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金正男氏が日本人記者に語った父・金正日
『月刊朝鮮』が報道
「北は核問題のため天安を攻撃した」
17日発売の『月刊朝鮮』は、昨年12月に死去した北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の長男・正男(ジョンナム)氏=写真=が、日本のメディア関係者と7年にわたってやりとりした電子メール対話録を入手したと報じた。この対話録は、2004年から昨年12月まで、金正男氏と東京新聞の五味洋治編集委員がやりとりした100通以上の電子メールと、2011年1月、5月に直接会ったときの話をまとめたもの。五味委員はこれを基に『父・金正日と私 金正男独占告白』というタイトルの本を出版する。
■「金総書記は世襲に反対した」
正男氏は、五味委員に「祖父(故・金日成〈キム・イルソン〉主席)と外見が似ているだけの正恩(ジョンウン)が、北の住民をどれだけ満足させられるか心配。現在の正恩は象徴的な存在にすぎず、既存のパワーエリートが権力を主導するだろう」と語った。正男氏は、金総書記が当初「息子が権力を受け継ぐようにはしない。世襲は、自分と父・金日成の業績を駄目にする」として3代世襲に反対していたと語った。にもかかわらず、結局3代世襲を決心したのは、体制維持のためには「白頭山の血統(金日成主席の血統)」が重要だという現実的判断があったからだという。正男氏は、中国が3代世襲を見詰める視点について「中国政府は、世襲を歓迎しているというより、北朝鮮内部の安定のため、後継構図を認めているだけ」と語り「3代世襲は世間の笑いもの」とコメントした。
また正男氏は、延坪島砲撃をめぐり「北朝鮮軍部が、自分たちの地位や存在理由、核保有の正当性を浮き彫りにするために実行した挑発」と語った。哨戒艦「天安」爆沈については「北朝鮮の立場からすると、西海(黄海)5島(西海沖の北方限界線〈NLL〉近くにある五つの島)地域は交戦地域だというイメージを強調する必要がある。それでこそ、核、先軍政治のいずれにも正当性が付与される」と語った。
■「改革・開放を直言して遠ざけられた」
正男氏は、自分が後継者の座から遠ざけられた理由について「スイス留学を終えて北朝鮮に戻った後、父に改革・開放を主張してから遠ざけられ、その後警戒の対象になった」と語った。「父は私を留学させた後、とても孤独だった。異母兄弟の正哲(ジョンチョル)、正恩、ヨジョンが生まれると、異母弟たちに愛情を注ぐようになった。私が長い留学期間を経て資本主義的な考えを身に付けると、父は弟たちの海外留学期間を短縮させた」
正男氏は「私はチャンスがあるたびに、(父に)あるがまま、計画もなく直言する。以前は核実験、ミサイル発射実験に対する国際社会の懸念も直言した。最近も、住民たちの豊かな暮らしのために突き進むよう、弟(金正恩氏)をよく教育してほしいと注文している」と語った。また正男氏は、正恩氏の強力な後見人となっている叔母の金敬姫(キム・ギョンヒ)氏、その夫の張成沢(チャン・ソンテク)氏との関係について「私は今でもよい関係にあり、格別な愛情を受けている。(2人の)特別な関心の中にある」と語った。
■「正恩氏とは一度も会ったことはない」
正男氏は、正恩氏の性格について「異母弟ではあるものの、ただの一度も会ったことがなく、当人の性向についてはよく分からない」と語った。しかし正哲氏とは海外で何度か会ったという。正男氏は「金正恩体制は長くは続かないだろう」と述べ、正恩氏の「若さ」と「統治経験のなさ」に懸念を示した。また、既存の権力の間で勢力争いが起こるだろうという見解も示した。
正男氏は、北朝鮮の体制について「改革・開放をしなければ北朝鮮が倒れ、改革・開放を進めれば北朝鮮の政権が崩壊するだろう。改革・開放か体制守護かをめぐって手をこまねいている間に、時間が過ぎてしまうのではないかと心配」と語った。また正男氏は、北朝鮮が対外強硬路線に固執する理由について「生存のための政治的システムだ。核を絶対放棄しないだろう」と語った。
正男氏は、2011年9月14日に五味洋治編集委員に送ったメールで「最近、後継者(金正恩氏)が重視する軍部の家族9人が脱出し、北朝鮮当局が頭を痛めている」と語った。正男氏が言及した「軍部の家族9人」とは、昨年9月に日本の領海内で発見された朝鮮人民軍の家族9人である可能性が高い。一行の引率者役となっていた男性は「私は北朝鮮の最高人民会議議長を務めた白南雲(ペク・ナムウン)の孫」と主張していた。
■「中国は私を保護しながら監視」
正男氏は「中国政府は私を保護しているが、監視している面もある。避けられない私の運命だ。逃れられない運命なら、楽しみながら暮らすのがいい」と述べ、さらに「私がよくマカオに出掛ける理由は、家族が住んでいる中国本土から最も近い、自由な地域だから」「私には女性遍歴があるが、妻は1人だけで、私がこの世で最も愛している人は妻だ。2001年の日本での事件(同年5月に不法入国しようとして摘発され、退去強制処分を受けた時のこと)で、幼い息子(グムソル氏)と手をつないでいた女性こそが、私の妻。眼鏡を掛けた若い女性は秘書」と語った。
正男氏は、01年の日本への不法入国事件について「偽造パスポートで海外に出ることは、当時(北朝鮮で)一般的だったことで、何度も日本を訪問し、東京の有名ホテルやレストランを訪れた。正恩もブラジルのパスポートを偽造し、日本を訪問したことがある」と述べた。このほか「アルコールが好きだが、痛風を患っており、その痛みと発作のため、尿酸調節剤を毎日服用している」とも語った。
正男氏は、11年10月にメディアで明らかにされた自分の息子(ハンソル氏、マカオに住んでいる愛人の息子)について「息子は冒険心が強く、自分から紛争地域だったボスニアのモスタルにあるインターナショナルスクールを選び、私はその見解に従うしかなかった。今、心配している」と語った。
■どのように対話を交わしたのか
五味洋治編集委員は、東京新聞のソウル特派員を経て、04年に北京へ赴任した。同年9月、北京国際空港で正男氏と偶然会ったのがきっかけだった。04年12月、正男氏が五味編集委員にあいさつのメールを送ったことで、メールによる対話が始まった。それから数年間、連絡は途切れたが、10年10月、正男氏が五味編集委員に「頼み事」のメールを送ったことで、対話は再開された。当時、正男氏は「全ての質問に答えるつもりだから、私の考えをよく整理し、適切な時点で公開してもらいたい」と要請した。このメールが送られる1カ月前、異母弟の正恩氏が金総書記の後継者として公式に登場しており、関連があるとみられる。
ペク・スング『月刊朝鮮』記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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