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「これ以上、何が必要ですか。(これ以上の疑問は)我々を敵とみなすものです」。
意気盛んだった45人の命が海でさまよい、1カ月余ぶりに陸に上がってきた船は、むごたらしく歪んでいた。50余日ぶりだ。その船を海に沈没させた「1番(ボン)」魚雷を漁船が探しあて引きあげた。「ボン」という文字はハングルだ。ハングルは我々でなければ北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)だけが使っている、という言葉遊びのような政府の言は間違った言い分ではない。従って「魚雷は北韓の小型潜水艇から発射されたということ以外に他に説明できない」という民軍合同調査団(合調団)の言葉を今のところは信じざるをえない。
疑問点をきびしく問いつめる質問に「敵」を云々する政府関係者の極端な言辞も心情的側面では理解できる。「何を、どのようにもっと見せてくれというのか」というもどかしさがにじんでいる。信じてくれ、と言うのは頼みの別の言い方でもある。「事実は明らかになった。あとは信念の問題だ」(あるハンナラ党関係者)。
それでも再び問う。
魚雷、水柱…話は終わったのか
「魚雷が出てきた」という言葉によって「天安艦」の論難は終止符を打っているかのようだ。魚雷を発見した漁船の船長まで証人として登場し、劇的な瞬間を震える声で証言した。それでも、質問を始める。
魚雷
北韓の魚雷を立証するという「1ボン」の標示はミサイルなどの発射体に主として使われる「号(ホ)」と異なる点、魚雷の状態に比べて文字の青い色が鮮明な点などが疑問として残る。それに、自らの正体をあらわにしかねない標示を残すだろうか、という質問にまで結びつく。
顔にはねた水しぶきと100メートルの水柱
座礁説、第2衝突説などが提起された背景には、バブルジェット効果によって発生する水柱を見た人がいないということが重要に作用した。先の中間調査結果発表当時、合調団が「水柱がはじけることがある。現れない場合もある」と説明したのも、それだからだった。
けれども5月20日の発表では「高さ100メートル、幅20〜30メートルの閃光柱を見た」という哨兵の証言が追加された。これに加え「天安艦左舷検視兵が倒れた状態で顔に水しぶきがかかっており、左舷外壁部分に水が満ちて(兵士たちの)足首が濡れた」と発表した。前に、各メディアが水柱についての指摘が何度も報道された時は、なぜ哨兵の証言が確保されなかったのか、100メートルの高さの水柱の下で検視兵はなぜ「水しぶき」しか受けなかったのかについての疑問は、そのままだ。
バブルジェット
合調団は「船体の竜骨が左側に変形し、外板はへし折れ船体は切断された。ガスタービン室の隔壁もねじれて棄損し、艦艇の重心を捕らえる艦安定器にも痕跡が残っており、船底部分にもバブルの痕跡がある」「これはバブルジェットによるもので、何度もシミュレーションを行った」と強調した。
けれども、この肝心な部分もまた依然として疑問は残っている。シミュレーションの結果は「天安艦」の船体が水中爆発によって棄損する状況までだけを見せてくれる。合調団は「シミュレーションのための計算があまりにも複雑で、まだ完全に終えられなかったために(船体が沈む前の)中間までの状況だけを公開したのだ」と説明した。また合調団は骨折や裂傷などが監察された亡くなった将兵たちの状態が、まさにバブルジェットの傍証だと発表した。けれども専門家らは脳震とうやひどい裂傷などが見られないという理由で、依然として他の仮説を主張する。またバブルジェットの結果として現れるべき死んだ魚の群れについての疑問が全く言及されなかったという点を指摘する。国防部は、この疑惑については「潮流に流されて行った」と解明したけれども、当時は潮流の穏やかな時間帯だったことが確認された経過もある。
