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噂の眞相 1998年10月特集3
歴史偽造を駆使してデッチあげた小林よしのり『戦争論』の狂気の精神
●蓑田狂喜
「愛国心は悪党の最後の逃げ場だ」
小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論』(以下『戦争論』と略記幻冬舎刊)を読むと、イギリスの評論家、サミュェル・ジョンソンの、この言葉の真実性がひしひしと実感できる。
しかし「悪党」を、小林ごときに使うにはチトもったいない。「悪党」呼ばわりされれば、このウスラバカのことだ、「わしは悪党どころか、地獄の大魔王だぞ、今ごろになって知ったか!」と悦に入るに決まっているからだ。
だからこそはっきり言うが、小林よしのりという男は悪党などではない。単にこすっからい悪徳商人の典型に過ぎない。麻原彰晃同様、愚鈍で無知で孤独な世間知らずのくせに、「プライド」だけはやたら高い人間へのウケを当て込んだべテン師のタグイである。
では、ベテンの一端を明らかにしよう。『戦争論』は大層売れているそうだ。いまや下火ではあるが、確かに一時期は主要書店のベストセラーに名を連ねていることがあった。だが、問題は誰によって買われ、読まれているからである。
本誌の取材過程で、小林がコミットする「新しい歴史教科書をつくる会」が中心になって、ひそかに『戦争論』の購入運動を各方面に呼びかけたという情報を得た。さらには 「日本会議」や「神社本庁」をはじめ、民族系諸団体や右派系宗教団体、賛同企業などに購読を働きかけたという。
これが事実ならば、まず「売れている」ということ自体、疑ってかからねばならない。保阪正康や秦郁彦のような保守派言論人からすら、「歴史認識」のあまりのお粗末さのため見放されてしまった、東修英機礼賛のトンデモ映画『プライド』の「中ヒット」も、同様にこうした組織的動員の成果だという。今後この手の「ヒット話」には、まず眉に唾をつけてみたほうがよい。
実は、小林は、このような組織的購買の可能性をあらかじめ知っていたからこそ、あのように右に振り切ったズサンな表現にあえて踏み切ったのである。
信念もクソもない。公共心もへッタクレもない。商魂の向かうまま、ひたすら私益を追求しているのだ。こんなヤツが「個を超えた公を守る義務」を訴えているのだから、まったくもって茶番という他はない。
さらにいえば、絶えず、原則を忘れてはならない。愛国心は、大昔から小林のような、信念や理想のカケラもない、私利私欲まみれの銭ゲバたちの隠れ蓑だったということを。
●陰謀のデッチあげ手法
『戦争論』は、『プライド』同様、執筆動機もいい加減なら内容もズサン極まりない。その実態は、保守反動陣営の歴史偽造本のタグイからの寄せ集めである。しかも、小林がさかんに借用しているのは、渡部昇一、田中正明、中村粢、東中野修道、上杉千年、高森明勅といった、保守陣営内部でもそのタカ派ぶりや、あまりの狂信ぶりから白眼視されている連中の言説である。
例えば『戦争論』137Pに「支那人撹乱工作兵」に関する記述が出てくる。「支那撹乱工作兵」とは、南京占領の際、日本軍の蛮行に見せかけて、略奪、強姦を行っていたとされる中国人の特殊工作兵のことである。もちろん実在は確認されていない。ところが小林は、当時「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された「難民キャンプで、工作兵が逮捕された」という小さな記事だけを根拠に、この工作兵が大々的に暗躍していたとまで妄想を膨らませて描く。しかも、この「ニューヨーク・タイムズ」の記事自体が、東中野修道の「改めて南京虐殺を徹底検証する」(『正論』98年4月号掲載)なる「論文」からの借用である。