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特集 いまこそ 日朝国交正常化を急げ! ―― 12月19日、唐突に金正日総書記の死が発表され、同時に三代目・金正恩体制が発足した。この北朝鮮の権力移譲がもたらす国際政治への影響をお伺いしたい。まず、北朝鮮の内部は今、どうなっているのか。 菅沼 確かに金正日の死自体は突然であったが、三代目・金正恩体制への移行過程は既定路線として周到に準備が進んでいた。2010年5月に金正日は訪中したが、その時に金正恩を同行している。金親子は吉林省の毓文中学校を訪れているのだが、これは国父・金日成の革命の原点とされる場所だ。この訪問の折には北京から長春まで胡錦濤がわざわざ駆けつけたという。この政治的演出が意味しているものは、金正恩が金日成の嫡孫であることを内外に示し、次代の北朝鮮の指導者として、中国から承認を得たということだ。 ―― 三代目体制のもと、北朝鮮は内政・外交においてどのような政策を取るのか。 ―― そこでお伺いしたいのが、諸大国の動向だ。 ―― その中で、わが国はどのようにこの新世代の北朝鮮に臨むべきか。 ―― 拉致問題の解決は一段と遠のいた。
日朝交渉を妨害する韓国 元公安調査庁第二部長 菅沼光弘
(画像は、「月刊日本編集部ブログ」より転載)
金氏朝鮮の確立
帰国後の同年9月28日に第三回労働党代表者会議が開かれたが、ここで朝鮮労働党の組織に本質的な転換が行われている。すなわち、金正恩を支える組織として大掛かりな転換が行われた。それは、人事の刷新、首脳部の若返りといったレベルに留まらない。党規約という労働党の根幹に関わる部分に修正が行われたのだ。
これまで、労働党は、「偉大な首領金日成同志により創建された主体型の革命的マルクス・レーニン主義の党」と定義されてきたのだが、それがこの時に、簡潔に「偉大な首領・金日成同志の党」となった。さらに、規約には「金日成朝鮮」という文言まで盛り込まれた。この言葉は1995年4月16日付『労働新聞』に現れたのが初出とされるが、この言葉が規約という公的文書に明記されたことが大事だ。
すなわち、名実ともに、北朝鮮は金王家を頂点とする王朝体制への移行を遂げたのだ。
共産主義を旗印に掲げる国家の最大の問題点は、独裁的指導者死後の権力闘争にある。レーニン死後、スターリン死後、あるいは毛沢東死後にどれだけ過酷な権力争いが行われたかを見ればそれは明らかだろう。党は分裂の危機に見舞われる。
だが、王朝であれば、権力の移行は血の原則に基づいて行われる。「金日成朝鮮」という言葉は、「李成桂朝鮮」、すなわち李氏という王朝が国家そのものである「李氏朝鮮」に比肩することができる。いわば、三代目金正恩への権力移行が果たされたことによって、「金氏朝鮮」が名実ともに確立したのだ。
王朝には王朝の問題もある。血族内部での権力闘争だ。金正恩の有力なライバルと目されてきたのは長男・金正男だ。その容貌と巷間伝えられる逸話とは異なって、正男は極めて優秀だと言われている。英語はもちろんフランス語も堪能で、豪快な親分肌なので慕う人間も多いという。東京ディズニーランドに遊びに来た姿が有名だが、金正男はバカ殿を演じていた可能性が高い。
実際、金正日も父・金日成存命中は徹底してバカ殿のふりをしていた。偉大な首領である金日成にはまったく及びません、と、常に一歩引いていたのだ。そうしなければ権力の簒奪者として命が危ないからだ。そして金日成没後、権力を掌握すると、ライバルである異母弟・金平一(もしくは金平日。金日成と金聖愛の息子)を大使という形で体よく国外へ放逐し、金平一派に徹底的な粛清を行った。現在に至るまで金平一は北朝鮮に戻ることはできないでいる。
金正恩も、こうした歴史を繰り返すだろう。金正男は何らかの形で権力の中心から放逐されるか、粛清される可能性が高い。金正恩は着実に権力基盤を固めている。これまで金正恩の肩書きは「朝鮮人民軍大将」「党中央軍事委員会副委員長」「党中央委員」の三つだったが、金正日の葬儀を終えた直後、12月30日の政治局拡大会議において、人民軍最高司令官に推戴された。さらに、年明け早々、105戦車師団の視察に赴いている。金正日が金日成の死後一年間は喪に服して目立った行動を取らなかったのとは対照的だ。この105戦車師団とは、1960年8月に金日成と金正日が訪れ、先軍思想指導を行った歴史的な場所だ。ここを訪れることで、金正恩は金正日の遺志を継いで先軍政治を推進する姿勢をアピールしたのだ。
