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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu223.htm
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英語の拡大に伴い、スウェーデンでは「分野の消失」の危険性が叫ばれ
るようになりました。その国の科学や文化が消失してしまうという意味です
2010年9月7日 火曜日
◆The Enligsh, French and Swedish documents are revised in May 2005.
http://www.2-2.se/ja/index.html#toc
◆なぜ母語は大切か
http://www.2-2.se/ja/11.html
この章はスウェーデン人以外のみなさんにとっても、とても大切な内容ですので、ぜひ飛ばさず読んでください。ここでお話することは、私の母語であるスウェーデン語に限らず、世界中のほとんどの言語にも当てはまることです。みなさんの母語がまだ危機に瀕していなくても、もしかして数年後にはそうなっているかもしれないのです。私たちはお互い助け合うべきなのです。少数の言語しか存在しない世界に向かって進む道は、不安と争いで満ちているのです。
世界では英語による植民地化が進行しています。外国から受ける政治的、文化的、技術的な影響は好ましくない影響を与えるというよりは、かえって豊かにしてくれることがわかっています。しかしあまりに急速に英語の影響を与えたために、今やスウェーデンの言葉や文化を脅かす存在にまでなってしまいました。スウェーデン人言語学者の中には、数世代後には、スウェーデンの主要言語は英語になってしまうかもしれないと言っている学者もいます。そのときには、言語だけではなく、文化も英語に支配されてしまっていることでしょう。
何千語という言語が消える
言語学者らによると、100年後には、何千という言語が消えてしまうそうです。
スウェーデンでは、状況によっては、スウェーデン語より英語の方が主に使われることがあるという困った状況になっています。ここ何十年かで、特に自然科学、医学、工学といった分野の研究や高等教育で、英語がだんだんと力を増しています。
分野の消失
英語の拡大に伴い、スウェーデンでは「分野の消失」の危険性が叫ばれるようになりました。ここでいう「分野の消失」とは、科学や文化において、ある分野そのものそっくり失ってしまうという意味です。
例えば、医学に関する「分野の消失」の例として、次のような現象がみられます。
医学の参考書物の大半を英語が占めている。
医学の講義またはコースそのものが英語で行われている。
医学論文のほとんどが英語で書かれている。
学術論文の大部分は、概して英語で書かれています。スウェーデン語の論文には英語の要約を必ず付けなければなりませんが、英語の論文にはスウェーデン語による要約は必要ではありません。
言葉だって死ぬ
言語が衰え消えてしまうとき、一体そこでは何が起こっているのでしょうか。ある分野で一旦言語の使用が止まってしまうと、もはやこの言語はその分野におけるコミュニケーション手段として発達しなくなってしまいます。新しい事象に対応する言葉も生まれなくなってしまいます。例えば、スウェーデン語が医学研究の分野で使われなくなったとしましょう。その場合、やがてスウェーデン語で話した方がいいような場合でも、新しい研究に関して書いたり話したりするためにスウェーデン語を使うのは難しくなるでしょう。これは、医学のある分野において、スウェーデン語がある医学知識を説明する言語として機能を失ってしまったという、「分野の消失」のシナリオを表しています。もしこのような状況が続けば、学生はもっぱら英語で医学を学ぶばかりであり、スウェーデン語から医学全体が遠ざかってしまうということにもなりかねないのです。
スウェーデン語審議会(Svenska Spraknamnden)では、「分野」全体がスウェーデン語を必要としなくなってしまうのではないかと憂慮しています。国際化がますます進む政治の世界においても、銀行業、財政、コンピュータ、情報技術の世界においても、スウェーデン語の単語と表現が不足しています。このことを考えれば、スウェーデンの教育と研究が英語で行われていることは、何も不思議なことではないのです。
