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「カティンの森」を観て〜歴史と向き合うことが人間の尊厳と理性を研ぎ澄ます〜
2010年1月1日
皆様、よい新年をお迎えのことと思います。このところ、更新が滞りがちですが、アクセスいただき、ありがとうございます。今年も政治、経済、歴史、メディア、映画、絵画、旅行のことなど、なるべく体験を通じて得たこと、考えたことを書き留めながら、時々、私の専攻の会計が関わる問題も取り上げたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします。
昨年暮れは(今もですが)ゼミナールの4年生の卒業論文のレビュ−に追われましたが、冬休みに入ったところで、神保町の岩波ホールで上映中の「カティンの森」を観に出かけました。1940年、1万5000人といわれるポーランド将校がソ連軍によってソビエト領のカティンほか3ヶ所に連行され虐殺された事件を伝えた作品です。第2次世界大戦後もソ連がポーランド政府に強い影響力を及ぼしたことから長くタブーにされてきた事件ですが、父をこの事件で亡くした巨匠アンジェイ・ワイダ監督が旧知の作家・脚本家のアンジェイ・ムラルチクに映画用の原作を依頼して、事件後70年近く経った今、ようやく明かされたものです。原作の翻訳本(工藤幸雄・久山宏一訳)が同名のタイトルで集英社文庫として出版されています。それでも、ナチによる虐殺行為に比べ、この事件は日本ではあまり知られていないのではないでしょうか。
列車を乗り継いでカティンの森に着いたトラックから一人ずつ引き出された将校が、突然視界に飛び込んだ死体の山を目の当たりにして顔面を引きつらせ、祈りをつぶやくのも束の間、背後から頭に銃弾が打ち込まれるラスト・シーンは息をのむ思いでした。これでもか、これでもかと一人ずつ銃殺されるシーンが繰り返された後、ぷつんと画面が消え、スタッフとキャストの名前が流れ出します。その間、館内は静まりかえり、誰も席を立とうとしませんでした。
この映画は残酷さを売り物にしたわけではありません。生死の極限状態でも人間としての尊厳を貫こうとしたポーランド人の、理性を支えにした強靭な意思を伝えることで、無念の死に追いやられた人々を弔おうとした作品だと感じました。会場出口の受付で買ったガイドブックの中で久山宏一さんが紹介しているワイダ監督の言葉を引用しておきます。
「芸術――わたしたちが墓参りをするのは、死者たちと対話をするためです。そうしない限り、彼らは立ち去りません。いつまでもわたしたちに不安をかきたてるのです。過去に親しむこと、それ以外に有意義な未来へ至る道はありません。」
「歴史――歴史認識を持たない社会は、人の集合にすぎません。人の集合はその土地から追い出されるかもしれないし、民族としての存在をやめるかもしれません。今日、歴史の果たす役割は以前よりずっと小さなっています。人間の意識に歴史が占める場所を取り戻すために戦わなくてはならないのです。」
上映は2月上旬まで。詳しくは、岩波ホールのHPで。
http://www.iwanami-hall.com/