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株式日記と経済展望
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NHKの番組で日米中の大学生が討論していましたが、中国の大学生は全員
英語で意見を述べていたのに、日本の大学生はほとんど英語が話せなかった
2011年9月11日 日曜日
英語ができても、バカはバカ。
「社内公用語化、小学校での義務化、TOEIC絶対視……ちょっと待った!」
マイクロソフト元社長が緊急提言
「英会話に時間とお金を投資するなんてムダ」
「頭の悪い人ほど英語を勉強する」
「楽天とユニクロに惑わされるな」
「ビジネス英会話なんて簡単」
「英語ができても仕事ができるわけではない」
「インターナショナルスクールを出て成功した人はいない」
「早期英語学習は無意味である」
――元外資系トップだからここまで言える!
挑発的かつ実践的な、真実の英語論
http://www.amazon.co.jp/dp/439661392X/ref=as_li_tf_til?tag=tsunoken-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=439661392X&adid=1QMCYWTWTM5KCCC32N51&
◆『日本人の9割に英語はいらない』のは事実だが、1割の成毛さんが言っちゃあおしまいよ 9月10日 tsunokenのブログ
http://tsunoken.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/9-69b2.html
問題は、企業が国際化しようが、海外に進出しようが、それはほとんどの日本在住の社員には関係ないことであり、関係するのはごく一部の幹部社員だけである。あとは観光業関係にいる人たちくらいは英語が喋れる方がよいだろう。まあ、そんなもん。
そもそも何で英語なんだろう、という疑問がある。企業のグローバル化に合わせて外国語の習得が必要だ、というならまず最初は「中国語」でしょう。あるいはベトナム語とかタイ語とか、マレー語とか、まずアジアの国々の言葉を喋れることの方が大事なはずだ。その次くらいに英語が来るわけだが、それだってヨーロッパでは使えない。フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語くらいかな。それらの国々にも英語を喋れる人たちが(それも日本人よりよっぽど巧みに)いるわけだが、でもそんな人たちだって英語よりも自国語の方が喋りやすいわけで、それらの国に入り込んでビジネスを行おうとするのなら、当然英語じゃなくて、その国の言葉を喋らなければならないわけだ。
世の中、英語、英語と大騒ぎするけれども、英語だけじゃ仕事が出来ない、というか結局、中途半端な仕事しか出来ないということなのだ。つまり、仕事に合わせてその仕向け地の言葉を話せなければ、一人前じゃないのである。じゃあ、言葉が喋れればいいのか、と言えばそれだけでは仕事は出来ない。「言葉が喋れる」ということと「仕事ができる」ということは、まったく関係ない。「言葉のセンス」と「仕事のセンス」とはまったく違うのだから、これは当たり前。それをどこか間違えて「外国語を話せる人は仕事ができる」と考えてしまう。自分に欠けている能力を持った人を見ると、何か自分よりレベルが上だと考えてしまうものだが、たまたまそれはその人がそういう能力を持っているというだけのことでしかない。別の場面では別の人が優秀に見えることもある。
英会話に関して言うと、成毛氏は三つの英会話に分類して考えている。つまり「日常英会話」「ビジネス英会話」「一般英会話」である。
日常英会話というのは、当然アメリカあたりで日常生活を送るために必要なレベルの英会話ということである。私に関して言えば、以前にも書いたことがあるが、赤坂のバーに屯すアメリカ人ビジネスマンと喋って覚えた酔っ払い英語であった。つまり、アメリカから遠く故国を離れて日本に来ているアメリカ人の出張者は当然一人でバーに来るわけである。そんな手持ち無沙汰の彼らと何故か親しくなった私は「えっ、なんだこんな程度の英語でいいんだ」とばかり、結構彼らとの会話を楽しんでいたし、それが多分学校で教わったよりずっと有意義な英語体験であった。
