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2011.12.21 金正日総書記の死は「国家消滅への門」を開いた
暴論珍説メモ(110)
田畑光永 (ジャーナリスト)
北朝鮮の金正日・労働党総書記が死んだ。私はたまたま今年9月9日の建国記念日にピョンヤンにいて、民兵の軍事パレードを見る機会を得、終了後、同総書記が子息で後継者とされる金正恩大将をともなって閲兵台の上から下の参列者に手を振って歩くのを数メートルの間近から仰ぎ見るような形で目撃した。その時の印象では顔色もよく、動きにも不自然さはなかったので、こういう事態はもうしばらくは起こるまいと考えていた。
周知の如く北朝鮮は、故金日成主席の生誕100周年、金正日総書記の生誕70周年にあたる来年、2012年を「強盛国家の大門を開く」特別な年として設定していたから、それを目前にこの日が訪れたことは、スローガンとは反対についにあの国の「消滅への門」が開いたとの感がしてならない。
そこでそれに至る道筋を、とりあえずこの段階で整理しておきたい。というのは、現状から見て、メディアでさかんに取りざたされるように「金正恩氏を中心とする集団指導体制」といった形で、あの国が今後、安定的に推移するとは到底思えないからだ。
集団指導体制という権力中心が不明確な統治体制がしばらくでも成立するためには、統治者による特段の行政施策が講じられなくとも、国民生活がとりあえずは支障なく回転していくという条件がなければならないが、あの国にはそれがない。食糧不足、エネルギー不足、物資不足は慢性的であり、国民にそれを耐え忍ばせていたのは、反抗すれば過酷な処罰を受けるという恐怖であった。
したがって権力の中心が欠けたとなれば、支配集団の内部では食糧その他の「富」の争奪が始まるであろうし、生産者は生産物を国家の流通ルートに乗せずに値段を吊り上げて闇ルートに流すことになろう。そのいずれとも縁のない庶民はその境遇から逃げ出すほかはなくなる。
この冬から来年の端境期にかけて起ることはまず脱北者の激増であろう。1989年に東ドイツが崩壊したきっかけは国民の集団脱走であった。東ドイツの場合は「脱東者」の受け皿は西ドイツ以外にはなく、ハンガリーなどが東ドイツ国民の通過を認めたために、脱走はスムース(?)に行われたが、北朝鮮の場合はどうなるか。
常識的に考えて、脱北者は西の中国と南の韓国の両方向(一部は北のロシア)へ向うであろう。これまでは北朝鮮の国境警備兵がブレーキの役割を果たしていたが、権力中枢が空白となれば警備兵は賄賂でも取ればこれまでのように脱北を制止する理由はなくなる。出る側のブレーキがなくなれば受ける側は堰き止められなくなる。いくらなんでも生活ができなくて出てくる大量の民衆を武力で追い返すことは出来ないだろう。
これは中国、韓国ともに恐れていた悪夢のごとき事態であり、それゆえにこれまでも最小限の援助を続けてきたわけであるが、ついに悪夢が正夢になる日が来そうである。
脱北者の受入れ以外に、東ドイツの場合と違って、事態を複雑化するのは、受け皿が中国と韓国の二つがあることである。北朝鮮の政権が統治能力を失った場合、後がどうなるかである。
ドイツの場合は東の政権が崩壊すれば西と統合する以外に選択肢はなかったが、北朝鮮の場合、中国も韓国も基本的には引き受けたくはない。と言って、完全な南北統一が実現して大韓国が鴨緑江まで延びてくる(一緒に米軍基地も)ことは、中国にとって容認できまいし、また中国が北朝鮮に完全なカイライ政権を打ち立てることも、韓国にとっては民族感情からいって我慢できまい。
となると、当面は崩壊に瀕した北の政権を中韓両国が倒さないように一面で協力し、一面では相手の勢力が強くなりすぎないように牽制しあうという状況が現出しそうである。その中で北朝鮮の権力層にどういう腑分けが生ずるか。軍はどう動くか。あたかも日清戦争直前の朝鮮王宮のごとくであるが、いずれも今の段階ではなんとも言えない。
しかし、ここまでの見取り図は避けがたい成り行きのように思える。新しいアジアの地図はどう描かれることになるのか。固唾を呑んで見守るしかない。
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