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ホピと日月神示による最終予言-07
ttp://miraiyogen.blog72.fc2.com/blog-entry-102.html
◎ヒトラーの究極予言に、2018年のポールシフトなど言及されてはいない。
それどころか人類の災厄は2039年の人体変異の時まで、延々と続いているかのように読めないわけではない。
ヒトラーの究極予言には、何故ポールシフトや、ハルマゲドンへの言及がないのだろうか?
仮にその予言箇所が失われているとしても、彼の究極予言からそれを導きだす手がかりはないのだろうか?
私としてもこの疑問に答えようと思う。
現在流布している日月神示の解釈は間違いであり、ヒトラー予言の方がよほど真実に近いからである。
少なくとも、現在流布している日月神示への礼参的理解だけでは、天変地異以後を弥勒の世の到来、地上天国の完成として万歳三唱するだけで終わってしまうだろう。
そこにはヒトラーの幻視した、『進化への多大な困難さ』など皆目眼中にはなく、それゆえに真実の認識からはあまりにも遠く隔たっていると言うべきだろう。
◎ヒトラーの予言したように、2039年にもし『神人』へと進化した新人類が出現するとしても、それは2018年のポールシフトを生き延びた一部人類の苦闘を通して起きるのである。
ポールシフトを生き延びた人類とは、『超人』へと進化した人類の一部が、その他多数の人類を導きながら、激変した環境に対応しようと新しい共同体社会の建設を模索してゆく。
そうした前段階、中間項が存在するのである。
ヒトラーの予言を勘案するならば、それは「2018年から2038年までの20年間」である、と言うことになるだろう。
ヒトラーが2039年の1月に力点を置いてこの予言を展開しているのは、人類史を2039年以前と、それ以降の世界とで峻別するためである。
だから『超人』と言えども、旧人類の肉体のまま活動して来た初期の『超人』たちの生存期間は、「2018年から2038年までの20年間」だけなのである。
彼らでさえ、2039年以後の世界を前にして、この地上から消えて行くことになる。
◎日月神示に次の言葉がある。
■五葉之巻 第十六帖
マコトでもって洗濯すれば霊化される
半霊半物質の世界に移行するのであるから
半霊半物の肉体とならねばならん
今のやり方ではどうにもならなくなるぞ
読めば分かる通り、霊化されるのは洗濯された心の事であって、肉体の事ではない。
ところが言葉で「半霊半物質」と書かれると、「物質状態でも、霊的状態でもない」肉体の事にすり替えられてしまう。
何の事だか分からないために、「次元上昇」だとか、「アセンション」だとか、「光の天使」だとかに言葉を置き換えて理解しようとする。
しかしそれらはただの言葉の堂々巡り(循環定義)であり、ありもしない妄想で「半霊半物質」の意味を理解した気分になると言う魂胆である。
原因は2つほどあって、1つは人々が『物在的』にしか物事を理解できないためであること。
そしてもう1つが、地球環境や社会システムが破局を迎えた地上では、『弥勒の世』を謳歌する訳にはいかないからである。
せっかく生き残っても、核で汚染された大気や耕作地、津波や火山活動で崩壊した地表環境の中を更に生き抜いて行くのは事実上『生身の肉体』では不可能である。
ならば、別の世界で安楽に暮らしたい。
当然、『弥勒の世』の時まで生き残った、選ばれた民にならそれぐらいの境遇が与えられていて当たり前である。
だから、この地球ではない別の次元に上昇してしまうか、別の天国住居が用意されていてしかるべきだ、と言う姑息な想念がそうしたバカげた認識を産み出してしまうのである。
ホピと日月神示による最終予言-08
ttp://miraiyogen.blog72.fc2.com/blog-entry-103.html
◎日月神示に言う「半霊半物質」と言う言葉には、当然「来るべき神人の霊を入れるにふさわしい、新たな肉体」の意味がある。
そして、「地上世界での物質性に従属しない、高位霊性の備わった意識」の意味もあるだろう。
つまり「日月の神」が言う「半霊半物質」の世界とは、「大本の神」が言う「霊主体従」の生き方を容易に実現できる世界と同じ意味なのである。
そしてそれこそ、ヒトラーが予告した『神人(ゴッドメンシュ)』による民衆支配の意味と同一のことを指している。
『神人は霊』であり、『民衆は肉』の対極にあるが、人類という『1つの有機体』にとっては、この2極構造こそ「霊と肉」が共存している「半霊半物質」の在り方なのである。
◎もし弥勒の世が、この地上世界に実現されないのであれば、そもそも「霊主体従」の意味が、空虚な言説に過ぎなくなるのだと理解しなければならない。
弥勒の世が、『次元上昇した、安楽なだけの天国世界』だと言うのであれば、そこに「霊主体従」の教えが入り込む余地があるだろうか?
「霊主体従」と言う「大本や日月の神」の基本的な教えは、物欲に引き寄せられるこの地上世界にありながらも、この鈍重な肉体が、精妙な霊の入れ物である事を理解して生きるように啓発するものであった。
これまでの、主人(霊)と手段(肉体)を取り違えて生きる、現在の誤った行動様式に反抗して生きるからこそ、弥勒の世が開けるのである。
そうした人間だけが地上に残され、「霊主体従」を尊守する人々が新たな世界に必要とされる時代が来る「仕組み」だからこそ、それをもって「弥勒による救済」と言うのである。
この時代転換のための大いなる働きを成す者こそが、弥勒の神々であり、希有壮大な宇宙的進化の中に、人類の霊的進化を位置づける作業が、今まさに、このわれわれの時代に進行しているのである。
ところがアセンション信仰に陥った人々は、『厭離穢土、欣求浄土』と言う古来からの情緒パターンにからめとられ、物質性そのものがなくなることであると逃避的に考えてしまう。
◎弥勒の世が別空間、別次元に建設されるのなら、この地上などどうなってかまわないと言うことにもなるだろう。
だが、核兵器も化学兵器も、それを造り出した人類自身の手で、この地上から無害化させて廃棄させなければならない。
その責任を放擲すれば、それこそがカルマとなって人類進化の行く手を阻む事になるだろう。
眼をつむり、思考を停止させても、人類が造り出した負の遺産はそこに残されたままであり、誰かが魔法のようにこのカルマを消してくれることなどありはしないのである。
『超人(ユーベルメンシュ)』や『神人(ゴッドメンシュ)』と言う、人智を超えた存在能力が必要となるのはそのためである。
彼らが出現しない限り、宇宙的艱難をくぐり抜けて、全人類をつぎの時代に導く事はできないのである。
関連情報
近・未来予言:ホピと日月神示による最終予言
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