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『蓮如』松原泰道/東洋経済新報社‘98年から
序章 現代人と蓮如
蓮如は80歳を過ぎてなお子供をつくれるほどの精力家で、体力が並外れて強かったのも事実でしょう。しかし好色漢というには当たりません。その女性たちはすべて時期が異なっていますし、そのうち一人としていわゆるお妾さんはおりません。蓮如の女性に対する誠実さは、法然や親鸞の思想を受けて「女人往生」を唱えたことを含めて、疑うべくもないと思います。
第一章 誕生前夜
(道元、蓮如の二世紀の時間差を超えた共通点は)強い無常観です。無常とはこの世にコンスタント(不変、恒久、常数)なものなどなに一つ存在しないということです。無常観とは、本来は(死とか滅亡というような)人間的な観念を越えた宇宙の真理を言います。無常観とは瞬間の持つ厳粛な意味を実感する人生観、世界観のことです。
第四章 女人往生
幕末の剣豪山岡鉄舟は、禅の奥義をきわめた人ですが、結婚してからも…浮気は激しいものでした。しかし鉄舟はただ色情に狂ったわけではないのです。いわば「性愛のなかにあって、性愛を越える」生き方を求めてもがき苦しんだのです。
たまたま彼は庭に咲いている花をみて、こつぜんと性の神秘、生殖の信義を見極めたといいます。
性欲は生命ある限りなくなるものでも、なくせるものでもありません。それを断絶しようとするのもまた迷いです。そこに鉄舟は気づいたのです。禅語にいう「流れに随って(しかも)流れに委せず」の境地に立ったのです。
蓮如も、またそういう境地にあったと思うのです。鉄舟もそうですが、蓮如にしても単なる女体遍歴ではないでしょう。
蓮如のそれはまた、親鸞に通じるものだと言えます。罪悪深重のわれらは念仏一途に生きる以外にない、…と人間の性(さが)の深い淵に身を投じたのではないでしょうか。
<「女人往生」の思想>
仏教の思想では、女性には「五障三従」といって、女性が成仏できない障害を挙げています。「五障」とは罪が深く、疑い深く、また男以上にこの世のことに拘泥するなど、仏になることのできない五つの障りをいいます。「三従」は、(インドや中国にある古くからの思想で)、女は幼い時は親に、嫁しては夫に、老いては子に従わなければならないという女性蔑視の思想で、これが仏教に入り込んだものです。
これに対して親鸞は、…男女貴賎を問わず、他力の信心をえて歓喜する人はすべて、仏となることが約束されている…そこにこそ親鸞の本心はあると私は思うのです。
こうした親鸞の「女人正機」「女人往生」の考えを。存覚の著書などを通してしっかりと蓮如は受け止めていました。
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