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◎ 中国女子大生ー北朝鮮留学ブログより(後編) 
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投稿者 mrboo 日時 2012 年 1 月 15 日 19:22:30: .YDrFW/K2MhJI
 

中国女大学生ー北朝鮮留学ブログ(前編)

北朝鮮では、外国人留学生に対しては食事は無料で支給してくれる。ほかに宿舎の中には美容室や男性用の理髪室、卓球場、ビリヤードプール、食堂も付いてるがこれらの利用料は別に払わなければならない。

通常は平日、朝に始まった授業が終わるのは1時過ぎ。そのため私たちは腹を空かせて宿舎に戻り、まっすぐ食堂に向かった。朝昼晩の食事は時間通りに提供される。積み重ねられている大きなトレイを手にして、その上に惣菜の入った小皿をとって並べ、飯と湯(スープ)を盛ってもらい、最後に鉄製の箸とスプーンをとる。

ただ食事はいつも冷めていた。分量も少なく、北朝鮮に着いたばかりの頃は適応しにくかった。それでも不平を漏らす者はいなかった。私たちは徐々に慣れ、自分たちで麺を煮たり、ご飯を炊いて食べはじめた。その頃には授業を終えてからまるで100メートル走のように一目散に食堂に駆け込むこともなくなっていた。


【朝鮮集市(定期市)】
生活必需品を手に入れるためにいちいち北塞市にまで行ってはいられない。そんな私たちは近場の店をガイダンスしてもらった。宿泊所に最も近い市場は牡丹市場と西条市場だ。

牡丹市場は外国人を歓迎しない。表門から覗く限り、市場には人がごった返している。西条市場にも入り口には紅い腕章を付けた守衛がいるが、こちらは外国人が入っていっても咎められることはない。そこで私たちは生活必需品のほかに果物や野菜を手に入れた。
西条市場には簡単な児童遊園が付随していて、母親たちは連れてきた子供たちをシーソーや滑り台に預けたまま、買い物を楽しむことができる。暑くて喉が渇きそうな日にはこの市場のまわりにいくつものシャーベットを売る露店が出る。シャーベットは鉄製の皿に盛られている。食べ終わったら店員に返却しなければならないが、絶え間なく人々が列をなしている。

西条市場は駐車場、雑貨区、建築材料区、工業製品区、食品区からなり、それぞれ売り子は統一された衣服を身につけ、その多くは中高年の女性だ。それぞれの売り場は一間ほどで陳列してある商品の種類は多くはない。ほとんどの商品は中国製で、しかも高い。たとえば中国国内で5元で買えるセロハンテープが、800北朝鮮ウォン、つまり人民元にすると8元で売られている。18元ほどの電気スタンドは3600北朝鮮ウォン、ほぼ二倍だ。

【学校】
学校は4月12日に始まった。
朝7時35分、身なりを整えた私たちは幾分緊張しながら大型バスに乗り、金亨稷師範大学へと向かう。金亨稷師範大学の創立は1948年。元の名は平壤第一師範大学だったが、1975年に現在の名に変えられたという。金亨稷というのは日本軍に抵抗した北朝鮮の民族的英雄で、金日成の父親だ。大学の位としては金日成総合大学および金策工業大学につぐものだが、その名の通り、卒業生は教師となって各地に配置される。

大学の正門には、見張りに立つ兵士がいた。黄色の軍服を身につけ、赤い星の付いたおわん帽をかぶった兵士は痩せこけて頬骨が尖ってはいるものの、その眼光は鋭く、身を引き締められる。正門から中に入ると右側にサッカー、左側にバスケのコートがある。サッカーのコートといっても芝は生えていない。まっすぐ進んでいくと階段の上に校舎がある。バスは階段の手前で曲がって5階建ての校舎の前に停まった。校舎の正面には金日成主席の写真が掲げてある。その下には「偉大なる金日成主席は永遠に我らとともにある」なるスローガンが掲げてあった。


【太陽節】
4月15日は太陽節である。この日は金日成主席の誕生日で、北朝鮮にとっては一年を通じても最大級の祝賀がおこなわれ、三日間の連休となる。ちょうど暖かくなってきた頃合いで、街も祝日の雰囲気に満ちあふれる。
私たちは中国からの公費留学生ということで、北朝鮮政府から招待状を受け、14日晩の大同江(テドン川)での花火を見物させてもらえることになった。

当日は正装が求められた。またいかなる携帯品の所持も許されず、厳しい身体検査がおこなわれた後にかなりの距離を歩いてようやく割り振られた場所にたどり着いた。ふと見まわすとまわりはすべて兵士に囲まれている。イベントはすべてこの調子だ。勝手な行動は許されない。
日が沈み、漆黒となった空に花火が一斉に打ち上げられた。それと同時にバックで勇ましい民族歌曲が演奏される。2時間にわたる花火は私がこれまでに経験したことのないものだった。

