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幸せな成功のための魔法の杖さんのブログより
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小泉首相と稲川会
テーマ:小泉純一郎と稲川会
総選挙の公示が間近となり、
あちこちのブログでも選挙がらみの話題が増えてきた。
そこで、今回は、小泉純一郎と広域指定暴力団(ヤクザ)である、
「稲川会」との関係を取り上げたい。
小泉首相とヤクザ組織「稲川会」との関係をスクープしたのは、
2004年7月発売の雑誌「フライデー」だった。
証拠写真も、もちろん撮影されていた。
ところが、継続掲載は圧力がかかって、
実現しなかった。
日本の全てのマスコミがこのことを
まるでタブーのように無視してしまった。
野党も黙ったままである。
国会で誰も一度も追及しなかった!
このことに、ようやく光を当てることをしたのは、
カナダ人の在日ジャーナリスト、
ベンジャミン・フルフォード氏だけであった。
彼の本、『改訂版 日本マスコミ「臆病」の構造』
から、その当たりのことを紹介しておきたい。
増補・改訂 日本のマスコミ『臆病』の構造
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小泉純一郎の選挙対策本部長を長年努めた竹内清は、
暴力団「稲川会」の組員だったのだ。
一応、前職は「神奈川県議会議長」という肩書きだった。
彼は、「稲川会」の故・石井会長と非常に親しい関係にあった。
但し、竹内清は、若い頃に足を洗い、堅気になっている。
しかし、親分の石井会長に可愛がられ、
やくざを辞めてからも出入りしていたのだ。
1991年、その石井会長が亡くなった際、
葬儀で最初に焼香したのは、竹内清だったのだ!
上下関係の厳しいヤクザの世界で、こういうことが
問題なく可能だったということは、
竹内清自身が、石井会長が存命中から
周囲の誰もが認める関係だったということである。
小泉純一郎の選挙対策本部長を連続10回も努めた竹内清は、
2001年に、その地位をようやく息子に引き継いだ。
「稲川会」は、違法賭博、売春、風営法違反、詐欺などの罪で
下っ端にも幹部にも逮捕者を出している広域暴力団で、
小泉純一郎の選挙区である、横須賀に本部がある。
「フライデー」のカメラマンが撮影した、
「稲川会」の構成員名簿には
はっきりと竹内清の名前が写っていたのだ。
「フライデー」の記者の質問に、竹内清はこう答えていた。
「石井さんは黙っていてもやってくれる人でした」
何をやってくれたのだろうか?
さらに、今度はベンジャミン・フルフォードが、
「稲川会」の幹部(35歳)に小泉純一郎と「稲川会」との繋がりを
確認したところ、彼は次のように答えたという。
「横須賀では、政治家ならウチと繋がっていないと、
何一つ出来ませんよ」
ここで言う「繋がる」とは、「票の取りまとめ」、「買収工作」、
「裏金作り」などの見返りに行われる、
組員が逮捕された場合の実刑の軽減、
風俗店許認可への便宜供与、
マネーロンダリングのお目こぼし、
大型土地買収案件での仲介斡旋などである。
民主党もその他の野党も、
みんなこのことは知っていながら知らんぷりだ。
そりゃそうだろう、そんなことを真正面から
突っ込んでいけば、東京湾に自分の死体が浮くか、
自宅で首吊り自殺したように見せかけて殺されることが
わかっているからだ。
小泉純一郎とは、そういう取り巻きに囲まれている
日本の首相なのだ。
彼は選挙中に地元に一回も帰って来ないことで有名だ。
絶対的に当選するという自信の裏付けがあるからだ。
さて、あえてここで冷静に考えてみよう。
これら一連のお話が、全く勘違い報道か、
あるいは作為のある捏造報道だったということはないだろうか?
もし、上記の記事内容が全く根も葉もないニセ報道で、
小泉純一郎自身が清廉潔白だった場合、
当然「名誉毀損」で出版社は訴えられていた可能性はあったはず。
が、事実はそうではない。
訴えれば、そういう話題を日本中のマスコミに、
わざわざ投げ与えるようなことになってしまう。
それは、どうしても避けたかったとしか思えないのである。
その代わり、小泉陣営や稲川会は何をしたのか?
簡単である。
問題の記事が掲載されている、雑誌「フライデー」の発売日の早朝、
稲川会の若手組員などが総出で、
小泉首相の選挙区内のあらゆる駅の売店や
書店、コンビニを訪れては、買い漁っていったのだ。
おかげで、その肝心の記事を読んだという横須賀市民は
数えるほどしかいなかったというわけだ。
ゆえに、結果論的に、上記のお話は、
限りなく真実に近いものと思われる。
もし、このブログの読者で横須賀在住の方がおられたら、
是非、ご意見をお聞かせ頂きたい。
【おまけ】
横須賀と言えば、「米軍基地」で有名である。
つまり、横須賀の街は、「米軍基地」のおかげで
飯が食えているという人が多いということも事実なのだ。
小泉純一郎がアメリカ追従政策を取らざるを得ない理由の一つは、
こんなところにもあった。
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ついでながら言っておくと、
小泉純一郎は代議士一族の三代目である。
祖父の小泉又次郎は、戦前の衆議院議員で
逓信大臣(今で言う郵政大臣で)を努めた人物だったが、
家業の「請負業」の建て直しのため、
やむなく政治家を途中で一旦あきらめた男である。
そのため、政治家に戻る未練を断ち切るために
全身に刺青を彫ったことで有名だ。
小泉又次郎の一人娘の入り婿となったのが、
鹿児島県加世田市出身で小泉又次郎の秘書だった、
旧姓鮫島純也、後の小泉純也である。
小泉純一郎の父親である。
さて、余談ついでに、もう一つ。
小泉純一郎の政治資金管理団体「東泉会」の金庫番が、
小泉信子。
彼女は、小泉純一郎のすぐ上の姉(四つ年上)で、三女である。
彼女の許可なくして、1円たりとて動かせないのだ。
彼女は、高校卒業後、20歳で父親の秘書となり、
父親が亡くなった後は、
引き続き弟である小泉純一郎の政策秘書となり、
現在に至っている。
生涯(今までのところ)独身である。
つまり、議員秘書歴通算46年以上にもなり、
永田町では彼女に文句を言えるような
経歴と度胸のある議員は誰一人としていないのだ。
さらに、小泉信子は、
政策秘書として国から給与(年間1400万円)を受け取りながら、
「川崎タクシー株式会社」の役員に名前を連ねている。
しかも、謄本上、彼女は「常勤役員」となっているのだ!
ここでの給与は、一切が秘密となっている。
川崎市川崎区に本社のあるタクシー会社(最近では不動産業も
兼業している)の役員に、小泉信子が就任したのは1964年。
東京オリンピックの年である。
このとき彼女はすでに、父、小泉純也防衛庁長官の秘書だったのだ。
このタクシー会社は、先代の社長の時代から、
長年小泉一族の後援会の大幹部だったのだ。
さて、タクシー会社は許認可制なので、
新しい営業所の開設や車の増車など、
様々な場面で監督官庁とのやりとりが出てくる業界だ。
首相の実の姉が役員に名前を連ねているタクシー会社・・・。
そして全く勤務実態がないにも関わらず、「常勤役員」として
名前を出している政策秘書の小泉信子・・・。
怪しい匂いがプンプンしてくるではないか!
参考文献:「無情の宰相 小泉純一郎」
文責:ネコペンギン
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