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(転載自由です)
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1978年の事と記憶します。
NHK(教育テレビ)で或る音楽会の演奏が放送されて居ました。
NHK交響楽団の演奏会で、指揮者が誰だったかは忘れてしまひましたが、或るヴァイオリン協奏曲の演奏がそのテレビ番組で放送されたのを、もしかすると、途中からだったかも知れませんが、私は、見て居ました。
その曲の最後の部分で、NHKのテレビカメラが、そのヴァイオリニストの表情と姿を映し出すのを見ながら、何と深い表情だろう、と思った事が今も忘れられません。
それは、本当に深い表情でした。そして、その深い表情と共に、そのヴァイオリニストが奏でるその曲の終はりの箇所に、私は、本当に、打ちのめされる感動を与えられたのでした。
その曲を聴いたのは、それが最初ではなかったと記憶します。しかし、とにかく、その静かな、子守唄が消えて行く様な、そのヴァイオリン協奏曲の終はりの部分に私は打たれ、今も良く、その映像を思ひ出します。
そのヴァイオリニストの名は、ギドン・クレーメル。そして、そのヴァイオリン協奏曲は、アルバン・ベルク(Alban Berg, 1885〜1935)のヴァイオリン協奏曲でした。
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昨日(7月18日(月・祝))、私は、東京のサントリー・ホールで開かれた、東京都交響楽団の演奏会で、このベルクのヴァイオリン協奏曲を聴きました。この曲を演奏会で聴くのは久し振りでした。
アラン・ギルバートが指揮する東京都交響楽団と、このヴァイオリン協奏曲を共演したおは、ドイツのヴァイオリニスト、ペーター・ツィマーマン(Peter Zimmermann)でした。初めて聴くヴァイオリニストでしたが、素晴らしい演奏でした。
大分以前から、私は、ベルクのこの曲は、この世で一番美しい音楽だと思ふ様に成りました。昨日も、その素晴らしい演奏を聴きながら、その思ひを深くしましたが、この曲には、或る悲劇的な言はれが有ります。
それは、次の様な逸話です。(昨日の演奏会でのパンフレットより引用)
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「私がいなくなっても、きっと大丈夫、お母さんは、なんだって平気で乗り越える人じゃない」そう言って、18歳のその少女は息を引き取った。母の心の痛みは癒えることがなかったという。
少女の名は、マノン・クロービウス(1916−35)。作曲家グスタフ・マーラーの妻アルマが、マーラーの没後に結婚した建築家クロービウスとの間にもうけた子だ。小児麻痺にかかり、1年以上も苦しみぬいた末の死だった。その「天使のように美しい」(指揮者ブルーノ・ワルター談)少女を、アルバン・ベルク(1885〜1935)もたいそう愛し、1935年4月訃報に接すると、創作中のヴァイオリン協奏曲をマノンに捧げることに決めた。
そしてそれは、夏には完成する。だが、衝撃的なことに、同年12月24日、ベルク自身も逝ってしまう。享年50。天使のためのレクイエムは、自らのためのそれともなってしまった・・・。
そもそも、この曲に着手したのは、ある「外注」がきっかけだった。注文主は、アメリカのヴァイオリニスト、ルイス・クラスナー(1903〜95)。折しも、ナチスの台頭により、急進的な作風のベルクへの風当たりが強まり始めていた頃のことだ。報酬も悪くない。ならばということで、オペラ≪ルル≫の創作を中断し、これを書いたのだった。
最初期のスケッチから、ベルクの反ナショナリズムのメッセージを読み取る研究者もいる。また、ベルクが愛した別の女性たちへの暗示が作品にひそんでいるとの見方もある。
(後略)
松木達也「曲目解説」(都響スペシャル(2011年7月17日・18日)
パンフレットより)
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ベルクがこの曲が書いた経緯には、この様な悲劇が有りました。しかし、ベルクが、マノンと言ふ少女の死を悼んで、この曲を作曲したのは事実としても、私は、それ以外に、何かが有ったのではないか?と思はずに居られないのです。上に引用した松木達也氏の解説でも少しだけ触れられて居る様に、私は、この曲には、何か、その少女の死を悼む感情以上の何かが隠されて居る様な気がして成らないのです。
それは、もちろん、ベルク以外の誰にも分りません。しかし、私は、いつの頃からか、この曲には、ベルクが、誰にも語れなかった自身の秘密の記憶が隠されて居ると思ふ様に成りました。そして、この曲を聴く度に、その私の確信は、深まるのです。
二十代の頃から、この曲を繰り返し聴いて来ましたが、その秘密は、永遠の謎です。しかし、昨日は、この曲の、美しい、静かな、子守唄が消えて行く様な、あの旋律を聴いて居て、この曲が、大震災で命を落とした人々の為に書かれた曲である様な錯覚を覚えました。
平成23年7月19日(火)
西岡昌紀
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(以下は、5年前の8月6日に、私がこの曲について書いた文章です。)
ベルクのヴァイオリン協奏曲にこめられた感情と追憶, 2006/8/6
By 西岡昌紀
レビュー対象商品: ベルク:ヴァイオリン協奏曲&室内協奏曲 (CD)
ベルクのヴァイオリン協奏曲は、この世で一番美しい音楽ではないだろうか?この曲には、『或る天使の思ひ出に』と言ふ副題が付けられて居る。その「天使」とは、ベルクが親しかったアルマ・マーラーの娘で、1935年に交通事故により、19歳で他界したマノンと言ふ少女を意味して居る。ベルクは、親しい友人の娘が、突然この世を去った事に心を痛め、この副題を付けた。しかし、私には、この副題には、同時に別の意味が含まれて居たのではないか?と言ふ気がしてならない。−−それは、私だけの思ひではない様で、昔の恋人への思ひがこめられて居るのではないか?等、様々な考察が為されて居る様である。−−だが、真実は、ベルクにしか分からない。音楽は、作曲家が、自分の心の秘密を隠す場所なのだから。(私は、ベルクは、売春婦に恋をした事が有るのではないか?と想像する事が有る。もちろん、全くの想像である。しかし、この曲には、そんな人に語れぬ深い感情と追憶がこめられて居る気がするのである。)
私が、今までに聴いたこの曲のCDで一番好きなのは、このCDである。もう一つ、パールマンと小澤征爾によるCDも素晴らしい。しかし、パールマンの音は明るい。渡辺玲子さんの音色には、明るさを抑えた深さが有る。−−その明るさを抑えた音色が、この曲の孤独と憂愁を、どれだけ深く、聴く者の心に伝えてくれる事か。−−作曲されて70年以上が経ったが、この曲の美しさは、なお十分知られて居ない。この曲の真価が理解され、更に多くの人々に愛される為に、私は、このCDを推薦する。
(西岡昌紀・内科医/広島に原爆が投下されて61年目の日に)
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