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(回答先: 二百年の子供−童子について(羽鳥ログハウスの四季) 投稿者 gataro 日時 2010 年 7 月 03 日 16:05:13)
以下は「朝日新聞記事情報/G-Search」から検索、貼り付け。
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劇場の夢、いつまでも 井上ひさしさんお別れの会
2010.07.03 東京朝刊 35頁 朝刊文化 写図有 (全2,214字)
1日に東京・丸の内の東京会館で開かれた作家で劇作家の井上ひさしさんのお別れの会には、約1200人の文学、演劇関係者が集い、200人のファンらが記帳に訪れた。会場に並べられた400冊もの著作が、のこした仕事の大きさを物語っていた。
作家の丸谷才一さん、大江健三郎さん、演出家の栗山民也さんの3人が弔辞を述べた。演出家の蜷川幸雄さん、映画監督の山田洋次さん、俳優の黒柳徹子さん、大竹しのぶさん、作家の阿刀田高さん、宮部みゆきさんら、親交の深かった人々で広い会場は埋め尽くされた。
井上ひさしさんの「お別れの会」で弔辞を読む大江健三郎さん=1日午後、東京・丸の内、伊藤進之介撮影(「井上ひさしは天才です」 関係者ら千人余、別れ惜しむから)
会の終わりには、小曽根真さんのピアノ演奏で、俳優たちが井上作品の劇中歌を歌った。最後は「マック・ザ・ナイフ」のメロディーに井上さんがつけた歌詞「劇場は夢を見るなつかしい揺りかご……その夢の真実を考えるところ」を合唱。音楽好きだった井上さんにささげた。
(弔辞要旨)
●大衆の一員、鋭い批評家 丸谷才一さん
皆さんもそうだと思いますが、思い出すことが多い。人柄が魅力的だったし、口にすることに中身があって、愉快で面白かった。しかし私が語らなければならないのは、日本文学史における井上ひさしの位置でしょう。
平野謙は、1930年代初頭の日本文学について芸術派と私小説とプロレタリア文学が並び立っていると見た。この図式は現在にもあてはまるのではないか。
芸術派にあたるのはモダニズム文学で、代表は村上春樹の、アメリカ批評の用語で言えばロマンスでしょう。私小説は、作者身辺の事情に好んで材を取るという意味で大江健三郎ではないか。そしてプロレタリア文学を受け継ぐ最上の文学者は、井上ひさしに他ならない。その志は一貫して権力に対する反逆であり、常に弱い者の味方だった。
彼は高い知性の持ち主だったけれど、いつも大衆の一員であった。そして、この劇作家の内部に俊敏で鋭くて賢い批評家がひそんでいた。
この批評家としての能力が、昭和史という悲しい題材に立ち向かったとき、一連の歴史劇が生まれた。民族の愚行をしめやかに嘆きながら、満州事変から8月15日までの死者たちの分まで、我々は幸せに生きなければならない、彼ら死者たちに対するそういう責任を今の日本人は果たしているか、と問いかける。
その痛烈な問いかけを、ひさしさんは例のおもしろい趣向、あたたかい思いやり、笑いと涙、たくさんの歌と踊りと一緒にして差し出した。
私たちは井上ひさしの芝居を見物し、拍手喝采したことを、後世の日本人に対して自慢することになるでしょう。
●「真に人間的なことがら」問う 大江健三郎さん
井上ひさしさん晩年の演劇の仕事は質、量ともに驚くべきものでしたが、小説家井上ひさしは壮年期の傑作『吉里吉里人(きりきりじん)』に匹敵する長編を書くことを断念したのかという遺恨の思いが、私にはありました。しかしその死の後に届いた新作小説『一週間』は、まさに晩年の傑作でした。舞台でなじみのドンデン返しの、最大規模のものを見る気分でした。
小松修吉という中年男が、シベリアの日本人捕虜六十万の状況改善をもとめて立ち上がります。たったひとりの闘いは、作者一流の奇想を武器として、極東赤軍を追い詰めるかのようです。さらに修吉の働きぶりと心情に、井上ひさしの人間観がユーモラスに深く表現されているのに私は打たれました。人間が辱められてはならず、人間を辱めてもならぬという確信。
井上さんが最後の病床で私の小説『水死』を読まれてのメモに、次の一行がありました。《圧倒的なアカリくんの存在。/真に人間的なことがら以外では和解しない。》
この小説で私は、障害のある息子が友人の遺品の楽譜に熱中して、マジックで書き入れたのに逆上し、「きみは、バカだ!」といってしまいます。『水死』の終わり近く、アカリと父親に会話は戻りますが、井上ひさしはゴマカシを見抜いていました。アカリにとって音楽こそが真に人間的なことがらだ、それ以外では和解しない。そこを外していいのか?
実際には凍ったままの息子との関係を解きほぐさなければならず、それを小説で確かめもするでしょう。井上さんのメモを机の前に置き、私はこの「晩年の仕事」を準備しています。ひさしさんに読んでもらうことはできませんが、かれに向かって書きます。いつまでも、ありがたい付き合いでした。
●一字一句、間違わず伝えていく 栗山民也さん
舞台の顔合わせの日に、いつもこうおっしゃっていましたね。「一字一句間違わずにしゃべってください」
一つの解答などないから、ペンをとる。作品が出来上がった後も、あの場面は何を言いたかったのかなどと、複数の問いを自分の中に持ち続け、その問いは新しい作品へとしっかりつながれていった。答えを求めるためにではなく、問い続けるために書いてこられたのですね。
目の前に、たくさんの言葉でつづられた、たくさんの物語が並んでいます。いつまでも語り継いでいかねばならない「フツーの人間たちのフツーの生活」を描いた物語です。今の私たち、これからの人たちにとって、大切な財産です。一字一句間違わぬよう伝えていきます。
井上さんの周りには、いつも笑いがありました。その笑いは、どんなに苦しくつらい時でも、誰もが元気に生きていけるのだという明るい勇気と覚悟を与えてくださった。大入りの客席で千秋楽を迎える井上さんに心から拍手を送ります。
朝日新聞社
(* 記事付属の写真がないので、別の電子版記事から写真を拝借)
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