ビジネス英会話とは、そんな日常英会話に業界ならではの用語がプラスされる会話であって、シビアなビジネス交渉をする状況でもなければ、そんなに難しくはない。要は、お互い同じビジネスの分野にいる限りは、言葉だって同じ意味の言葉を喋っているわけだ。私の場合は、映像制作の仕事をしている時に、多く欧米と仕事をしていたのだが、実は映像(映画)の用語は基本的に英語(アメリカ語)であり、その日本語翻訳版だったり、日本語変形版だったりする。例えば、アフレコ(After Recording)というのは、ポストレコーディング(Post Recording)の日本で勝手に作ったバージョンだし、吹き替えのことを言うアテレコなんてアフレコという変な言い方を更に変にした言葉であり、英語ではDialogue Replacementということなのだ。この程度の英語だったら誰でも話せる英語だし、ハリウッドで英語版の吹き替えを3週間に亘って行ったときも通訳なしでなんの問題もなかった。ま、ビジネス英語なんてそんなもんよ、ということ。
で、一般英会話となるのだが、これが難しい。例えば、パーティーなんかで初対面の人と「源氏物語」について話すようなものだ。要は、大事なことは英語力じゃなくて日本語力とか、日本の文化・芸術・生活に関する知識なのだ。英語力としての問題は、そうした物事を英語で話せるかということである。これはかなり難しいが、でも、そこはそれ日本についての知識があれば、あとはブロークン・イングリッシュでお話すればいいのだ。
まあ、要は英語なんでブロークン・イングリッシュ、ジャパニーズ・イングリッシュで十分なのだ。実は、英語圏であってもいろいろな英語がある。カリフォルニアあたりの英語は、かなりいい加減な英語で、何故ならアジアからの英語を全然勉強していない移民たちとも話さなければならないという事情に影響されている。カリフォルニアあたりにいってしまうと、日本人の喋る英語はかなりレベルの高い英語、白人の次に位置するくらいの英語なのだ。
それがだんだん東に行くにつれて「英語臭さ」が増してきて、ボストンあたりの英語はかなりイギリス英語に近くて、でもまだアメリカの英語なので、非英語圏の人にも理解できるレベルである。それが大西洋を渡ってイギリスに行ってしまうと、もう殆ど日本人の英語は通じなくなってしまう。ロンドンの下町言葉のコックニーになってしまうと、まず99%日本人の英語は通じないだろう。
とまあ、ことほど左様に「英語」と言っても、実は「いろいろな英語」があるのだ。じゃあ英会話スクールってどこの英語を教えているんだろう。しかし、そんなことをパンフレットに書いてあるスクールはどこもない。「ウチはカリフォルニア英語だから簡単です」とか「ウチはロンドンの英語なのでちょっと大変です」なんてことをパンフに書いてあれば面白いのだが。
と、まあ英語については、私もいろいろ言いたいことがあるし、まだまだ話は尽きないが、でも本書に関してみれば1割の人が残り9割の人のことを言ってもなあ、というのが基本的にある。
ねえ成毛さん。「英語ができても、バカはバカ」というのは大正解だけれども、でも、そんな皆知っていることを今更言ってもねえ……。
(私のコメント)
昨日のNHKのサンデル教授の白熱教室では、震災復興について日米中の大学生が討論していましたが、異様に思ったのは中国の大学生が全員英語で意見を述べていたことだ。それに対して日本の大学生は一人を除いて日本語で意見を述べていた。中国は英語が話せる大学生だけを集めたのかもしれませんが、日本の大学生はなぜ英語で意見が言えないのだろうか?
一般の大学生なら英語が話せなくても当たり前なのでしょうが、トップクラスの東大や慶応の大学院生でも英語が話せないと言うのは驚きだ。大学院ともなれば博士の卵たちだから英語の資料を読んだり、英語の論文なども書いたりするのだろうから、英語くらい話せるのが当たり前と思っていたのですが、大学教授でも英語が話せる人はまれなのだから仕方がないのだろうか?