東中野 は亜細亜大学教授。専攻は社会思想史であり、実証的な史学とはまるで畑違いの人物である。「つくる会」の主要メンバーであり「従軍慰安婦」懐疑派の歴史学者・秦郁彦にすら、平気で歴史を改竄すると警戒されているトンデモない危険人物である。現に『正論』6月号では、南京大虐殺否定派の歴史研究家・板倉由明でさえも、「どうもこの記事は、噂を埋め草記事にしたガセネタ」臭く、東中野の説は「『ニューヨーク・タイムズ』にも続報はなく、このような裏付けのない記事を、都合が良いからといって検証せずに歴史の資料に使ってはいけない」と批判しているほどのシロモノなのだ。
小林は、こういう人物の「論文」を鵜呑みにしたばかりでなく、それに輪をかけて妄想を暴走させている。『南京の真実』の著者ジョン・ラーべが、中国の撹乱工作兵とグルだったとまでいうのだ(『戦争論』138P)。この推測の根拠として小林が挙げているのが@新聞報道されたほどの大事件なのにラーべの日記(『南京の真実』)にはこの件が一言も触れられていない、A日記には「中国の大佐二人から三万ドルを受け取った」(『南京の真実』107P)という記述がある、というもの。
@では、小林の戦時下という状況に対する想像力の欠落がさらけ出されている。小林は、「ニューヨーク・タイムズ」が当時の南京でリアルタイムに読めたとでも思っているのだろうか。確かにアメリカの大使館、領事館にはテレグラムがあり、平和時なら当日付の記事を受信できたかもしれない。だが当時、職員が長江に停泊中のパナイ号に避難したため、大使館、領事館は実質的な機能を停止していた。しかもパナイ号は日本軍が南京を陥落させる前日の12月12日に砲撃をうけ、沈没しているのだ。また、南京市街の情報網も混乱し、途絶えがちであり、事件の報告がラーべらの耳に入らなかったとしても少しも不思議ではない。
Aについては、完全なゲスの勘繰りである。ラーべは、日記の別の個所では「蒋介石に10万ドルの寄付を約束されていた」とも書いている(『南京の真実』250P)。この3万ドルとは、その「負傷兵を救う」ために受け取った寄付金の一部なのである。 小林が示唆するように、それほど後ろめたい金銭のやり取りであったのならば、なぜラーべはわざわざこのような記述を書き残したのだろうか。むしろ何の疾疚しさもなかったからではないのか。
こんな当然出てくるはずの疑問も、ボンクラ小林の脳裏には浮かばなかったらしい。小林は日本人愛し、外国人僧しの一念から、妄説を鵜呑みにしたうえに、ありもしない「陰謀」をでっち上げようとしている。オウムの「米軍による毒ガス攻撃」説とまったく変わらないレベルの妄想にすぎない。
●鬼畜系絵解き芸人なのか
『戦争論』のデタラメさはまだまだある。小林は「渡部昇一氏の本に支郡との戦争の原因になった『通州事件』について朝日新聞法廷記者団の東京裁判での証言が載っている」と書いている。「朝日新聞法廷記者団の証言」? これは一体何か。通常、法廷記者団とは、法廷で裁判を傍聴取材する記者たちのことであるが、これではまるで、法廷記者団が法廷で証言をしたみたいではないか。もちろん、大間違いだ。
小林が、どうしてこんな愚かな誤りを犯したのかを確かめるために、引用元の波部昇一の『かくて昭和史は甦る』の該当個所(274〜275P)に当たってみた。すると、そこには「通州事件」に関する法廷証言の引用の後に「朝日新聞法廷記者団『東京裁判』昭和三十八年・中巻30ページ」と出典が明記されている。どうやら小林は、この部分が証言を傍聴記録した朝日新聞法廷記者団・著を意味するとは取らずに、なんと同記者団自体が証言台に立ったものと思い違いをしたらしいのだ。もちろん原典には、事件を目撃した中将や陸軍少佐による証言とはっきり記されている。まったくズサンで、ウカツな男である。