もともと、金正日は12年には金正恩へ権力を委譲する予定だったと思われた。12年は金日成の誕生年を元年とする主体元号によると「主体101年」という、新しい時代の始まりであり、この年に「強盛大国の大門を開く」ということが宣伝されていた。新時代を新しく若い指導者に委ねるという演出を金正日は考えていたのだろう。死によってそれが少し早まったものの、金正日が描いたとおりに、権力は正しく金正恩へ移行され、金正恩も着実に権力を固めている。
金正恩がまだ若年で経験も不足していることから、長老たちによる集団指導体制が取られるのではないかという観測もあるが、あくまでも北朝鮮は金王朝だ。主権者は金正恩であることに変わりはない。金正日時代もそうだったが、表に出ている長老たちとは別に、金日成総合大学を卒業し、アメリカにも留学をしたような極めて優秀な若い世代がブレーンとして金正恩を支えている。こうした体制がある限り、北朝鮮内部が根幹から動揺するような事態は起こらないだろう。
金正恩には戦争をする「胆力」がある
菅沼 これまでの既定路線を着実に進めていくだろう。すなわち、「強盛大国の大門を開く」ための先軍政治をより一層強力に推進するだろう。「強盛大国」とは、「政治思想大国」「軍事大国」「経済大国」という三つを併せ持つ国家になるということだ。政治思想についてはすでに「主体思想」という概念によって完成している。また核保有によって軍事大国も達成した。残るは経済大国だ。
北朝鮮は金正日死去の直前から「咸南の炎」、「21世紀の新しい産業革命の炎」と称して、産業を軽工業からさらに重工業発展大キャンペーンを展開していた。その中心となるのが咸鏡南道の道都・咸興市の興南地区だ。ここには戦前、日本窒素社の巨大肥料工場があり、日本が化学産業の重点地区として開発した場所だ。創設者の野口遵は鴨緑江をせき止めて巨大なダムを作り、当時としては世界最大の水豊水力発電所も作っている。こうした旧大日本帝國の残したインフラを最大限に活用しつつ、重工業を発展させるのが現在の内政の最重要課題だろう。
とはいえ、先軍政治という大きな枠組みは変わらない。軍事を最優先とするこの方針の根幹には、朝鮮戦争は法的には終結しておらず、北朝鮮が未だにアメリカと「休戦状態」であり、従って、状況によってはいつでも再び戦闘状態になりうるという背景がある。また、金日成による朝鮮革命の目標は朝鮮半島の統一だ。韓国との統一という目標が未だ果たされていない以上、戦闘は続く。金日成が死んだ時、その遺体は赤い革命の旗に覆われていたが、足の爪先が盛り上がっていた。つまり、軍靴を履いたまま遺体は安置されていた。靴を履いたまま埋葬するのは北朝鮮の風習というわけではない。これは、金日成の魂は未だに戦闘態勢にあり、北朝鮮はその遺志を継いで、今後も金日成の祖国解放戦争を継続するという決意の表明だ。今回公表された金正日の遺体も、やはり同じように靴を履いていた。すなわち、戦闘はまだ継続しているのであり、南北の統一は未だに国家目標だということだ。
金正恩は、後継者として相応しい『胆力』を持っている、と言われている。三代目が金正恩に決定するまでの経緯はいろいろあっただろうが、その時決め手になったのは、容貌とこの『胆力』だ。金正恩の容貌は国父・金日成にそっくりで、「金日成朝鮮」の指導者としてふさわしい神話的な風格がある。そして、『胆力』があるのだが、これは「右顧左眄することなく戦争を遂行できる能力」のことだ。
金正日は政治能力が高い優れた指導者だったが、実はこの『胆力』には欠ける所があった。戦争よりも映画や音楽、芸能といった文化的なものを好む、文人肌の政治家だったのだ。金正日時代に決定的な軍事行動がついに起きなかったのも、金正日個人の資質に負う所は非常に大きい。
だが、金正恩は『胆力』がある、すなわち、直接的な軍事行動を取るハラが座っている。それを、金日成時代からの軍事のスペシャリストである李英浩総参謀長が補佐している。李英浩は対韓強硬派だから、今後、軍事的に韓国をゆさぶってくるだろう。
また、今年の四月には韓国で国会議員選挙が行われる。今、韓国国内は米韓FTAの是非をめぐって国論が二つに割れている。現在の観測では与党ハンナラ党は大敗し、年末の大統領選挙では親北朝鮮派の大統領が登場する可能性が高い。そうなれば、李明博大統領は逮捕される可能性が高い。親北朝鮮の政権が韓国にできれば、南北融和は一気に進む可能性もある。ハンナラ党が大敗した場合、北東アジア情勢は重大な緊張局面を迎える。南北の統一という問題は単に韓国、北朝鮮間の問題ではなく、北東アジアの安全保障を根幹から揺るがす位相転換となるからだ。すなわち、米中露を巻き込んだ国際的緊張が高まることになる。
