兄此夢 因與錦裙爲直* B
請納蘇我倉山田麻呂長女。為妃、而成婚姻之眤。然後陳説、欲与計事。・・・中臣鎌子連即自徃媒要訖。而長女所期之夜被倫於族。〈 族 〉由是倉山田臣憂惶。仰臥不知所為。少女怪父憂色、就而問曰。憂悔何也。父陳其由。少女曰。願勿為憂。以我奉進、亦復不晩。父便大悦。遂進其女。奉以赤心。更無所忌。C)
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