スウェーデンがEUに加盟して以来、政治の分野において、英語が重要な役割を占めるようになりました。産業や商業では、スウェーデンの多くの会社が、英語を企業言語として採用しています。つまり話すときには主に英語を使い、書類は英語で作成するといった具合です。こういったケースでは、スウェーデン人同士がコーヒーを飲むときぐらいにしか、スウェーデン語を耳にすることができません。
ここで起こっていることは、つまり、スウェーデン語が自国の文化と社会を伝承する力を失いつつあるということを意味しています。
スウェーデン語から英語への「分野の消失」は、とりわけ、社会に関する民主主義的な議論からほとんどのスウェーデン人が締め出され、大事な知識からも遠ざけられてしまうことを意味します。このような「分野の消失」は、数々の問題を引き起こします。例えば、専門家以外の人々に知識を広めることが困難になります。科学研究における問題を見通す力を弱め、様々な疑問に対応するために欠くことのできない一般の議論が開かれる機会も減少します。将来、科学者たちが自分の母語で科学的知識を語ることができないからといって、環境や医療の論議などに関する科学者の知識もろとも、国内の議論から隔絶されてしまってもいいと思いますか。
遺伝子工学は私たちみんなのこと
スウェーデン語に適切な専門用語が存在しなければ、専門家と専門家以外の人々の間のコミュニケーションは、困難に満ちたものになるかもしれません。私たちスウェーデン人がスウェーデン語で、遺伝子工学や国民経済について議論できるということは、非常に大切なことなのです。新たな発見がスウェーデン語で普及しなければ、スウェーデンの企業がそれらの発見を利用できる可能性は減ってしまうでしょう。
分野の消失は、雪だるま式にどんどん周辺の分野を引き連れ、大きくなってしまいます。今日のスウェーデンがいい例です。スウェーデンの小学校、中学校、高校では、その後に続く高等教育の大部分が英語で行われている現状を踏まえ、ますます英語による教育を増やしています。
家庭の言葉
もし様々な分野がスウェーデン語から次々と姿を消していったら、社会に大きな反響を引き起こすでしょう。スウェーデン語はもっぱら日常語や家庭の言葉として使われ、英語がスウェーデンの公用語(学校および職場、行政機関などで使用される言葉)として使われるというような結果になるかもしれません。このような地位の「高い」言語、「低い」言語が存在するという現象は、そう珍しいことではありません。例えば、以前植民地だった国などでは、国民の大多数が母国語を別にもっているにもかかわらず、植民地時代の言語が、今でも学校で一般的に使われているのはよくあることです。しかし、これらの国でみられる前例は、あまり好ましい例とは言えないようです。それどころか、教育が貧しい成果しか生み出せず、社会的緊張まで招く、間違いなく不健康なものなのです。
みなさんは、私が単に大げさに話しているだけだと思うかもしれませんが、残念ながらここで述べていることは事実なのです。
競争力をつけるか、消えるか
私たちが気がつかないうちに、スウェーデン語はだんだん衰弱しています。いずれ同じスウェーデン人でも、英語を話せる人と話せない人の二つのグループに分かれてしまうでしょう。スウェーデン語が邪魔な存在となり、地域社会に息づく豊かで自立した言葉としては、もはや機能しなくなるでしょう。これは民主主義を脅かすものです。そんな状況にスウェーデンが陥ってしまったら、今さらエスペラント語を導入しようとしても、もう遅いのです。そうなると、日々国際化が進むこの競争の激しい世界で、スウェーデンがその地位を守り続ける道は一つしか残っていません。英語で教育を受けた学生の割合を増やすしかないのです。競争力をつけるか、または消えていくかの二つしか、選ぶ道はないのです。スウェーデン語が。英語に取って代わることなどまずあり得ません。この激しい国際競争を必死で乗り切ろうとしなければ、再び私たちがこの高度に発達した福祉制度を手に入れることは不可能でしょう。より多くのスウェーデン人が英語を自由に話せるようにならない限り、この科学技術の上に築かれた世界市場で生き残ることはできないのです。
スウェーデン語の勉強はそんなに大切じゃない
