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http://wwwsoc.nii.ac.jp/aict/myweb1_015.htm
テクストの解体/解体するテクスト
西堂行人
*AICTモントリオール世界大会(2001)での報告。本サイトが初出。
1、変容するテクスト
ここでは主として、日本の現代演劇、とりわけ1960年代半ば以降の<演劇革命>によって切り開かれた言語やテクストの問題に言及してみたいと思います。
「戯曲(文学)」をそのまま上演するという考え方は、<演劇革命>によって、ある程度失効しました。「戯曲=文学」から開放された劇現場は、それ以降、「戯曲=テクスト」に対して果敢な実験を開始しました。
そのとき日本の現代演劇に特徴的だったのは、オリジナル・テクストが圧倒的な量で書かれたことです。演劇の新しい創造は、新しいテクストの生産と同義とされました。座付作家によって書かれた言葉は稽古の過程を経て、「書斎の言葉」から「身体の言葉」へと変換されていきました。このプロセスは、「個人の言葉」が「集団の言葉」へと変容していくことでもあります。
そのときテクストは「集団」の合作という性格を帯びるものとなりました。現代演劇のテクストは、つねに集団的な思考にさらされ、それを実質的に担うのが俳優です。六〇年代以降の劇作家が同時に演出家も兼ねたのは、テクストの生産と批評が俳優の演技創造と同時的に行なわれたからです。「集団創造」とは、このプロセスを経て生み出されたものでした。そこでは演劇を構成する要素のヒエラルキーが消滅し、それぞれのエレメントは水平的な関係を持ちます。これこそが<演劇革命>といえるでしょう。集団性を基盤にすえる演劇は、必然的に身分性を消滅させる共場主義(コミュニス゛ム)の演劇をめざすのです。
こうして「演劇革命」は、一方で「テクスト革命」でもあったわけですが、六〇年代においても成功したものは、むしろ例外といってもいいかもしれません。
2、引用のテクスト〜『翼を燃やす天使たちの舞踏』
例えば「演劇革命」の最良の成果と思われるものに、黒テントの『翼を燃やす天使たちの舞踏』(1970)があります。黒テントは60年代のアングラ演劇の代表的な劇団の1つです。このテクストはドイツの劇作家ペーター・ヴァイスの『マラー/サド』をモチーフに佐藤信ら四人の劇作家が翻案したものです。ヴァイスの原テクスト自体、きわめて複雑な劇中劇の構造を持っています。これをさらに多層化してみせたのが『翼−−』でした。
このテクストに特徴的なのは、さまざまな「引用」から成り立っていることです。ヴァイスの言葉はもとより、革命についての言説、アフォリズムがスクリーンに投影され、セリフによる対話空間をはるかに超えた言語空間がかたちづくられます。そしてミュージカルやサーカス、アジプロといった民衆劇的な手法も持ちこまれまし た。ここには「オリジナル戯曲」とは違った別の変奏があります。
俳優と言葉の関係も変わりました。言葉が一個のキャラクターの内面を代弁=代理するという近代劇の約束事を破壊し、すべては空間を構成するための言語なのです。
たとえばここで、アントナン・アルトーの有名な一説を想起してみましょう。
「私の言いたいのは、舞台というのは、物理的な具体的な場所であって、その場所を一杯にすること、それに具体的な言語を語らせることが求められているということです。さらに言いたいのは、この具体的な言語は、言葉に従属することなしに、五官に訴えられるように作られており、従って、まず感覚を満足させるべきだということです。……」
(「演出と形而上学」)
アルトーの構想していた演劇は「空間における詩の一つの形態」でした。だとすれば、セリフという分節言語だけが特化される必要はありません。俳優の肉体が発する音も、セリフ以前の言葉、声、叫びといった五官に直かに訴える言語も、テクストが空間の言語として組織しうるものではないか。空間を構成する言語、すなわち「演出の言語」が劇作家によって書かれなければならないのです。劇作家が否応なく演出家も兼ねざるをえない、つまりドラマティスト(劇作家/演出家)であることが、この時代の演劇で要請されていたのです。
3、テクストと上演
テクストと上演の関係は、次の三つの段階に分けて考えられます。
一つめは、テクストが上演を支配していた段階。次に上演がテクストを支配した段階、そして最後の三番目は、テクストが他ならぬテクストでしかない段階、この三つです。最初の段階は、近代劇−−日本では「新劇」と言いますが−−、すなわち劇作家の時代に対応します。上演に先立つテクストという戯曲が「文学」としてあり、その「再現」が上演でめざされます。
