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日本が生んだ偉大な指揮者、若杉弘氏が亡くなられました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%9D%89%E5%BC%98
(若杉弘氏について)
大変、ショックです。まだまだ活躍して欲しかった方なので、本当に残念に思ひます。
古典から現代まで、私は、若杉氏は、本当の意味でレパートリーの広い指揮者であったと思ひます。
忘れられないのは、1998年か1999年だったと記憶しますが、サントリー・ホールで、若杉氏がNHK交響楽団を指揮した演奏会で、メシアンの作品とブルックナーの交響曲第1番が演奏された演奏会です。
前半に演奏されたメシアンも印象的で素晴らしかったのですが、感嘆したのは、その後半のブルックナーの交響曲第1番で、あんな素晴らしいブルックナーは、そう何度も聴ける物ではなかったと思ひます。スクロヴァチェフスキ氏なども素晴らしいブルックナー指揮者ですが、私は、スクロヴァチェフスキ氏の第1番が、若杉弘氏のあの第1番ほど素晴らしいとは思へないのです。本当に、素晴らしい演奏でした。ブルックナーと言ふと、朝比奈隆氏の演奏が、すぐに語られますが、朝比奈隆もさる事ながら、私は、若杉氏のブルックナーは本当に素晴らしかったと思ひます。CDでも、ブルックナーの交響曲第9番の素晴らしいCDが有りますが、若杉氏は、本当に偉大なブルックナー指揮者だったと思ひます。しかも、ブルックナー指揮者としての偉大さと、メシアンに代表される現代曲での才能が共存して居たところが素晴らしかったと、私は、思ひます。
本当に、偉大な音楽家を失ったと思ひます。御冥福をお祈りします。
2009年7月26日(日)
西岡昌紀
http://nishiokamasanori.cocolog-nifty.com/blog/
関連サイト
http://www.egawashoko.com/c002/000297.html
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オペラ指揮者 若杉弘さん死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=905208&media_id=2
<訃報>若杉弘さん74歳…新国立劇場オペラ芸術監督
(毎日新聞 - 07月21日 23:43)
ヨーロッパと日本でオペラ界を切り開いてきた指揮者で新国立劇場オペラ芸術監督の若杉弘(わかすぎ・ひろし)さんが21日午後6時15分、東京都内の病院で多臓器不全のため死去した。74歳。葬儀は近親者で行い、お別れの会を後日予定している。喪主は妻のメゾソプラノ歌手、長野羊奈子(ながの・よなこ)さん。
東京生まれ。慶応大経済学部に進んだが中退して、東京芸大の声楽科に入り直し、さらに指揮科に転科して卒業。在学中から二期会のオペラ公演など指揮者として目覚ましい活躍を見せた。ワーグナーのオペラ「パルジファル」日本初演の指揮により1967年度の毎日芸術賞も受賞した。
小澤征爾さんと同い年で並び称されたが、若杉さんは当初からオペラを目指した。ワーグナーの「ラインの黄金」を日本初演するなど、「初演魔」と言われるほど、日本の音楽界で遅れていたオペラに次々に光を当て、現代のオペラ・ブームの基礎を築いた。
77年からはヨーロッパにも進出、日本人としてドイツ語圏で初めて名門、ケルン放送交響楽団の首席指揮者に就任。その後もライン・ドイツ・オペラ音楽総監督などドイツのオペラ界で活躍。80年度にはオペラ指揮の成果によって2度目の毎日芸術賞を受賞した。
95年にN響正指揮者、96年にびわ湖ホールの芸術監督、07年には新国立劇場の芸術監督に就任、再び日本のオペラ界の振興に全力を傾けた。
昨年秋から体調を崩し、今年6月の公演も降板していた。サントリー音楽賞(86年)、芸術院賞(92年)など多くの賞に輝いた。マーラーの交響曲など多くのCD録音がある。【梅津時比古】
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■国際的指揮者、若杉弘さん死去
(読売新聞 - 07月21日 22:55)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=905189&media_id=20
国際的指揮者、若杉弘さん死去
(読売新聞 - 07月21日 22:55)
日本を代表する指揮者の一人で、新国立劇場オペラ部門芸術監督の若杉弘(わかすぎ・ひろし)さんが21日午後6時15分、多臓器不全のため亡くなった。74歳。
告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻、長野羊奈子(ながの・よなこ)さん。
東京都出身。東京芸大指揮科卒業。大学卒業と同時にNHK交響楽団指揮研究員となり、1963年、東京交響楽団を指揮してデビューした。65年読売日本交響楽団常任指揮者。ドイツに移り、ケルン放送交響楽団首席指揮者、デュッセルドルフのライン・ドイツ・オペラ音楽総監督を務め、小沢征爾さんと並ぶ日本の国際的指揮者として活躍。2007年9月から新国立劇場オペラ部門芸術監督に就任した。
優秀な音楽性と卓抜した指導力に基づく国内外での指揮活動などで第48回日本芸術院賞を受けるなど、受賞は多数。94年に日本芸術院会員となった。97年から東京芸大教授に就き、後進を指導した。
08年7月から、膵臓(すいぞう)の疾患などで療養していた。