★阿修羅♪ > 文化2 > 140.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 忌野清志郎さん死去=RCサクセション率いた「ロックの神様」【時事ドットコム】 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 5 月 03 日 21:25:06)
[[item(http://www.youtube.com/v/9ipnCJptcLo,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=9ipnCJptcLo トランジスタラジオ 忌野清志郎]
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
歌手:RCサウセション
作詞:GEE2WO・忌野清志郎
作曲:GEE2WO・忌野清志郎
Woo授業をサポッオて〜Yeah!
陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ屋上で
たぱこのけむりとても青くてー
内ポケットにいつもトランジスタ・ラジオ
彼女教科書ひろげてるときホットなナンパー
空に溶けてった〜
ああこんな気持
うまく言えたことがないないAI
ペイーエリアからりパプールから
このアンテナがキャンチしたナンパー
彼女教科書ひろげてるとき
ホットなメッセージ空に溶けてった〜
授業中あくぴしてたら
口がでっかくなっちまった
居眠りぱかりしてたらもう
目が少さくなっちまった
ああこんな気持
うまく言えたことがないない
Ah君の知らないメロディ
聞いたこの無いヒット曲!
Ah君の知らないメロディ
聞いたこの無いヒット曲!
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
リアルタイムで高校生だった私の世代にとって、忘れられないメロディである。
清志郎のホットなメッセージは、空に溶けて逝った。
1980年代、雑誌:宝島やビックリハウスではYMOの3人(特に教授こと坂本龍一)、コピーライターの糸井重里と並び忌野清志郎は頻繁に取り上げられ、サブカルチャーの巨星であった。
高校時代私は美術部でした、中学の時には既に懐メロであったが、ラジオで聴いた初期のヒット曲「僕の好きな先生」に触発され、高校へ入ったら美術部に入り美術準備室に入り浸るのも悪くないと思ったのも動機のひとつだったかもしれません。70年代最後の年、その高校の美術準備室での話題は、結成間もないYMOや復活RCサクセションであった。
私にとって、忌野清志郎の名前は、高校浪人大学と青春の輝かしい日々の想い出と常に伴にありました。
あれから30年近くの時が経ったなんて信じられません、みな、つい昨日の出来事のように思います。
清志郎もいい季節に旅立ったものだ・・・・
[[item(http://www.youtube.com/v/qeBldsVXk3w,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=qeBldsVXk3w 雨上がりの夜空に 忌野清志郎]
「生き方の本質がロックだった」 忌野清志郎さんの魅力
http://www.j-cast.com/2009/05/04040624.html
{{{++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ロック歌手の忌野清志郎さんが2009年5月2日、がん性リンパ管症のため58歳という若さで亡くなった。まさに「ロックな人生」を生きた忌野さん。同世代だけでなく、20代や30代のミュージシャンやファンも死を悼んだ。その魅力はどこにあったのか。
「凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男」
ロックバンドRCサクセションのボーカルとして1970年にデビューした。社会的、政治的なメッセージを込めた楽曲も少なくなく、反骨のミュージシャンとして知られた。06年7月に喉頭がんを発症。放射線や抗がん剤での闘病を続け、08年2月には日本武道館で復活ライブを果たしたが、08年7月にがんが左腸骨への転移が見つかり、結局、還らぬ人となった。
突然の訃報を受け、ネットでは多くのミュージシャンやファンがブログに心境を書き込んだ。音楽雑誌『ロッキング・オン』の発行人の渋谷陽一さんは5月3日に更新したブログで、「何を書いたらいいのか分からない」と書き出した。最近送られてきたファンクラブの会報に、いつも記載されているはずの本人の近況やコメントがなかったことが心配だったという。
「とにかく、いろいろな事が悔しい。凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった」「後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと」
渋谷さんはこんな思いを書き込み、同じ時代を生きられた幸運を綴った。
サンボマスター山口隆「喪失感でいっぱい」
ロックバンド「サンボマスター」のボーカル・山口隆さん(33)も同日のブログで、「僕は少年時代から忌野清志郎さんの音楽が大好きだ」と書いている。山口さんにとって、忌野さんはソロになってからの方が身近だったという。