4月の韓国国会議員選挙がカギ
菅沼 現在、北朝鮮は中国との連携を強め、一方、韓国はアメリカの庇護下にある。米韓FTAが推進されれば、実質的に韓国はアメリカの51番目の州になる。米中という二大国の利害が衝突する場所が朝鮮半島だ。ここで万が一、南北が統一した場合、北東アジアの中心に七千万の人口を持つ核武装国家が現出することになる。その新国家がアメリカ寄りになるのか、中国寄りになるのかで北東アジアの政治・軍事バランスは大きく変動する。わが国の安定にとっても、重大な危機が出来(しゅったい)する。
北朝鮮はアメリカによって自らの生存が脅かされた場合、必ず中国を巻き込んで、北朝鮮対アメリカという構造を中国対アメリカという二大国の衝突という構造に位相を転換してしまうだろう。大国を巻き込んで世界的規模での紛争にしてしまい、その中で生存を図るというのが朝鮮半島の歴史だ。かつて日本が朝鮮半島に進出した折には清を巻き込んで日清戦争を演出したし、その次にはロシアを巻き込んで日露戦争を演出した。こうした歴史的経緯は再び繰り返されることになるだろう。
とはいえ、アメリカも財政危機に苦しんでおり、軽々に軍事行動を取ることはできないし、まして中国と直接対峙することは避けたい。北朝鮮もアメリカの足元を見透かして、4月の韓国国会議員選挙の結果次第では、大胆不敵に攻勢を強めてくる可能性も高い。
中国と北朝鮮は昨年、「中朝友好相互援助条約」の50周年を祝う行事を行ったが、この条約はいずれか一方の国家が戦争状態に突入した場合、自動的にもう一方の国家も参戦することが定められている。中国側もアメリカとの直接対決は避けたいから、「名存実亡」、すなわち、言葉の上ではそういうことになっているが、実質的には機能しない、という見解を発表している。とはいえ、条約に定められている以上、国際情勢の変化次第によっては、この解釈は容易に変更されうる。中国共産党政府にとっては、北朝鮮の存続は地政学的な意味の他にも、極めて重要な意味を持っている。
それは、中国共産党による一党独裁体制の正統性の問題だ。かつてソ連と東欧共産諸国が崩壊した時、共産党政権の正統性が揺らいだことがあった。だが、崩壊したのはヨーロッパ型の共産主義であり、アジア的共産主義は有効に機能しているというのが中国共産党が拠り所にした正統性だった。ベトナム、北朝鮮を見よ、アジア的共産主義はうまくいっているのだ、というわけだ。だが、ここで北朝鮮が崩壊するようなことがあれば、中国共産党政権の正統性も揺らぐことになる。実際、2008年12月、「改革・開放30周年式典」において胡錦濤は「中国共産党の政権党としての地位は永遠でも不変でもない」と、共産党支配に危機が迫っていることを率直に認めている。万が一北朝鮮が崩壊すれば、共産党打倒の火は中国に飛び火してしまうだろう。「アラブの春」のようなドミノ倒し的政治暴動のきっかけとなりかねない。
この意味においても、中国は北朝鮮を支え続ける必要があるのだ。
いずれにせよ、朝鮮半島をめぐる国際政治情勢は4月の韓国国会議員選挙をきっかけに大きく動くだろう。
日本人は朝鮮を知らなさすぎる
菅沼 根本的な問題として、現政権のみならず日本人は一般に、朝鮮および朝鮮人というものに対する正しい理解が欠けている。朝鮮人とは何ものかも知らずして適切な外交方針を立てることはできない。日本は朝鮮半島との長い交流の歴史があり、また彼らが言うところの『日帝36年』という、日韓併合時代もあったのだが、戦後、その知的・経験的遺産が完全に断絶してしまった。朝鮮半島のどこにどのような資源があるかは軌鮮総督府の資料に網羅されている。また、日本の技術で朝鮮半島を一気に近代化させたため、現在に至るまで、朝鮮半島の基本インフラは日本の魔術に負っている。たとえば、韓国では金泳三大統領がフランスの新幹線(TGV)を導入して近年開通したが、事故が続いている。これは日本製のインフラの上に、原理が全く異なるフランスのインフラを導入したことが根幹にある。
朝鮮人についても、彼らが歴史的に有する事大主義について、日本人はよく知っていたはずだ。彼らは国家の生存のため、常に強大な国家の権威・権力を笠に着る。今、韓国は日本に対して竹島問題、従軍慰安婦問題で攻勢を強めているが、これは日本が強大な国家ではないからだ。