スウェーデンでは、自分の子どもを、英語で教育を行っている中学、高校に入れようとする親が増えています。語学教師の話によると、子どもにはしっかり英語を勉強して欲しいが、スウェーデン語はそれほどきっちり学ばなくてもかまわないという親もいるそうです。確かにこの英語社会では、小学校に上がったときから、すべての教育を英語で行った方がいいのかもしれません。
仮に、私たちスウェーデン人が英語を話す国民だとしたら、EUにおけるスウェーデンの発言力はもっと大きかったのかもしれません。
英語を話すEUと、アメリカ、カナダ、オーストラリア、その他の英語圏の国が一緒になって、英語以外のほとんどの言葉を社会の進歩から取り残しつつ、願わくは、長期的に英語の占拠する世界を作ろうとしているわけです。このこと自体は、私が理想とする、すべての人が互いに意見を交わせるよりよい世界になるわけですから、よりよい世界につながると言えるのかもしれません。
高まる民族間の緊張
スウェーデン語から英語への変遷は、そのプロセスの間中、スウェーデン社会を苦しめることでしょう。民族的背景と階級により分けられた人々の溝は深まるばかりでしょう。私たちは言葉を使って知識や経験を整理します。その言葉が違う言語に変わってしまうと、結果的には大量の知識を失うこととなり、近い将来、国際競争をくぐり抜けていくことは一層困難になります。
スウェーデンが研究先進国としてその地位を守り続けるためには、スウェーデンの科学者が英語を話せなくてはいけません。しかし、彼ら科学者がスウェーデン語で自分の研究内容について、英語同様に話したり書いたりできることは求められていません。「人間にとって母語とは、言語という乗り物と、精神という乗り物を動かすエンジンのようなものなのです。」最もよい成果をあげようと思えば、科学者は翻訳家を雇い、自分の母語で文章を書くべきなのです。スウェーデンの言語の権威によると、人は自分の母語で考えるときに、最大の能力を発揮できるのだそうです。
地方の博物館
もちろんいくつかの分野では、英語が使用され、その分野で最も有力な言語になっても構わないのです。科学や労働市場の国際化により、英語しか実務用語として通用しないことがよくあります。しかし、ある分野において、スウェーデン語が全く通用しなくなったとき、つまり、発達を続けるコンピュータ言語、遺伝子工学、家族法、農業経済について、スウェーデン語で話したり、書いたりできなくなったときが問題なのです。その時、人々は愚かになりはじめ、社会的格差が生まれるのです。たくさんの分野がその影響を受ければ受けるほど、その現象はひどくなります。この「分野の消失」を何度も経験した言語は、最後には、家庭生活や儀式、地方の博物館といったところでしか使われない、狭く限られた言語になってしまうのです。
私たちEU加盟国は、今、言葉の選択に迫られています。明日では間に合わないのです。今何が起こっているのかを知り、私たちの運命に対して責任を負わなければならないのです。24もの公用語をもつEUでは、組織としてうまく機能しません。通訳や翻訳に法外な経費がかかるでしょう。会議、書類すべてを、あらゆる言語に訳すに足るだけの経済力と人材があると思うのは、あまりに非現実的です。EUが24もの公用語をもつことを認めるのは、実は、英語がますます支配を強める世界や文化を認めることでもあります。さらに、多様な文化が存在するヨーロッパを否定し、少数の文化しか存在しない世界を認めることを意味するのです。
(私のコメント)
英語を公用語とする言葉の問題は「株式日記」でも何度も書いてきましたが、最近ではEUの国際会議でも英語で演説をするフランス人やドイツ人も多くなりました。だから国際会議における日本の発言者は通訳を挟まなければ発言ができないので機会が狭まってしまう。しかし英語は公用語として適しているのかと言うと英語は非常に難しい。
会話自体はフランス語やドイツ語や他の外国語と変わりがないのでしょうが、表記が非常に複雑であり、同じ単語でも文脈によって意味も違ってきます。ヨーロッパ人なら文化が近いから英語を身につけるのは簡単と思いがちですが、スウェーデン人の医者であるハンス・マルブ氏にとっても英語は難しい言語だと指摘している。
英語を母国語とする人口は決して多くは無く4億人弱しかいない。中国語やスペイン語を母国語とする人のほうが多いのですが、経済力や科学技術力などの分野での影響力で英語が世界の公用語としてデェフェクト・スタンダードになっている。楽天やユニクロなど英語を社内の公用語とするニュースがありましたが、ユニクロに行ったら英語で社員に話しかけなければならないのでしょうか?
