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「命の姿 父に重ね」舞踏の大家大野一雄さん介護する慶人さん/横浜
2009年12月9日
2006年1月、100歳の誕生日を記念した公演でケーキをプレゼントされた大野一雄さん。左端が慶人さん=横浜市中区のBankART Studio NYK
白塗りの奇怪ないでたち、不規則に動かされる四肢。前衛の舞台芸術「舞踏」の世界的大家、大野一雄さんが表舞台から去り、久しい。103歳、アルツハイマー病。いま、横浜市保土ケ谷区の自宅ベッドで静かに横たわる。自身も舞踏の第一人者で、介護にあたる次男・慶人さん(71)は言う。「大野一雄は舞踏家であり続けている」。その老いを見詰め、「命のかたち」を伝えようとしている。
高台の住宅地、階段が100段以上続く先に「大野一雄舞踏研究所」はある。国内外のダンサーや芸術家、その卵たちの来訪が絶えない舞踏の「聖地」。自宅は、その隣だ。
「もう車いすに座ることもできなくなった。耳だけは聞こえている。音楽をかけると『アー、ウー』と言っていたのが静かになる。ああ、退屈していたのかと分かります」。慶人さんがふっと表情を和ませた。
最後の「舞台」は2006年1月、100歳の記念公演だった。車いすの上、動くこともままならぬ姿に、人は病の進行を悟った。
独創にして繊細、難解にして示唆的。「暗黒舞踏」の旗手、故・土方巽とともに切り開いた新たな地平、舞踏とは何であったのか。
かつて大野さんは言った。「命を大事にするということです」。慶人さんが引き合いに出すのは一枚の水墨画、俵屋宗達作「蓮(れん)池(ち)水(すい)禽(きん)図(ず)」。描かれたハスの花は、水面のカイツブリが飛び立つ羽ばたき一つで、いままさに散り落ちようとしている。「散り際の美と緊張感。日本ならではの感性が根底にある。私もこの年になって、大野一雄の言葉が心に沈むようになった」
命へのまなざし。原点は戦争体験にあった。出征した中国で見た兵士の狂気、餓死と隣り合わせだったニューギニアでの敗走。「引き揚げ船で栄養失調で死んでいった仲間の水葬を見て、クラゲのダンスを踊りたいと思ったそうです」
目を覚ましているのか、いないのか。流動食をはみ、排せつし、寝る。寄り添う慶人さんのまなざしは揺るぎない。「限りまで尽くす。そうやって命のかたちを伝えている」。前衛の巨人は、後継者の息吹をその横に感じながら、動かぬままに舞踏を舞っている。
「当たり前に動くその動きをより繊細に、丁寧に。きっと違うものが伝わるはずです」。週3回、舞踏研究所で開かれるけいこの中心に、慶人さんがいる。70歳を超え、体に不調を覚えることも増えたが、「例えば、イスラエルで兵役を終えた男性がなぜここにやってくるのか。こういう時代だからこそ、大野一雄が残してきたものを伝えなければと思っている」。慶人さんは13日、公演のためハンガリーとブルガリアに向かう。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/0912090006/