論議さえできない諸疑問点
軍事機密だ(以前には公開されたにもかかわらず)、資料がない(見た人間がいるというのに)、直接見れば違う(直接、見た人が違う話をしているのに)など、理由は様々だ。これは何よりも魚雷の登場の前に、質問の脈を失ったメディアの責任が大きい。
事件の最初と終わり、KNTDSと交信記録
韓国型海軍戦術指揮統制体系(KNTDS・Korean Naval Tactical Data System)。当時、ペンニョン島付近のわが軍の移動経路を詳しく知ることのできる資料だ。合調団は「軍事機密であり、一部の国会議員に公開したことはある。また民間調査委員も該当セッションではすべて確認した」としつつメディアには公開せずにいる。
けれども専門家たちは2002年の第2延坪海戦の事例に準じて公開することを要求している。様々な疑惑を一挙に一蹴できる資料を公開しないことが、今回の発表に対する不信を招いている、との指摘だ。「天安艦」がその日、どこからどこに向かい、どの方向にどのぐらいの速度で進んでいたのかなどの記録を盛り込んでいる。交信記録も公開されない点では同様だ。合調団は「航跡記録や交信にかかわる内容はすべて無線で送っているが、軍事機密を保持するために暗号装備を使用する」「保安を理由に公開できない」と答えた。
艦尾切断面が側面をひっかいた痕跡、内側に巻き込まれたスクリュー
魚雷の被撃を認めない各仮説は、その大部分が「天安艦」のひっかかれた痕跡を重要な根拠としてあげる。合調団は「天安艦」の左舷には言及せず、右舷を中心に解明した。
合調団ムン・ピョンウク代弁人は、ある言論社とのインタビューで右舷の痕跡についてのみ「ひっかかれた痕跡ではなく、船体下部に強力な力が発生してぶつかった跡」だと解明した。
合調団に民間調査委員として参加していたシン・サンチョル氏は引き上げ後、人為的な状態変更があったことを主張した。「合調団に行って直接確認してみると、引き揚げ当時には存在していた左舷の引っかかれた痕跡がなくなっていた」というのだ。
魚雷以外の原因を主張している専門家らの、また別の証拠は「天安艦」のスクリューの状態だ。スクリューが内側に歪んでいたのは座礁後、後進した結果だというのだ。スクリューについても最終発表では言及されなかった。ただ、合調団はスクリューの変形は「天安艦」の艦尾が海底に沈むとともに損傷したものだと説明した。スクリューから離れず、艦尾の前部分から離れた別のスクリューが海底に衝突するとともに歪んだというのだ。
シン氏はこれについても「水に沈むとともに潮流によってスクリューが回った後、海底に衝突するとともに生じた変形だという合調団の主張は正しくない。そんなふうにして海底に衝突したのならばスクリューの羽1つ程度が損傷したことだろう」とし、座礁による変形であることを強調した。
ガスタービン室引き揚げ
「天安艦」から流出したガスタービン室は5月19日になってやっと引き揚げられ、平澤の第2艦隊司令部に移された。ガスタービン室は魚雷攻撃を立証するに値する証拠で、他の仮説まで一蹴できる事件の決定的カギだった。ガスタービン室は左舷3・2メートル、右舷9・9メートルで、艦首と艦尾を除けば「天安艦」の流出物の中で最も大きい。軍当局が先端の音波探知器で3〜4ミリメートルの超小型の破片まで探し出したにもかかわらず、ガスタービン室を探すことができなかったというのは、にわかには納得しがたい。ガスタービン室の遅ればせの引き揚げは、シミュレーションの結果にも影響を及ぼしたことが明らかになった。
艦首・艦尾の捜索