EUの発足によってヨーロッパ人たちは20あまりもの公用語が入り乱れる事になり、便宜上英語の公用語化が進んだ。通訳を介していては費用がかさむ事になり手続きも複雑になる。ヨーロッパの教育においても高等教育は英語で行われる事が多くなり、スウェーデンでは小学校から英語教育が行なわれて中学や高校では英語で教育が行なわれる学校を選ぶスウェーデン人が増えている。
このままではヨーロッパも英語の植民地化が進む事になり、とくに人口の少ない北欧では英語が彼らの母国語になる日も近いのではないだろうか? 人口が数百万人では図書の翻訳も採算に合わないし専門図書は英語を学んで読まなければ高等教育も成り立たない。だから欧州のインテリはみんな英語が出来る。
しかしその事は、その国の科学や文化が消失する事を意味しており、それらの国の歴史も失われた言語を学びなおさなければ分からなくなる。学術論文も英語で書かなければ学界から評価の対象にならなくなり、多くの英語を母国語としない国民は英語の学習のハンデが負わされる事になる。しかし英語は簡単な言語ではない。
◆英語
http://www.2-2.se/ja/19.html
英語には、色々な種類があります。それぞれ固有の単語と発音をもち、つづりの違う単語もたくさんあります。アメリカ、オーストラリア、ベリーズ、カナダ、イギリス、フィリピン、香港、インド、インドネシア、アイルランド、ジャマイカ、マレーシア、ニュージーランド、シンガポール、南アフリカ、トリニダード・トバゴ、ジンバブエで使われている英語は、それぞれ話し方、つづり方が異なります。地方で話されている英語の多くは、普通の英語を話す人々には理解できなかったり、理解しにくかったりします。このような違いは、イギリス英語やアメリカ英語にも見られます。英語を話す国の多くは、それぞれの国の理由から、自分の国の英語をこれからも使い続けたいと考えています。
ほかの多くの国々と同様、スウェーデンでも学校では主に容認発音(RP)という英語を教えています。この英語はまた、オックスフォード英語、クウィーン英語、BBC英語とも呼ばれており、イギリス人口の3〜5%の人しか使用していません。このRPという英語の中にも異なる形態が存在します。イギリス諸島で一般的によく使われている英語は、コクニー英語、エスチュアリー英語、ウェールズ英語、北部英語、アイルランド英語、そして異なる方言がいくつか存在するスコットランド英語です。
一般アメリカ語
アメリカには、少なくとも方言が3つあります。北部英語(米国北東部、ニューイングランドおよびニューヨーク)、南部英語(バージニア州からテキサス州までの地域およびメーソン・ディクソン線より南全域)、その他の地域で話されている一般アメリカ語の3つです。
英語はつづりが難しく、文法が不規則で例外だらけの言語です。母語が英語でない人のうち一体何人が、政治、労働組合、感情に関する内容について議論するのに、自分の言いたいことを十分に英語で話したり、書いたりできるでしょうか。せいぜい数パーセントに過ぎず、その人たちはみな、誰もが言語の才能に恵まれた人なのです。アメリカ大統領のスピーチの内容を理解し、その内容についていけることができる人は一体何人いるでしょうか。多くはないはずです。英語を難しくしている要因の一つに、英語は言語の変化のスピードが速いということがあげられます。書き言葉でも俗語表現の使用が増え、それらは政治的、専門的な文章にさえ見られるようになりました。
しゃっくり
母語が英語である人にとっても、つづりを習得するのは難しいのです。例えば、次のつづり“ -ough”の発音の仕方は6通りもあります。以下の単語の発音を比べてみてください。
though, tough, enough, through, plough, cough, hiccough
17世紀から変わっていない
