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四国巡礼八十八箇所に潜むハハとチチと http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/782.html
四国巡礼は四国の海岸沿いを一周する長い道程である。空海ゆかりの地といわれる札所は八十八箇所もある。しかし、なぜ八十とか九十とかの区切りのよい数ではなく中途半端な八十八などで終わっているのだろうか。その謎を探ってみた。 まずは数字自体から。八十八を八八と書いてそれを同じ字形だからハハ(母)と読んでみる。母とは子をなすものだから八十八は何かを生み出す数字ということになるが、生まれるものとは何だろう、しかも四国に限って。それは、お遍路さんである。死装束に身を包んだ善男善女は過去の自分を死んだことにし、新たに生まれるために1300キロもの道のりを懸命に歩き、寺毎に手を合わせるのだ。 次にこの数字を別の面からみてみよう。八十八は8+8=16となる。16と聞けば菊 東京から四国と聞けばそんな遠いところと思われるだろうが、その昔、都があった京、奈良からは距離はそんなに離れていなかったのだ。 総ての人間と同じく、天皇もいつかは息を引き取る時がくる。だが我々と異なるのは天皇の場合は亡くなるのではなく、お隠れになるという点である。旧い天皇がお隠れになった後、新天皇が新しい時代とともに御簾の陰から静々と再び現れてくる。いわば再生である。再び生まれるためにはやはり母の胎内を一旦は通らなければならない。新しい天皇を生む。それも又、八十八の役割である。 この過程はイエスの復活を彷彿させるが「あらたえ」を代々、献納する三木家は徳島県美馬郡古屋平村字三ツ木にある。三木とは木が三本、即ち三位一体で木の形は十字架に人、その音はキリストのキである。 さて何であれ、子をなすのは母だけではできない。父も欠くべからざる存在だ。八十八のどこかに父の姿はあるのだろうか。 8 8 チ チ 母の下に目立たないようにチチが横になっている。アダムとエバ、そしてイエスの父が、神という普段は姿を見せない方であるのに似せているかのように隠れている。 八十八箇所の巡礼地を定めたのは空海と言われる。その幼名は真魚(まお)という不思議な名だ。魚とは「イエス・キリスト、神の子、救い主をギリシャ語で綴ると、ギリシャ語では魚となるために魚は重大な意義があるとされるようになった」(聖書大辞典 教文社)。 真の魚と名づけられ、神の子イエスの生涯を辿る運命を担わされた空海は誰の使徒だったのだろうか。 入滅後1200年。空海は今も高野山の奥の院にて毎日食事を取り,生き続け、再生を証明する者としてやすむことのない悲しい日々を送っている。
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