さらに韓国について言えば、その内在的論理を考えれば、韓国は国家の統一を維持するためには敵のイメージが必要なのだ。実は韓国は思想的に非常に脆弱な国家で、韓国人に愛国心は希薄だ。それは、大韓民国の正統性が明確ではないからだ。たとえば戦争において、韓国の若者は「李明博大統領の命令に従って死ね」と言われた時、命を捨てるだろうか。北朝鮮人民なら喜んで金正恩の命令に従って戦地へ赴くだろう。
だが韓国人ならば、急いでアメリカなどへ逃げ出すだろう。政権の求心力が失われると、北朝鮮は別として、アメリカや中国を敵とすることはできないから、一番手頃な敵として、日本が標的となる。これが韓国の竹島問題、従軍慰安婦問題の真髄だ。
脱北者という言葉はよく使われるが、実は韓国建国以来、「脱南者」は300万人にものぼる。皆、迫害を逃れ、経済的利益を求めてアメリカへ逃げ出したのだ。
韓国では英語教育が盛んだが、英語の堪能な人々は国難となればすぐにアメリカへ逃げ出す準備ができているというわけだ。これが事大主義というものだ。
「アラブの春」において、旧宗主国であるフランスやイギリスなどが陰に陽に影響力を発揮したが、これは、旧宗主国というものは旧植民地に対する極めて深い理解とアドバンテージがあるからだ。旧宗主国としての自覚も能力も喪失しているのは日本ぐらいだろう。日本の対北朝鮮外交の根幹に、まず、朝鮮半島に対する歴史的理解を取り戻す必要がある。
その点で、金正日が死んだ時に国家として弔意を示さなかったのは致命的だ。国際政治には弔問外交というものがあるのに、千載一遇のこのチャンスを活かすことができなかった。『労働新聞』は日本が弔意を示さなかったことを強く非難しているが、それは、なぜこのチャンスに何もしなかったのかという問いかけでもある。
拉致問題を理由に、金正日に弔意を示すなどとんでもないという世論も想定できないわけではない。だが、日本は世界にも稀な、礼節を重んじる国であったことを忘れてはならない。
かつて大東亜戦争のさなか、ルーズベルト大統領が死んだ時、鈴木貫太郎首相は弔意を示し、弔電を送りさえしたのだ。金正日の死を悼み、その功績を称えると共に「金正日と解決したかった拉致問題をこれから力をあわせて解決していこう」ぐらいのメッセージを送るべきだったのだ。
日朝交渉を妨害しているのは韓国だ
菅沼 確かに日本と北朝鮮の間には拉致問題がある。拉致問題は、金正日が認め、責任者を処分し、謝罪し、拉致被害者を日本に帰すことで解決した、というのが北朝鮮の見解だ。金正日が「解決した」と述べた、すなわち、この言葉は遺訓となり、「神の言葉」となったのだ。「神の言葉」を変更できるのは神しかいない。従って、日本側の主張する拉致問題の解決はもう不可能になった。拉致問題の解決を真剣に考えるのならば、金正日の健康状態こそが日本外交にとって最大の関心事だったはずだ。
だが、いかなる兆候も察知できないうちに金正日は死んでしまった。
日本政府がぼんやりしていたためにこのチャンスを見過ごしたと言うよりも、日本政府には拉致問題を解決する意志がないというのが正確だろう。日本としては、拉致問題を入り口にしている限り、決して北朝鮮との外交折衝が進展することはない。だから本気で事態の打開を図るのならば、拉致問題を入り口にするのではなく、出口とすることが大事だった。すなわち、まず交渉を始め、日朝平和条約を結んで戦後処理を行い、その中で拉致問題についても交渉を進めるという方法だ。これ以外に現実的打開策はなかった。
だが、日朝国交正常化を極度に嫌がる国家がある。韓国だ。韓国は日朝接近を妨害するため、さまざまな手段を講じている。実際、内閣官房や拉致被害者の会にも韓国の意向を受けた人間が多数入り込んでいるし、その中には韓国国情院からカネを受け取っている人間もいるだろう。拉致問題を入り口に掲げて、制裁を叫んでいる人間は、実際には拉致問題の解決を遠のかせているというわけだ。こうした国賊とも言うべき人物が政府中央に巣食っている限り、日朝外交の進展は望むべくもない。
だが、朝鮮半島こそわが日本の生命線であることは昔も今も変わらない。朝鮮半島に対するわが国の影響力が皆無になれば、わが国は滅びざるを得ない。それが地政学的結論だ。
わが国存亡の危機は目前に迫っているのだ。
(聞き手・構成 尾崎秀英)
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