グローバル化社会で、これからますます英語で意思疎通する必要性が生まれて生きているのに、日本人の英語力は低下しているように思える。アメリカへの留学生も年々減少してきて、ハーバード大学では日本人留学生の新入生が一人しかいなかったというニュースを紹介したことがあります。企業や官庁からの留学生も減少しているようだ。大金をかけて留学させても成果が少ないから減少しているのだろう。
問題なのは、英語が出来て当然のエリートクラスの人まで英語が話せないことであり、成毛氏の本の名のように1割くらいの人は英語が話せるべきだろう。後の9割は英語を話さなくとも日常生活で使う機会は無いはずだ。にも拘らず小学校から大学まで英語教育が続けられるのはなぜなのだろうか? 私なども社会に出て英語を使う機会は全くなかった。だから英語教育など多くの人にとっては時間の無駄だ。
しかし残りの1割の人にとっては英語が話せなくてはならない人たちであり、政治家や高級官僚や会社の幹部社員や大学教授など英語が話せなければ海外との情報の交換すら出来なくなる。コンピューターエンジニアも、最新のコンピューター言語をマスターするには英語の資料が読めなくてはプログラムも作ることが出来ない。
特に科学技術用語などは英語が多くて、英文の資料が読めなければ研究すらままなりませんが、大学院生が英語ができないと言うのは、その必要がないのか、あるいは研究そのものをしていないかのどちらかだろう。中国のように英語が出来る大学院生を集めれば同時通訳の必要もなく議論もスムースなのでしょうが、日本では英語で議論が出来る大学院生がそれだけいないのだろう。
東大や慶応と言う日本のトップクラスの大学生ですら英語が話せないのでは、日本の国際企業に就職する時も英語力は問われると思うのですが必要ないのだろうか? 以前なら企業でもって海外研修させて英語の出来る社員を養成することもできましたが、今では即戦力が求められている。その即戦力が1割程度だろうと言うことだ。
問題はその1割の人が英語が出来ないことであり、大企業のトップですら英語が出来ないために国際会議に参加したがらない。もっと酷いのは日本の首相や財務大臣や外務大臣が英語が話せないために重大な損失を招いていることだ。さらには担当官庁の役人からもバカにされてしまうのも通訳なしで指しの会談が出来ないためだろう。
もちろん英語が出来ても仕事が出来ないのでは意味がないのですが、1割に入っている人は英語も仕事も出来る必要があると言う意味がある。しかし政治家を見れば分かるように仕事も出来なければ英語も出来ない政治家がほとんどであり、だから官僚の操り人形になってしまう。菅総理大臣が財務省の操り人形になってしまったのも菅氏がG7で英語が話せないために財務官僚に取り込まれてしまった。
楽天やユニクロが英語を公用語とすると言うことで話題になりましたが、日本マクロソフト社長だった成毛氏によれば、外資系企業でも本当に英語力を必要とする人は3%程度だと言うことです。元外資系企業の社長が言っているのだから確かなのだろう。にも拘らず一般の社員にまで英語を公用語として押し付ければどうなるか? ノイローゼが増えるだけではないだろうか?
成毛氏は英語学習に費やされる時間があれば本を読めと書いていますが、全くそのとおりであり、海外に非英語圏の小国では自国語で書かれた本があまりなく、専門書を読もうとすれば英語を勉強してマスターするしかない。しかし日本では主だった専門書は翻訳されて出版されるからそれを読めば済む。人口が1億以上の日本なら自国語に翻訳しても採算に合いますが、人口が数百万人程度の国では翻訳しても読者がいない。
昨日のNHKの番組にしても中国の大学生が英語が達者なのは、英語が出来ないと最先端の勉強が出来ないためであり、英語の専門書の翻訳出版が少ないからではないだろうか? 中国人のアメリカへの留学生が異常なほど多いのも、国内の大学では十分なレベルの学習が出来ないためだろう。そう考えるのは最先端の科学技術用語をどのように翻訳しているのだろうかと疑問に思うからだ。社会科学用語も多くは日本語からそのまま取り入れている。
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