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浅田次郎『自分の前にいるこの老人は、あたりの空気を染めてしまうほどの偉大な学究なのだと悟った。私たちはわけもなく、みな歩きながら泣いていた』
<老師について>
・北京の胡同に李啼平先生を訪ねた。同行した女性ガイドの強い勧めであった。過密な取材日程の中で、いささか不満であった。
だが、訪れた四合院の傾いた門楼の前に立ったとき、そこを訪ねねばならなかった理由に、何となく気付いた。その家のほの暗い内庭からは、まことにふしぎな、つつましく真摯な、あるいは簡潔で清浄このうえない風が、ふんわりと流れだしていたのである。
寒い夕昏どきであった。李啼平先生は紺色の詰襟服を着、小さなお体を折り曲げて異国からやってきた突然の来訪者を迎えて下さった。
私はまず、ひとめ見て強い衝撃を受けた。相手の誰であるかを何も知らずに「衝撃を受ける」などという表現は少しオーバーかも…しかしそのとき私は、たしかにわけもなく驚いた。
先生は両手で私の掌を握り、正確な日本語で「よくおいで下さいました、遠いところ」とおっしゃった。私はしばらくの間、ぼんやりと先生のお姿に見入っていた…。この人はいったい誰なのだろう。おのずとした漂い出るこの清らかな空気は、いったい何なのだろう。
「狭いところですけれど、どうぞ」
先生の居室に私は導き入れられた。そこでも、しばらくぼんやり…。
冷たい石造りの部屋、寝台と古い机。小さな卓と椅子。それだけだった。…
気恥ずかしいと思ったとたん、私は自分がぼんやりとしてしまった理由に思い当たった。つまり自分の前にいるこの老人は、あたりの空気を染めてしまうほどの偉大な学究なのだと悟った。
それから私は、何もしゃべれなくなった。…そのときの私は、老学究の小さな体からおのずと漂い出る空気に、まったく怖気づいてしまったのである。
李先生は世界中のどこを探してもいない、また歴史上ほかのどの国にも存在しえない、清廉な支那の(80歳の)老学究であった。
背を丸めてとつとつ語り始めた経歴には、毛ほどのてらいもなかった。
日が落ちると、気温はたちまち氷点下に下がった。葉の落ちたエンジュの並木道を、李先生は外套も着ずにはるばると私たちを送って下さった。
ようやく私たちの後を追うことをやめた先生は、冬枯れたエンジュの並木道に、老いた背を丸め立ちつくしておられた。そしてときどき、私たちに向かって手を振った。
黄砂のとばりが小さな姿を隠してしまったとき、私たちはわけもなく、みな歩きながら泣いていた。
先生の不遇な人生について嘆いたわけではない。私たちは、学問というものの正体を見たのだった。文化というものは、何の欲得も打算もなく、このようにして積み上げられてゆくものなのだと、初めて知った。
黄砂の中に消えて行く先生の姿は、誇り高き支那の叡智そのものだった。そして、清廉な士大夫の姿そのものだった。
中国の旅は、私にこのことを教えてくれた。
【出所】「勇気凛凛ルリの色 福音について」浅田次郎/講談社文庫 ‘07年
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