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<断面>植民地朝鮮措いた日韓の映画/忘れてはいけない痛恨の歴史
「しんぶん赤旗」 2011年7月1日付 9面
「映画で語る韓日関係の深層」をテーマにしたシンポジウムが6月11日、東京都内で開かれました。韓国の東北亜歴史財団と在日韓人歴史資料館が主催したもので、日本の植民地朝鮮を描いた2つの映画が上映されました。
日本人が描いた
一つは韓国の林権渾監督の「族譜」(1978年)。朝鮮人の名前を日本式に変えさせる「創氏改名」を描いています。「創氏改名」は、朝鮮の家族制度を解体して朝鮮人を天皇の忠実な「臣民」にすることを目的に1940年実施されたものです。
映画は、役所の末端で働く日本人を主人公に「創氏改名」の実態を明かします。700年続く一族の系譜を終わらせられないと拒み続ける朝鮮人大地主の苦しみを通して、日本が朝鮮で何をしたかが見る者に迫ります。
原作は1930年朝鮮で生まれ育った梶山季之の小説。植民地支配の実態を日本人が描いた数少ない小説の一つです。近年、岩波現代文庫に再刊され、ジェームス三木脚本・演出の芝居が上演されています。それよりもはるか前に、韓国で映画化されていたのは驚きでした。
戦争協力の事実
もう一つの映画は今井正監督の「望楼の決死隊」(1943年)。1930年代の朝鮮と「満州」の国境を舞台に、日本人巡査と朝鮮人巡査が協力して「満州」の「匪賊」から朝鮮の町を守るという話です。
映画がつくられた時期は第2次世界大戦の最中。朝鮮人も戦争に動員するための「国策映画」でした。今井監督自身が戦後、「自分の犯した誤りの中でいちばん大きい」と反省を語っているように、映画人が戦争協力映画に携わったという痛恨の事実があります。
2作品上映のあと行われたシンポジウムで、韓国の映画評論家、金鍾元さんは「望楼の決死隊」についてこう指摘しました。「日本人は支配者の観点で弱い朝鮮人を守る『国境警備隊員のヒューマニズム』に意味づけをした」。構民地支配を合理化する「国策映画」の果たした役割がいっそう明確にされました。
日本の植民地だった朝鮮の歴史とともに、映画が戦争に利用された歴史を忘れてはならない。気持ちを新たにしました。 (隅田哲)
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