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言語は政治的につよい意味を持っている。母語が国際共通語である話者は、グローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受 http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/360.html
株式日記と経済展望 2010年5月13日 木曜日 GLPとは、Gross Language Productの略で1年間に各言語の話者によって
世界には数千(一説には8000以上)もの言語があるといいますが正確な数は不明です。 一部の国や言語に力が集中する理由を考えると歴史的・地政学的冗長話になりそうだから置いておくとして、国別の経済力がGDPで測れるのであれば、言語別の経済力を表す指標もあってよさそうなものです。ということでネットを徘徊して「言語の経済力」というべき統計を海外サイトで見つけました。 GLPとは、Gross Language Productの略で1年間に各言語の話者によって生み出される全ての最終的な商品とサービスの総市場価格のことをいうそうです。 次に、インターネット上で使用される言語をみてみます。インターネットは通信インフラの整備や教育が体系的になされていること、そして一定水準以上の所得がないと普及しません。そのため、普及率の上昇の程度やネットユーザー数を確認することで、その「言語圏の成長力」もしくは「言語圏の潜在力」を推測します。 インターネットでもチャイナ・インパクトが強烈です。経済力の上昇と共にインターネット人口が急速に増えています。(そんな中国に喧嘩を売ったGoogleの真意と結末が気になるところです。) 10年くらい前までは、将来はインターネットによって世界言語としての英語のパワーが支配的になるのかなと思ってましたし、実際にそういう論調が多かったような気がします。しかし、現実にはそうはなっておらず、シュミットが言うように数年のうちに中国語がネット上で最も使われる言語となる可能性が高いことがこれを証明しています。一方で、日本語、ドイツ語、韓国語などは伸び率が低く浸透度からみてのびしろも大きくないため、今後ネットにおける使用言語としての地位は落ちていくでしょう。 ネットから締め出された言語がこれから生き残っていくのは難しいかもしれないですね。100年後、世界中がインターネットで繋がっている未来で、果たしてどれだけの言語が残っているのでしょうか。
大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。 ご案内のとおり、20世紀末に、インターネット上の共通語の地位を獲得したことによって、英語は競合的なヨーロッパ言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語)を退けて、事実上唯一の国際共通語となった。 これは伝統的な帝国主義の言語戦略である。 日本の語学教育が明治以来読み書き中心であったのは、「欧米にキャッチアップ」するという国家的要請があったからである。 「英語」では、古典を適切な日本語に翻訳すること、修辞的に破綻のない英文を作ることを教育目標に掲げる。 小学生程度の英語を流暢に話す技能を「英語ができる」と評価することに私は反対である。それは「リンガ・フランカがよくできる」という項目で評価し、「英語ができる」という言い回しは「仮定法過去完了」とか「現在分詞構文」とかがぱきぱきと説明でき、He is an oyster of a man というようなセンテンスを嬉々として作文に使う子どものために取っておきたいと思うのである。
日本人で英語を流暢に話せる人があまりいないのは英語を習得する事が難しいからですが、日本の学校教育における英語教育が歪んでいるからだろう。語学というのは実際に使わないと身につきませんが、日常生活において英語を使う機会はほとんどない。アメリカ人など英語を母国語として話す人が身の周りにいないし、テレビも新聞もみんな日本語で間に合う。 英語を必要としている人は学者とかジャーナリストとか大企業の社員とか政治家といったトップレベルの人たちなのですが、彼らにあまり話せる人がいないのが問題なのだ。私のようなローレベルの一般市民に英語教育を施しても効果はあまり上がらないだろう。それとも将来は日本語を廃止して公用語を英語にしようとでも思っているのだろうか? 本当に英語が必要ならば学校で教えなくても人々は必死に英語を習得するだろう。しかしそれらはローレベルの英語であり、高度な文化内容を吸収するのには役に立たない。翻訳する為の英語学習と外人と会話する為の英語学習とは別と考えた方がいいのだろう。そして英語は外人とのコミニケーションの手段であり英米人の話す英語とはかなり発音などが異なっていても別にかまわないはずのものだ。 文章なども英米人から見ればおかしな文章でも外人同士で通じればいいのだろう。だから高校や大学などにおける入試科目から除外すべきだし、採点の基準も曖昧なものになるからだ。このように国際的な公用語としての英語と英米人が話す英語とは発音や文法など違っていても通じればいいと言った国際語が将来できるだろう。 だからアメリカ人やイギリス人がいちいち発音や文法などにクレームを付けるといった事は無視すればいいのだろう。層でなければ外人同士が使う公用語としての英語は成り立たない。英米などでは発音や言葉遣いなどで教養のレベルを計ることがあるようですが外人にそれを言ってみても無意味な事だ。 日本においては英語を第二公用語とするよりも翻訳する事で高度な文化を取り入れてきた。これは古代から中国の文化を受け入れてきた方法と同じであり、英語においても翻訳においても新しくそれに対応した言葉を作って翻訳してきた。戦後においても英語がそのまま入ってきましたが英語のような日本語だ。パソコンといった言葉は英語ではなく日本語だ。 学者や技術者といった専門家は国際的な論文を書くにも英語が必要になりますが、それは英語の文化ががトップレベルを維持している場合であり、国家の盛衰と大きな関係がある。英語が国際用語になったのもイギリス・アメリカと覇権国が続いた為であり、もし中国が軍事政治経済などで覇権国となった場合には中国語が国際的な公用語になるかもしれない。 日本語とドイツ語は戦争に負けてすっかり影が薄くなりましたが、日本語は経済規模においても英語にひけを取るものではなく、もっと国際的になってもいいと思うのですが世界中に日本語学校があってもいいと思う。漢字は確かに難しいが発音自体は単純明快でありローマ字やカナでそのまま読めば発音やイントネーションにかかわらずに通じる。 世界でも日本語を勉強すれば日系の会社に就職できるとか、進んだ文化を学べるとなれば日本語も国際的になるのですが、どういう訳か文部省などは積極的ではない。中国などでは世界中に中国語学校がありますが、経済的な規模からすれば日本語の方がはるかに規模は大きく文化的にも進んでいる。 冒頭のグラフではGLPで日本語は三番目の規模ですが、人口の数え方によってもだいぶ違いが出てくる。中国語にしても北京語だけを見ればGLPはさほどでもない。むしろ経済力や文化レベルなどが国際用語などにおける要素になりますが、英語、日本語、ドイツ語、フランス語といった先進国の言語は、日本語は英語に次ぐ地位にあるといっても大げさではありません。 にもかかわらず日本における日本語への評価は低いものであり、英語を学ばなければ世界に流れに乗り遅れるといった論調ばかりだ。日本語が英語に比べてそんなに劣っているものであるのならば技術力や経済力でもアメリカに差をつけられていたはずだ。しかし現実にはアメリカは日本の技術力に脅威を感じているのであり、ノーベル賞がアメリカに集中しているのは英語で審査されているからだろう。 国際会議においても英語が公用語となり、日本語で日本代表が演説しても誰も分からない。英語やフランス語やスペイン語が広まっているのは帝国が植民地に言葉を強制した為であり、日本語は朝鮮や台湾などで公用語になった時期もありましたが、敗戦によって日本語の分かる世代は消えかけている。 当面の戦略は英語圏の文化に付かず離れずに付いて行って、日本に留学生を迎え入れて日本語の国際化を図っていくべきなのだろう。しかしながら日本の大学などでも英語で講義をしようということが国際的だという意見もありますが、経済規模も大きく技術水準も高い日本語を普及させる努力をすべきだと思う。
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