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5月29日1時33分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090529-00000514-san-soci
真言宗の総本山、高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)で来月開かれる行事に、天台宗の半田孝淳(こうじゅん)座主(ざす)が参拝することが分かった。天台宗トップの高野山への公式な訪問は、日本に真言宗、天台宗が伝わった平安時代以来初めて。1200年間を通じて初めてとなる歴史的な参拝をそれぞれの事務方では、「相互理解のためになる」と歓迎している。
両宗派のトップ交流をめぐっては、天台宗を伝えた最澄と、真言宗を伝えた空海の交流をめぐる逸話が有名。2人はともに中国(唐)で仏教を学んだ留学仲間で、帰国後も交流を続けていた。しかし、晩年には教えや修行をめぐる考え違いから確執が生まれ、絶縁状態になった経緯がある。教典を借りようと弟子を派遣した最澄に対して、空海が激しい内容の手紙で貸し出しを拒否し、交流が途絶えたと伝わっている。
天台宗務庁によると、天台座主の高野山参拝は、過去に私的にはあったようだが、公式訪問は約1200年間、一貫して確認されていない。歴代の天台座主の公式動向を記録した「天台座主記」にも記載がないという。
高野山真言宗の宗務所の話でも、最澄と空海が絶縁する前に弟子が行き来した記録はあるものの、天台座主の訪問の記録はないという。逆に高野山真言宗の座主の比叡山訪問は、平成17年の比叡山開宗1200年行事の際にあったが、その時は他の仏教教団トップらと一緒だった。高野山真言宗座主の比叡山訪問には、天台宗が仏教やキリスト教、イスラム教など世界の宗教指導者らが一堂に会する「宗教サミット」にも力を入れていることが背景にあったが、逆に天台座主が高野山を公式に訪れたことはなかった。
今回の訪問は、天台宗の半田座主と、高野山真言宗の松長有慶(ゆうけい)座主の交流がきっかけとなった。宗教協力の催しなどで席を共にする機会が何度かある中で親しくなり、半田座主側が訪問を打診。松長座主側が、「せっかく来ていただくなら、高野山の最大行事に」と「宗祖降誕会」に招待したという。毎年6月15日に開かれる宗祖降誕会は、空海の誕生を祝う高野山の最大行事。
天台宗では「過去はともかく、現代ではまったく確執はない。交流を深めさせていただくのはいいこと」。高野山真言宗も「宗祖に関連する行事に参拝していただきありがたい。今後のさらなる交流につなげていきたい」と話している。
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■天台宗 最澄(伝教大師767?〜822)が延暦25(806)年に開いた。総本山は比叡山延暦寺(滋賀県大津市)で世界文化遺産。1571年には織田信長に焼き討ちに遭っている。現在の半田孝淳座主は256代座主。
■真言宗 空海(弘法大師774〜835)が弘仁7(816)年に開いた。高野山真言宗としての総本山は高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)で世界文化遺産。現在の松長有慶座主は412代の座主。
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宗教学者の山折哲雄さんの話 旧仏教を代表する双璧(そうへき)が公式訪問し、理解を深めることは歴史的に見れば画期的なエピソードだ。最近、近畿地方の有名神社と寺院の神職と僧侶がともに伊勢神宮に参拝するなど、宗教間に共存の伝統が復活したことと同様に、戦後の心の荒廃や教育の衰退が問題になる中、本来の精神的基盤が見直されるようになるだろう