「特に当時テレビドラマの主題歌だった『サラリーマン』という曲は強烈に好きだ」「上京した頃、僕はこの曲をずっと聴いてる事が多かった。思い返すと、自分が上京して親元を離れいよいよ大人に近づいていくことへのぼんやりした不安を、この歌が埋めてくれていたからだと思う」「そして今でもこの曲は僕の中にあるぼんやりした不安を埋めてくれている」
山口さんはいま、喪失感でいっぱいなのだとこぼす。だが、音楽は残って、色あせない――忌野清志郎さんの音楽は残るんだとも記している。
20代、30代のユーザーが多いインターネットのブログやソーシャルブックマークでも、忌野さんの死は大きな話題となった。「はてなブックマーク」では各メディアの記事にたくさんのブックマークがつき、哀悼コメントが捧げられた。ブログで多く語られているキーワードを紹介するサイト「kizasi.jp」でも、ランキング上位に忌野さん関連のワードが並び、SNS「mixi」のキーワードランキングも1位だった。mixiユーザーの日記には、
「あんなカッコイイ人が!ロックンローラーが!清志郎さんが!すごい素敵な人やったなぁ 」
「もう一度生きた清志郎さんの歌声を聴きたかったですが残念です」
「あぁ...死んでしまった...CDを聴きながらいろんなことが思い出されて涙が止まりません... 」
といったコメントが多数書き込まれ、忌野さんの代表曲『雨上がりの夜空に』『ヒッピーに捧ぐ』のYouTube動画を貼り付けている人も見られた。
「その死さえメッセージではないかと思う」
なぜ忌野清志郎さんの死がこれほど語られるのか。ミュージシャンやファンを惹きつけたのは、その生き様だ。忌野さんの魅力について、同世代の音楽評論家・加藤普さん(60)は次のように語る。
「彼の音楽は単なるエンターテインメントではなく、自分の意志・生き方の表明だった。清志郎さんは自分の意志に正直に生きた人だと思います。自分が正しいと思ったことをやる。これはおかしいじゃないかと思うことを言える。破滅的なロックと言うよりは、体制の批判者だったんですね。恰好だけではなく、真剣に生きているということそれ自体が本質的にロックだったんです。そのために、無条件に信頼されたのではないでしょうか」
さらに、忌野さんの死がもつ意味について、加藤さんはこう話した。
「闘病もそうですが、彼はいつも生に対して、真剣に向きあってきた。真面目だった。だから、私はその死さえメッセージではないかと思うのです。我々はそれを引き受けなくてはならないと思います」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
渋谷陽一氏がコメントが載っていたので、このニュースソースを使わせていただきました。
私の音楽生活のベースとなったのも渋谷陽一氏の選曲したNHKFMのサウンドストリートだった。(そしてその後のクロスオーバー11)主にサウンドストリートとクロスオーバー11をエアチェックしたテープは500本以上押入れに眠っているだろうか?いま思えば残念なことだが、当時テープ代がもったいなくて、気に入った楽曲のみしか残していない。
洋楽を崇拝していた私は、フォークだ?、ニューミュージックだ?そんなのが好きな連中はは、黒柳徹子と久米宏司会のザ・ベストテンでも視てればいいんだと、傲慢にも日本語の唱にはほとんど触手が動きませんでした。
ビートルズから始まり、Queenやツェッペリン、ディープパープル、Yes,キングクリムゾン、ピンクフロイド、ジェネシス、マイクオールドフィールド・・・etc錚々たる巨匠達を崇拝するのに精一杯で、とても日本語のロックまでカバーできるキャパシティはありませんでした。
YMOが世界的評価を受け出した頃、渋谷陽一氏の番組でオンエアされた日本語ロック特集でも取り上げられたのが、日本のミュージシャンに関心を持ち出すきっかけであったと思う。高校の美術準備室でタバコの匂いと絵の具の匂いに紛れたU先生が「はっぴーえんど」や「ティンパンアレー」日本のロックの黎明期を語り、そして今は、YMOとRCサクセションが凄いという話で盛り上がった。U先生が美術教師になったのも、「僕の好きな先生」に触発されてのことという・・・
高校の美術部には他に部室があった。学ランを着ながら唱っていた雨上がりの夜空「こんな夜にお前に乗れないなんて♪こんな夜に発射できないなんて♪」は、リビドーを募らせたなぁ。早く大学生になり童貞を捨ててやるんだと、美大ではなく6大学(のうち5つの大学を)を目指したあの頃、そして、いけないルージュマジックは大学のサークルのBOXで聴いていた・・・
[[item(http://www.youtube.com/v/tvUZkqAgB_E,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=tvUZkqAgB_E 忌野清志郎 & 坂本龍一 い・け・な・い ルージュマジック]
[[item(http://www.youtube.com/v/yqOJu059y1k,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=yqOJu059y1k ぼくの好きな先生 / RCサクセション]
大学時代大人の男となった私は、反原発に走った清志郎に共感を覚えなくなってしまった・・・
しかし、今は、清志郎氏に心から黙祷を捧げる。
【Ddogのプログレッシブな日々】5/5AM1:00投稿
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/26572983.html