英語のつづり方は17世紀からほとんど変わっていません。英語の表記法を一新することはできないのでしょうか。残念ながら、英語には一つの文字が一つの音を表すというシステムがないので、それは無理な話です。実際の20音の母音を表すのに、英語の5つの母音の文字では足りません。もし表記法を改変したとしても、新しくアルファベットを増やすか、または英語の発音体系そのものを改変しなければなりません。どちらの方法も現実的な方法とは言えません。英語は世界中それぞれの地域によって、発音が大きく異なるので、どの地域の英語をもとに新しい表記法を作るか、意見をまとめるのはほとんど不可能です。そのうえ、英語表記の改変を実行に移せるような権威をもつ言語機関がないのですから、やはり表記の改変は無理なようです。
スウェーデン人英語学者、ヤン・スヴァルトヴィック(Jan Svartvik)は、著書の中で次のように述べています。(出典参照)
「英語の人気がとくに高まり、世界中に広く普及しましたが、この状況はかえって、将来英語が国際語になる可能性を難しくしています。世界で話されている英語の中には、わかりにくい英語もあります。お互いに理解し合えなくなるほど、英語がさらに複雑に分化するという、困った状況にもなりかねないと危惧する人も少なくありません。…」
「…学者たちは、英語に関する、ますます多くの論文を書いています。マック・モレイ(Mac Murray)は、母語から別の外国語に切り替える危険性について、貧困な英語力は貧困な思考につながる、ということを次のように示唆しています。『英語が母語でない人が科学雑誌に書いた英語の文章は、微妙なニュアンスに欠けた含みのない文章である。』」
111人の医者
2000年、デンマーク人とノルウェー人とスウェーデン人の一般開業医111人が、10分間、全く同じ内容の論文を読むという実験が行われました。被験者の半分は母語で、残りの半分は英語で読みます。実験直後、被験者は論文の内容に関する質問項目に答えます。この実験に参加したデンマーク人、ノルウェー人、スウェーデン人の医者は、誰もが学校教育の早い段階から英語を学び始め、テレビや映画を通じてずっと英語に慣れ親しんできた人ばかりです。また、彼らの母語は英語に近い言語です。医学コースの学術論文の大部分を英語で読んできており、今でも被験者の多くが、英文の医学雑誌を講読しています。被験者となった医者は自らの英語理解能力が優れていると答えています。また、毎週、英語でなんらかの医学情報を得ている人は全体の42%でした。
実験結果では、自分の母語で論文を読んだ被験者の方が、英語で論文を読んだ被験者に比べ、はるかによい結果を示していました。英語で論文を読んだ人は、母語で呼んだ人の数値から25%も下回る数値を示していました。
出典:Lakartidningen(スウェーデンの医学専門雑誌), 26−27号, 2002年
一般のスウェーデン人学生は、中学校卒業(9年間の義務教育)の時点で、表現語彙:約1000語、理解語彙:約1500〜2000語を習得しているべきだとされています。(後略)
(私のコメント)
日本で本当に英語が公用語となって英語を学んでもはたしてそれがプラスになるだろうか? スウェーデン人のハンス・マルブ氏の記事にもあるように、英語の文献とスウェーデン語の文献を読まして理解力を計ってみたら、英語の文献を読んだグループでは理解力で25%も劣っていた。
母国語を棄てて英語を公用語化すると言う事は、アメリカ人やイギリス人に比べて25%のハンデが課される事であり、これでは各分野の研究もアメリカ、イギリスに立ち遅れてしまう事になる。ヨーロッパ人にとっても完全に母国語を捨て去る事は困難であり、難しい英語を身に付けなければならない。インドやフィリピンは英語が公用語ですが、他のASEAN諸国に比べると高度経済成長に立ち遅れているのは英語のせいだろう。
「株式日記」を毎日書いていて、コメント欄を見てみると、かなり誤解して読んでいる人がかなりいるようだ。日本人が日本語の文章を読んでも長文となると完全に理解する事は難しい。それが英語だったら理解不足は25%どころではないだろう。5%も意味の分からない単語があるとその文章は理解できないと言う事ですが、それほど文章を介在させて意味を伝える事は難しい。
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