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赤川次郎 「三毛猫ホームズと芸術三昧!」/秘められた毒 芸術のつやに
朝日新聞 2011.01.13 東京夕刊
赤川次郎 「三毛猫ホームズと芸術三昧!」/秘められた毒 芸術のつやに
歌舞伎座のあった場所が、今は何もない空間になっているのを、前を通って目にするたびに、とても奇妙な気持ちになる。どんどん風景の変わっていく東京の中で、やはり歌舞伎座はユニークな位置を占めていたのだと改めて感じるのである。その一方で、あまり伝統芸能と縁のなかった日生劇場、ルテアトル銀座などで、歌舞伎が様々な不便をしのびながら上演されている。昨年12月の日生劇場は、「摂州合邦辻」の通しと、舞踏「達陀」の組み合わせで、昼夜同じ。(中略)
母の息子への恋情、というテーマの「摂州」は、これが実の母と息子なら、ギリシャ悲劇の「オイディプス王」の日本版となるところだが、こちらは、義理の母で、しかも、結末では、「実は違う意図のあってのこと」だったと説明され、また歌舞伎おなじみの「この日の生まれの女の生血」で息子の病が全快という話になって、少々がっかりする。
しかし、書かれた当時、世間に受け入れられるには、必要な妥協だったのだろうし、少なくとも義理の息子に寄せる思いが「本物」でなければ、成り立たない話でもある。
単なる「忠義」や「孝行」といったお題目を裏切る「秘められた毒」こそが芸術のつやになるのだ。
もともと歌舞伎ならではの女形というもの自体、男が女を演じてみせるところに一種の「危うさ」を秘めている。また「三人吉三」など、明らかに「男の友情」を超えた恋愛感情に達している。
そういえば、先日石原都知事が同性愛者について、「やっぱりどこか足りない感じがする」と発言するのを聞いて唖然とした。こと芸術の世界に限っても、同性愛の人々がどんなに大きな役割を果たしてきたか。
さらに私が驚いたのは、この差別発言を批判するマスコミがほとんどなかったことだ。相撲に勝った横綱がガッツポーズをしただけで「品格がない」と文句をつけるのに。「品格」を求める相手を間違えてないか。「品格より力だ」というなら、ナチスドイツが同性愛者を弾圧したのと、全く同じ発想である。
文豪トーマス・マンは75歳のとき、たまたま泊まったホテルの若いボーイに激しい恋心を抱いて苦しんだ。マンを敬愛していたルキノ・ヴィスコンティも同性愛者だった。「どこか足りない」のは、発言した当人の方であろう。
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