単にズサンなだけではない。小林の本だけ読んでいると、なぜ「通州事件」が起こったのか、背景や経緯の説明が欠落しており、状況がさっぱりわからないのだ。まるで、血に飢えた人食い人種の中国人が、唐突に日本人に襲いかかったかのような印象ばかりが刻み込まれる。
史実はこうである。通州とは河北省東部、北京直近の地域を指す。当時、日本はここに冀東防共自治政府という傀儡政府をつくっていた。ところが慮溝橋事件が起こり、日本軍が華北で総攻撃を開始したとき、日本の爆撃機が冀東防共自治政府の保安隊の兵舎を誤爆して多数の死傷者を出したのである。これを機に、保安隊の抗日意識が一気に高まり、挙兵にいたった。日本の軍人、居留民が襲撃され、200名が殺害された。しかし、犠性者の約半数は日本人ではなく、朝鮮人居留民だった。冀東自治区は渤海に面しており、日本からの大規模な密輸入が公認され、中国の関税収入を激減させていた。またアへン密売の巣窟で、その利益の一部は、日本軍の特務機関に流れ込んでいた。こうした状況の下、抗日意識がじわじわと広がっていたのである。 こうした時代状況を踏まえて、はじめて語ることのできる惨劇が「通州事件」なのである。
しかし、小林よしのりや『戦争論』支持の読者たちは、このような歴史の流れをそもそも知らないし、知ろうともしない。歴史の専門家でも何でもない渡部昇一の通俗書を鵜呑みにするだけで、原典の東京裁判の記録すら調べてみようともしない。むろん「通州事件」の背景を探ろうともしない。小林は、目を背けたくなるような、毒々しい虐殺の描写を突然示すだけである。それは「通州事件」の描き方だけの問題ではない。『戦争論』の全編が例外なくこの調子なのだ。「さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。これが話題のシナ人の虐殺行為だよ。日本人には絶対マネのできない残酷でいっぱいだぁー」と見世物小屋で懸命に呼び込みをやっている「鬼畜系」絵解き芸人。それが「戦争論」を描く小林の、醜悪な姿なのである。こんなものに納得したり、感動できたりする読者も同様に「鬼畜系」である。いや、一般の「鬼畜系」は、自分の欲望の危うさを十二分に自覚している分、罪はうすい。小林の『戦争論』に心酔する連中は、自分の暗い、歪んだ欲望を、崇高なる愛国心によって正当化する、鬼畜そのものといえる。
●歴史修正ファシストの広告塔
『戦争論』の虚偽、誤認、意図的説明不足は枚挙にいとまがないくらいだが、もう少し指摘しておこう。
367P。欧米列強に植民地分割されている当時のアジアの地図のうえに、「東アジアのすべての国が欧米の植民地と化していたあの時に…、日本だけが独立国だった」というネームがかぶさっている。東アジアという地域は、普通、中国、朝鮮、日本、琉球、台湾、ベトナムを指すのだが、地図にはフィリピンやインドネシアやマレーシアやミャンマーやラオスやカンボジアやインドまで入っている。小林の作品について、そんな細かな無知をいちいち指摘しても仕方ないと思われるかもしれないが、そうではない。これは、単なる誤記ではなく、小林一流の詐術なのである。
地図上、アジア全体が、欧米の植民地として灰色に塗りつぶされているなか、タイの部分だけが、あたかも存在しなかったかのように、国名も添えられず、白地のままになってそれもそのはず、タイは、当時から、英仏の植民地支配の脅威にさらされながらも、巧みな外交政策でそれをはね返してきた堂々たる独立国家だったのだ。