次はテクストが「台本」もしくは「脚本」と呼ばれた段階、これは六〇年代以降の<アングラ・小劇場>に対応します。この段階では、文学の持っていた優位性が否定され、戯曲は上演する口実になり、テクストに先立つものとして「肉体」あるいは上演母体である「集団」が前提にされます。これは大きなパラダイム・チェンジです。が、現在の目から見ると、その「革命」も相対的なものに映し出されてきます。テクストと上演の関係が、支配する/支配されるというカテゴリーから免れられなかったからです。
この「支配」という権力関係を内側から無効にしていこうとするのが三番目の段階に照応します。すなわちテクストは上演されようがされまいがテクストであり、上演をそそのかすものでもあれば、来たるべき上演を待っているマテリアル(材料)なのだという認識です。テクストは媒介であり、想像力を立ち上げていくための触発剤なのです。
われわれはここで三番目のテクストとはどういう存在であり物質なのかを考究すべきところまで来ました。
4、触発材としてのテクスト〜『水の駅』
ここで太田省吾の沈黙劇のテクスト『水の駅』を扱ってみます。このテクストには「記録としての台本」という副題が付いています。
この劇はとある公園の片隅に蛇口の壊れた水道がある。そこから間断なく水が流れている。そこに引き寄せられてくるように、若者たちの一群が、あるいはいわくありげな中年カップルがやって来て、さまざまな行為を演じる。ただしそこではいっさい言葉が交わされることはない沈黙劇として演じられるのです。
では太田は何をもとに上演に向かっていったのでしょうか。そこで彼は稽古に先立って、> 上演の枠組みとそこでの実験のめざすところ、登場人物の行動を説明するとともに、さまざまな<資料>を俳優たちに与えたといいます。それは、詩や小説、戯曲、絵の一部の引用です。太田はそれを「直接形(のセリフ)で書くことはできなかった」といっています。「直接形」の言葉とは、行動と意味が一致してしまうような言葉のことです。例えばセリフを書いてしまうと、それは直ぐさま人間の行為を説明することに動員される。言葉は意味にとらわれ、「台本をどう表現するか」に向かっていく。太田はこのことを何とか回避しようとした。そこで使われる言語群は、詩的イメージを俳優自身になかに掻き立てていく言葉、来たるべき<劇>を予見させるものなのです。その言葉に触発されたイメージを俳優たちは身体の動きに変換=翻訳していくのです。
そして稽古の過程で、この「<資料>は意味を失い、跡を消していった」と太田は書きました。俳優たちは、<資料>をイメージとして消化、内面化し、その挙句に棄てていったのです。あたかも言葉の意味を抜き取り、行為だけを舞台の上に投げ出し、観客に解釈を委ねるかのように。その結果として残された行為、身ぶりの集積が、「記録としての上演台本」ということになりました。
作家が演出家の役割を担うようになってから、テクストは現場に即して書かれるようになりました。そのさいテクストは、文学的な意味形式では捉えられないダイナミックな構造をもったものとなっていきました。太田省吾の「記録としての上演台本」から読みとれるのは、そういうことです。
5、不可能性のテクスト〜ハイナー・ミュラー
演劇のテクストがそのままでは絶対に上演不可能なレベルで書いたのが、ハイナー・ミュラーです。彼のあるテクストではセリフやト書きという言葉の身分が消滅しています。セリフを俳優が喋り、ト書きは俳優の動きや舞台空間の配置を指示するものだという約束事は最初から放棄されています。ミュラーは当初から上演を前提に書いていませんでした。 ただ彼の脳髄に浮かんだ劇的イメージを紙に書き付けていくと、次第にそれが読んだ者をして上演への欲望を掻き立てていく刺激的なテクストになっていったのです。
『ハムレットマシーン』は対話が不可能になった後の独白という形式です。しかしその独白は主体が固定されず、どこで誰が喋っているのかさえ特定できない。ときに、話者はタイプライターと化して外で進行している状況をほとんどオートマチックに記述する。あるいは出番の終わった俳優が舞台の出来事をシニカルに論評する。すでに対話による論戦という「幸福な劇」は放棄されています。いやそうした論戦自体、ベケットの登場によって終焉したのではないか。劇的対話が無効になった後の白々としたモノローグ。ミュラーのテクストには人間相互の絶望的なコミュニケーションの状況が埋めこまれています。