「天安艦」の沈没直後、艦首と艦尾は分離した。艦首はその一部は海上に露出されたものの、艦尾は姿を隠した。当時は将兵たちの生存の可能性が言及されていた時期なので、一切は艦首・艦尾の確認に視線が集まっていた。結局、艦首は発生地点から7キロメートル、救助地点から2キロメートル離れた所で3月29日に発見され、艦尾は最初の事故地点付近で発見された。けれども3月26日から29日までの4日間、1200トン級の軍艦を探せなかったことについての疑問は依然としてある。
このような疑問はペンニョン島付近の海図や潮流の方向を根拠として慎重に提起される。艦尾が沈んだ地点は事故地点からわずか100メートル余り離れた所だ。また艦首は7キロメートルほど流れていて見つけられなかったと言うこともできるが、その流れた軌跡は救助当時、事故地点から流れてきた軌跡と酷似する。事故地点から流れてきた方向そのままに、さらに2キロメートル流れた地点であり、海図を中心に捜索していたならば難なく発見していただろう、との主張だ。
納得できない、いや納得したくない
今や1つの疑問が残る。変だ。合調団の調査結果をすべて事実だと認めるとき、それはまっさきに浮かび上がる。ソン・ギファ合調団・情報分析課長は「今回の事件の2〜3日を前後して北韓軍の潜水艦艇2隻が基地を離脱した。私どもがそれを識別できなかったのは事実」だと発表した。事件当時は韓米合同軍事訓練中だった。韓国というよりは米軍が知らなかったというのがより正確で、だから疑問を一層増幅させる。
韓米情報当局は米国の偵察衛星(KH―12)・偵察機(U―2)などによって北の浸透チャサン基地を集中監視し、情報を共有する。潜航移動中の場合は追跡が難しいからだ。国防部も4月1日、「潜水艦艇・半潜水艇などのような北韓の船舶の動きを徹底して追跡・管理している」と語った。通信の監聴も活用される。キム・ハクソン国会国防委員長は去る4月5日、「事故当日、潜水艦の1つが琵琶串付近で北側の基地と交信をしたことも確認できる」と語った。通信の盗聴も活用される。キム・ハクソン国会国防委員長は去る4月5日、「事故当日、潜水艦の1つが琵琶串付近で北側の基地と交信をしたことも確認できた」と語った。
もちろん、基地の監視には気象状況など、さまざまな制約がある。ところで3月末から「北韓の潜水艦が3月26日を前後して基地を離脱したあと復帰した」という軍情報が各メディアで放送された。軍情報は事後追跡だけが可能なのであり、実時間では使用されないという話になる。
基地の監視を取り逃したならば、作戦区域での警戒が残る。合調団は潜水艇が3キロメートル離れた距離から魚雷を撃ったものと発表した。この条件で、哨戒艦などが敵を探知できる公算がどれぐらいになるのか明らかにされたことはない。ただし国防部は4月5日、「事件当時の水深30メートルの海洋環境を代入してシミュレーションを行った結果、約2キロメートル前後で潜水艦を探知できる確率は70%以上」だと語った。
これまた取り逃すこともあり得る。魚雷の探知・防ぎょが残る。「天安艦」は特に対潜哨戒艦だ。現代重工業・特殊船事業部キム・テウク常務は事件の初期、「魚雷は遭遇したとき、『ああ、これは照準が合っているな』というのは分かる」と語ったし、ソン・ヨンム、元海軍参謀総長は「ソナー室で24時間、監視しているが、魚雷の音は極めて大きいためにハッキリと捕捉できただろう」とメディアを通じて話したことがある。当時の「天安艦」のソナー兵は「事件当時、動向は発見できなかった」と語った。情報当局はソナーと魚雷の周波数が違っていた、と説明する。
結果的に北の潜水艇は韓米軍当局の予防・対応体系をすべて無力化したのだ。納得がいかないというよりは納得したくない代表的争点となるところだ。今日も明日も、北の潜水艇はわが軍艦を破壊し「迅速に、やって来た道を通って復帰」できる、という冗談が悲劇的に出回っている理由だ。
(「ハンギョレ21」第812号、10年5月31日付、ハ・オヨン記者、イム・インテク記者)
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