姑息な小林のことだから、タイも独立国だったじゃないかとの批判指摘を受ければ、「日本は、あくまで東アジア唯一の独立国と書いた」と言い張るつもりに違いない。ところが、地図では、日本がアジア全体で唯一の独立国だったように印象づけられるという仕掛けだ。近隣の独立国を地図から抹殺して、自国だけがアジアで唯一の独立国と誇る。歴史的事実の改鼠ここに極まれり、といえる。
また、34Pの「日韓併合はコリアの最大政党一進会が望み世界が承認した」というのも大嘘だ。小林がどこからパクってきたのかわからないが、一進会は、日露戦争の時、日本軍の通訳だった宋秉oによって結成された親日御用組織であり、右翼結社・黒竜会主幹の内田良平などの仲介で、日本の陸軍や政府有力者の支援を取り付けていた。実際の活動内容は、韓国政府内の反日分子を洗い出す諜報活動や日韓併合へと世論を誘導するための宣伝工作だったといわれている。
そもそも当時の韓国政府は、日本の統監府に行政権・軍事権・司法権・警察権を奪われており、通常の意味での「政党」など存在できるはずがなかった。一進会は「強国」日本に尻尾を振って、利権のおこぼれにあずかろうとする売国者たちの政治集団だったのだ。この憎げないスガタは、反動ファッショ勢力に懸命に取り入り、体制に尻尾を振って利権のおこぼれにありつこうと躍起になっている、小林よしのりの人物像にそっくりではないか(笑)。日本は一進会を単に利用したに過ぎず、用済みになった会は日韓併合後、解散させられている。歴史修正ファシストどもの広告塔・小林も、用済みとなれば哀れ抹消される運命にあるのだろう。
●ズサン、デタラメ、ペテン……
小林は、「自虐的」「反日的」歴史を実証に基づいて修正することを意図しているようだが、これまで見てきた通り、ズサン、デタラメ、ペテンの一言で片づけてしまえるほど稚拙なものはかりである。ならば小林が日本や日本軍を擁護するために挙げている事例そのものは、十分に実証されたものなのだろうか。
例えば、168〜170Pに描かれている、小林がテレビでたまたまみたという(実際の資料は、上杉千年が小林に提供したもの)、スイスの写真家の手で撮影された、南京占領の日の中国人による中国人処刑のシーンや日本の捕虜を木の枠にぶら下げて殺したというシーンは、何ら史学的検証も受けていないシロモノである。
ただ、第三国人が撮影したというだけで、そしてアメリカのCNNが報じたというだけで、ボンクラ小林は、完全にホンモノと決めつけて、「こんな変なもので日本兵は殺されたのだ! これは一体何だ?」といさり立ってみせる。これは何だ、だって? お前のへ夕クソな絵だよ、バーカと突っ込みのひとつも入れたくなる話だ。実際、何の検証もなされていない写真など、単なる写真に過ぎない。
このことは、小林 自身も認めている。「『写真』とは必ずしも、『真実』をありのままに写すものとは限らない」(151P)
小林はこうも言う。「戦火を交える戦闘だけが『戦争』ではない。『情報戦』『宣伝戦』という戦争もある。平和といわれる現在でもこの戦争は常に続いている」(171P) そのとーり、だ。だから、CNNで放送された写真は、人権問題で対立する中国を牽制するために意図的に流された、アメリカ当局による偽情報の可能性も大いにあるってことになるのではないか。
さらに、ボンクラ小林のことだから、ひょっとして気づいていないかも知れないが、この『戦争論』そのものが「情報戦」の渦中にあるかも知れないのだ。お前が「奉仕」しているものの正体をよく見極めてみよ。そいつは、一体何だ?−−と。
●自滅か、さらなる暴走か
『戦争論』の帯には、「戦争に行きますか? それとも日本人やめますか?」とある。思わずアホかと、言ってやりたくなる。聞かれるまでもなく、戦争に行って人殺しに加担しなければ、日本人でなくなるというのなら、喜んで日本人などやめるべきである。こういう愛国鬼畜系の脅迫には「戦争に行くのやめますか? それとも人間やめますか?」と逆に問い返してやるといい。