作者はこの地点で何も主張していません。主張そのものを放棄しているとさえ言っていいでしょう。そこに言葉という残骸=断片があるばかりなのです。こうした言葉のあり方こそ、テクストが他ならぬテクストでしかない、第三番目の段階と言っていいでしょう。このテクストの受容者は、テクストを読解し、自分の領域に翻訳し、その上で舞台上に変換せねばならない。作者は最終現場で棄て去られる。作者の死が確認されるのは、この地点においてです。
6、日本の現在〜『東京トラウマ』『ハムレットクローン』、『S/N』
ハイナー・ミュラーはここ十年ほど、日本でも注目を集め、すでにかなりの意欲的な上演があります。昨年、川村毅と第三エロチカが上演した『ハムレットクローン』はきわめて注目すべき作品です。この作品はシェイクスピアの『ハムレット』とミュラーの『ハムレットマシーン』を合体させたもので、ちょうど1990年にドイツ座でミュラーが行なっことと同じ試みです。
川村はこの作品に先立って『東京トラウマ』(95)や『オブセッション・サイト』(97)という刺激的な舞台を発表しました。戦争の記憶と現在の猟奇的事件から、東京という大都市を精神分析し、病理を解剖する一種のドキュメント風の作品です。すでに両作品で、テクストは徹底的に解体され、物語は姿を留めず、言葉は空間に投げ出されているといっていいでしょう。テレビのモニターに言葉が映し出され、俳優の声はマイクで増幅され、生身の肉体から離れ、機械音とともにやってきます。現在という時間に拮抗するためには、こうした断片化、物語の解体は必然なのです。
『ハムレットクローン』は「ハムレット」の物語を日本の家庭劇に移し変えました。そしてハムレット一家を日本の天皇の一家にダブらせて、そこに国家批判を込めたのです。
ここで、一本の糸のように張り巡らされた劇[=筋]を見るという約束事を拒絶された観客は、自らの想念のなかで、劇を組み立て直すという作業を強いられるでしょう。断片から劇の流れを編集していくのです。ここで観客は受け身でない態度を求められることになります。のみならず、つくり手の押しつけがましさからも解放されるのです。いわば、受信者と発信者の対等の関係が生まれると言い換えてもいいでしょう。
最後にダムタイプの『S/N』にも触れておきましょう。
この作品は、1995年にAIDSで死去した古橋悌二の遺作となったもので、同性愛、> 男女のセクシュアリティ、ジェンダーなど現代の先鋭的な問題を問うものです。同作は世界中で上演されてきたパフォーマンスです。
このテクストは、言葉の断片のみで構成されています。しかもその言葉の質は、一行か二行のアフォリズムか単語の短いセンテンス、メッセージの類から成っており、それらは映像のキャプションとして舞台に掲げられたスクリーンに速射砲のように打ち込まれるのです。この上演では、言葉の比重は他のエレメント−−ば舞台装置、インスタレーション、映像やコンピュータ・グラフィックス、音楽−−とほぼ均等に位置づけられています。その言葉も、さまざまな引用から成り立っていて、映像ショットとどう組み合わされるかで微妙に意味作用が変わってくるのです。したがって言葉がどのような文脈 のなかで機能するかを考えなければなりません。
『S/N』のテクストにはもう完璧に<作者>という特権者は消え去っていることがお分かりでしょう。ミュラーですら辛うじて自己の身元保証や少なくとも文体という痕跡=署名が刻印がされていました。ここにいたって、言語は完全に舞台の従属あるいは支配から解き放たれ、無権力な空間のなかでどこにでも接続可能な断片=マシーンへと散乱したのだと考えられます。
テクストは一度文学の形式に幽閉されてみたものの、今一度その牢獄から解き放たれようとしている。ただしそのためには、手放しで自由を謳歌するのではなく、テクストという狭い牢獄のなかに一度身を潜め、そこから脱獄(脱出)するという解体−構築の手続きをとらねばならなかった。テクストが三つの段階を経てきたのは、そのためでもあります。
テクストはいったい誰が書き、その言葉は誰に所有されるのか。それらは個人に帰するものではなく、さらに言えば、所有という概念自体が放棄され、言葉は歴史や集団といった無名性のなかに散逸し、それゆえに共有されるのではないか?その消失点にこそ、演劇が決定的に変わり得る可能性が胚胎しているのだと考えられるのです。
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