花火の最中に金日成総合大学を卒業したという北朝鮮人と言葉を交わす機会があった。私は自分が留学生だという立場を利用し、彼にさまざまな質問をぶつけてみた。いわく政府から留学生たちの監視に派遣されたんじゃないの?この催しは誰でも見れるものなの?一般の人でも見れるの?
彼は私の質問に、国家は高層の人民と低層の人民を区別することはない、ここは社会主義国家だと答えた。そしてどうして留学先に北朝鮮を選んだのかと逆に私に訊いてきた。私が北朝鮮に来たのは滅多にない機会を生かしたかったからで実際に来て見て印象が変わったことを述べると、彼は礼を言い、礼儀正しく歓迎の言葉を述べて足早に立ち去った。人と人との関係などこうして自然であるべきであろう。


【祖国の地震】
15日、いや正確には14日だが、中国青海省玉樹蔵族自治州玉樹県においてマグニチュード7.1の地震が発生した。数日後にこのことを知った私たちは苛立っていた。情報が伝わってこないのだ。どの程度の災害だったのか、現在の状況はどうなのか、またどうすれば救援活動に参加できるのかがまるでわからない。私たちは話し合い、大使館を通じて義援金を送ることを決めた。
北朝鮮という国家の特殊性から、こうした場合における上乗せの補助金を得ることは期待薄だ。私たちはひと月換算で40ユーロ(約3,900円)の生活費の中からやりくりし、祖国に義援金を送った。

21日、突然、その日の授業が中止となったことを知らさせた私たちは、正装させられ、胸につけるティッシュを折った花をわたされて中国大使館に向かった。祖国で今回の地震に対する追悼式が催されたためで、私たちは同時刻に哀悼を捧げた。

葬送の曲が流され、黙祷する光景はあの2008年、5月12日に起こった汶川大地震を思い起こさせる。多くの血と汗と涙が流されたあの震災で祖国は縄をなうようにひとつにまとまり、毎日報じられる感動的なストーリーは多くの中国人の心を深く捉えた。
時間は傷を癒やすだろう。しかしまだ完全には癒えてない2年という歳月の後、中国は再び落涙すべき災難に遭った。ここ平壌は祝賀の雰囲気にあふれている。しかし北朝鮮にいる私たち留学生は、みな青海玉樹の方を向いている。ただ祈るばかりしかできない私たち。しかしなんとか困苦に耐え、しかる後は永遠に平安であってくれるよう望まないではいられない。加油(がんばれ)、祖国。

【ネット・電話・手紙など】
基本的に朝鮮ではネットはつながらない。電話もたいして通じず、いちばん確実なのは手紙だ。
しかしネットとともに過ごしてきたような私たちにとって、生活の中でネットが利用できないということは、ある程度覚悟していたものの、心の拠り所を失ってしまったかのような怖ろしさがある。
留学当初のこの恐怖を乗り越えた私たちは、一時、電話をかけることに夢中になった。

宿舎には固定電話が一台きりない。それも受け専でこちらからは掛けられないという代物だ。もし相手がテレフォンカードを使って掛けてきて、お金が足りずに切れたとしても、こちらからは何が起こったのかはわからない。
電話料金も高い。こちらから用があるときには私たちは通常、国際通信局、国際通信センター、高麗ホテル、蒼光院の近くの旅館で国際長距離を掛けるが、1分あたり15元(約180円)、まとまった話をすれば100元にもなる。
こうしたことから私たちは次第にお互い時間を割り振って、決まった時間に家族の方から宿舎に掛けてもらうようになった。

しかしこの一台しかない電話がまたよく不通になる。最長で一ヶ月ほど電話のつながらないときがあり、雨の日もきまってよくつながらない。いっぽうで手紙は確実だ。宿舎に戻るとき、私たちはいちばんに受付に寄り、自分宛の手紙が来ていないかどうかを確かめる。家族や友人からの手紙は異国における孤独や辛さを忘れさせてくれた。私はおそらくここで交わした手紙を宝物として一生とっておくにちがいない。


じつは北朝鮮にはネットもあり、私たちの出会った北朝鮮人はその多くが携帯を所持していた。北朝鮮の携帯はどれもデザインがいっしょだ。また携帯は、文字通り電話をかけるためのもので、メールは通常打たない。

留学期間が残り3分の1ほどになった頃、私たちは高麗ホテルからメールを打てるという情報を得た。そこでルームメイトがノートを高麗ホテルに持ち込み、従業員に北京にいる友人にメールを打ちたいと頼んでみたことがある。すると依頼を受けたホテルの従業員はネットワークの管理者に電話をかけたものだった。

ネットへのアクセスが瞬間許可され、彼女のメールが送られた後に再びアクセスは閉ざされた、と彼女は肩をすくめた。メールは1KBごとに1元もの料金がかかるため、北朝鮮からは滅多なことでは打てない。

国内にいるときにはネットがなければ何にも始まらない状況で暮らしていた私たちにとって、電話さえ満足につながらないことは生活を根本から変えるのに充分だった。携帯がなければその代わりに自分を深く見つめる時間にめぐまれる。
携帯を含め多くの通信手段にはまり込む人々がいる一方で、安らかな心をもって静かな暮らしを始める人々もきっと数多いにちがいない、そう思ってみたりもするのだ。
 

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