いまや「日本人」の大部分は、日本に住まなければ生きていけないほどヤワではなくなってきている。連日、ビジネスの場で外国人と一緒に動いたり、外国企業と交渉や折衝に当たり商談をまとめたりしているサラリーマンにとって、もはや日本は、所属企業の本社がある国に過ぎない。さらに、いまやいつ外国籍の企業に転職するかも知れない時代なのだ。
インターネットに繋げば、居ながらにして世界各地の情報に瞬時にアクセスでき、自分も全世界に向って情報を発信できる。自分がいまどこに住んでいるか、どこで生まれたのか、どこの国籍を持っているかなどいまやさほど重要な問題ではなくなっている。老人たちですら、余生を気侯温暖な外国で暮らしたいと望むようになってきているご時勢なのだ。「日本人」であることだけに、積極的な意味などあるわけがない。
だがこういう時代だからこそ、その反動として『戦争論』のような愛国鬼畜系の絵解き話が一定の影響力を持ってしまうという事情もある。世の流れに乗りきれない、「イケてない」人々の不安や絶望や虚無感が『戦争論』を支えている背景でもある。しかし、これこそはファシズムや原理主義の発生とまったく同一のメカニズムなのである。
「新しい歴史教科書をつくる会」の危険性を訴えつづけている「慰安婦問題」の研究家の一人は、『戦争論』をこう笑い飛ばす。
「公の領域の限界を国に設定するなんて、財界や自民党の主流派でも、まったく考えていませんよ。彼らはむしろリアリストですからね。経済のグローバル化に伴って、第三世界における人権侵害が他人事でなくなったり、地球環境問題が深刻化しています。公の限界を現在の国境で区切ってしまったのでは、何一つ問題を解決できません。この半世紀のあいだに、公的領域は、太平洋戦争当時とは比較にならないほど拡大しています。 だからこそ、公的領域をともに生きる、アジアの人達、ヨーロッパの人々に対して日本人が過去になした蛮行を謙虚に謝罪するというのは当然過ぎるほど当然のことなのです。体制側の意識もここまで来ているのです。小林のいっている妄言は、もはや体制的ですらありません。現実から目や耳を塞ぐことで、それを拒絶しようとする幼児退行現象です」
小林が煽動しているのは、国家への自閉、「引きこもり」というわけだ。
だが、もう一人、近代日本の思想史を研究する哲学者は『戦争論』をこう危惧している。
「個人が国家に忠誠を誓い、命を投げ出すことで公に貢献し、国家は戦争を遂行することで公的義務を果たすという論理になっています。この認識は国家総動員体制、すなわちファシズムに他なりません。この本は、ギャグを偽装した、大真面目な『ファシズムのすすめ』ですよ。戦後五十年を経て、登場してきたこういう思想の過ちを厳しく糾弾することも、日本人の戦後責任の一つです」
マルクスは「世界史上の事件は、二度訪れる。一度は悲劇として、二度目は茶番として」と書いている。小林よしのりの『戦争論』の登場は、まさに「二度目の茶番、大東亜解放戦争論の、文字通り戯画としての再来だろう。
しかし、マルクスが茶番と笑ったルイ・ナポレオンが第二帝政のまがい物の皇帝に就いたように、小林がエセ皇国イデオローグに成り上がらぬとも眼らない。小林は、もうすでに、引き返しのきかぬ道を歩みはじめている。この先は、自滅か、さらなる暴走か。小林よしのりには、二つの道しか残されていない。
最後に、冒頭のサミュエル・ジョンソンの言葉をもう一度しかと噛み締めておくために紹介しておこう。
「愛国心は悪党の最後の逃げ場だ。しかし、この場合の愛国心とは、故国に対する真面目な、心の広い愛情ではなく、あらゆる時代のあらゆる国で、大勢の者たちが自分の悪徳の隠れ蓑にしてきた、偽りの愛国心に他ならない」
〈了〉