★阿修羅♪ > アジア13 > 454.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090413
ひと月ほど前、あるパレスチナ問題の学習会に参加をしたときのことです。
映画を見て、講演を聞き、そうして、その日の参加者がグループに分かれて分科会をすることになりました。わたしが参加をしたグループのテーマは、なぜパレスチナ問題に関心を持つようになったのか、というものでした。約20人弱の人が集まって、めいめい、自己紹介をしながら、パレスチナ問題に関心を持った理由を短い言葉で話していきました。
わたしは、自己紹介をするとき、せっかくこういう場なのだから、通名ではなく、本名を名乗って「在日」であることを言ってみたほうがいいのかな、と少し迷いました。パレスチナ問題に関心がある人々で「在日」のことを快く思っていない人は、おそらくいないだろうと思うので、こういう場なら、安心をして本名を名乗れるかなと思ったのですが、でも、パレスチナ問題から話がそれてしまうかも知れないことを思って、やはり通名を名乗ることにしました。
そうして、順番に自己紹介と関心を持った理由などを話していく中で、ひとりの年配の男性が「今の若い人たちは、ネットなどで断片的な情報ばかりを取り入れて、正しいことをまったくわかっていない」というようなことを話されました。わたしは、あれれ?よくある「今時のワカモノは」というお説教をされるのかな、と思い、その男性の言葉に一瞬ひっかかりを覚えました。ところが、その男性が続けて言われた言葉に、わたしは、たしかに『今時のワカモノ』だけではないと思うけど、断片的な情報は困ったもんだなあ、と苦笑してしまったのでした。
その男性は、とある大学の先生をされているらしく、少し前に、ある生徒が「在日特権」のことを話していた、ということを話し始められました。パレスチナ問題の学習会で、突然、「在日特権」という言葉が出てきたことにわたしは驚き、そうして、その男性の話されることを注意深く聞いていました。その生徒は、「在日」の人には、「在日特権」というものがあるらしく、今まで「在日」の人たちに対して「かわいそうだ」と思っていたのに、そんな「特権」があると知って、自分は今までダマされていたことに気がついた、というようなことを話していたそうです。わたしは、この同情から嫌悪や憎悪へ、見事に教科書的に反転する話を聞いて、困ったというか、参ったというか、なんとも、複雑なきもちになったのでした。その男性は、その生徒の話を聞いて、「在日特権」という言葉だけで、それがどのようなものかを確認もせずに、ただ「特権」があるから良くないなどと思ってはいけない、ちゃんと「在日」のこと「在日特権」のことを、ネットの情報だけでなく、自分でよく調べて考えなさい、とその生徒さんに諭したそうです。わたしは、その言葉に、ありがとうございます、と心の中で感謝をし、そうして、やっぱり「在日」ってこと言わなくてよかったと思ったのでした。
きのう、蕨市で「在日特権を許さない市民の会」による、あまりにもおぞましすぎる行為がありました。わたしも、ネットなどで動画を見ましたが、あまりのおぞましさに身の毛がよだつような思いがしました。「在日特権」という言葉、また「在特会」という存在は、以前から知っていて、嫌悪と恐怖を感じていましたけれど、でも、まったくありえない言葉と存在であると思って、無視していればいいと思っていました。けれども、きのう、カルデロン・ノリコさんが暮らしている場所で、このようなおぞましいことを行ったことを知り、今まで関係ないと思って無視していたことを反省し、またこのまま無視してはいけないことだと強く思ったのでした。
そもそも「在日特権」などという言葉そのものが、わたしたち「在日」に対してとても暴力的で、悪意に満ちた差別的な言葉だったのですが、多くの「在日」は、そのあまりにも実体を伴わない意味不明な言葉に、あまりの理解不可能さに、まともに相手にしていなかったと思います。「嫌韓」系の書籍などで頻発するのでしょうか?少し前に、同胞の若いサークルに参加をした時、みんな当惑をして不安げな表情で話し合っていました。わけがわからないと、なんのことなのかわからないし、でも、むこうから一方的に「特権」とか言われて、そう対応すればいいのかわからない、みんなそんな風に、おびえていたように思います。
そもそも、日本の公教育においては「在日」が自分たちの歴史や言葉、今おかれている状況などを教えてくれるわけではありません。日本の学校に通う「在日」たちは、自分たちでサークル活動に入ったり、勉強をしたりする以外には、自分たちのことを知るすべがありません。そして、そのようなことをするまでには、アイデンティティの問題とか色々悩みがつきまとってくるので、それほど簡単に「在日」のことを知ろうとすることも、ままならない「在日」が多いと思います。そんな、よくわからないけど「在日」している状況のなかで、突然、わけのわからない歴史や根拠を持ち出されて、オマエたちには「特権」があって不当だのなんだの言われたら、ふつうの「在日」は困惑するに決まっています。みんなこわい、と言っていました。わたしたちよりも、わたしたちのことをよく知っているみたいで、自分で自分を守りきれない、なんのことを言われてるのか、何をどう説明すればいいのかわからない、そう、とても不安な表情で話し合っていました。わたしも、同じ思いでした。なぜ、こんな風に攻撃されなければいいのか、わからないですし、このように傷つけられたり、不安な思いにさせられることが「特権」なのだとしたら、そんな「特権」など、一日も早く捨ててしまいたい、そう思います。
けれども、今回の「在日特権を許さない市民の会」のおぞましい行為を見て、わたしは自分がとても甘かったことに気がつきました。このような行為を起こさせるまえに、わたしたちは「在日特権」という言葉そのものに、抵抗していかなければならなかったのだと、そのように悔しく、情けなく思ったのでした。そもそも「在日特権」などという、非常に暴力的で差別的な言葉の存在を許すべきではなかったのだと思います。あまりに意味がわからなさすぎて「在日」が相手にしなければいい、ムシすればいいと思っていたのですが、そのせいで、日本で暮らす様々な「在日」の人々に対して、あのようなおぞましい行為を許すことになってしまった、そのように思いました。
「在日特権を許さない市民の会」は、そのサイトをみればわかりますが、基本的には「在日朝鮮人・韓国人」を排斥したいという目的で設立されています。これを無視し続けていれば、同じようなことが「在日朝鮮人・韓国人」だけでなく、多くの「在日」者に対して行われることになると思います。日本でもっともマジョリティであるわたしたちが「在日特権」という言葉の存在そのものを、許してはいけないと行動を起こさなければ、数の少ない様々な「在日」の人は、もっと不安で困難な状況におかれると思います。
選挙権もない「在日」たちに向けて、「在日特権」などという言葉が市民権を得ているという状況は、おそろしく不当だと思います。決して、許してはいけないと、「在日」だけでなく、共生を願うすべての人が思ってくださることを願っています。