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写真はイスラエルのオルメルト首相(右)とヒソヒソ囁きあうダハラーン
「アラファト暗殺者はダハラーン」とハマース幹部が初めて明言
パレスチナのガザ地区を制圧したハマースとファタハとの非難合戦が激しさを増している。数々の血塗られた過去を持ち多くのパレスチナ人から嫌悪され、イスラエルと米中央情報局(CIA)の工作員と報じられてきたファタハの実力者、ムハンマド・ダハラーンが、自分を抜擢してくれた恩人であり、毒殺されたとの噂が絶えなかった故ヤーセル・アラファトの殺害の黒幕だ、とハマース幹部が初めて明言した。アラブ首長国連邦の有力紙、アル・ハリージがこのほど伝えた。(斉藤力二朗)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200707031705152
ダハラーンとは何者か? 緊迫するパレスチナで最も注目を集める男
パレスチナ情勢は現在、ムハンマド・ダハラーンを軸に動いているといっても過言ではない。彼はイスラエルの対外諜報機関モサドの工作員と言われながら米国の庇護を受けファタハ内で治安機構を握り強大な力を持っている。ハマースが制圧した後ガザ地区から帰国したエジプト人治安筋の一人は、「ガザでの戦闘はファタハとハマースの戦闘ではなく、ムハンマド・ダハラーン一味とパレスチナ人7割との戦いだ」と評した程だ。故アラファト議長の毒殺にも関与したと言われ、他派のハマースのみならず自派のファタハ内からも批判を浴びながらアッバース議長が懸命に擁護するダハラーンとは何者なのか?23日付けのエジプト週刊誌、エル・オスボーが報じた。(齊藤力二朗)
同誌の記事は以下の通り。
この男ムハンマド・ダハラーン大佐は予防治安部隊長官で、ファタハ大幹部の一人。イスラエル紙上に頻繁に登場し、ヘブライ語に堪能。パレスチナよりもアメリカとイスラエルの受けが良いからイスラエルは交渉相手に望む。ハマースからは、パレスチナを苦しめている流血事件の黒幕だと、いの一番に非難される。数日前のイスラエルのハルツ紙によると、この男はハマースを、逆に一握りの殺人、窃盗集団と揶揄した。
ダハラーンにまつわる疑惑や噂は絶えないが、肯定、否定を問わず、まずその続報を耳にすることはない。最近の疑惑としては、ドイツのディ・フィリト紙が6月16日に報じた、ダハラーンと、パレスチナ抵抗運動の一掃とその指導部の粛清を目指す米イスラエル政権との関係だ。テルアビブ大学のヒジャ・バウマジャルティン教授(政治政策)は、同記事の中で、「ダハラーンはCIA(米中央情報局)から、ハマース組織内外のイスラエルに抵抗する全勢力の粛清を狙う諸任務を引き受けている」と述べた。
いずれにせよ、このような事実或いは噂は新しいものではない。CIAの元高官ワティリー・ブルーナーは1980年代に、「CIAの工作員の手によってダハラーンはチュニスでリクルートされた」と述べた。この発言を当時殆どの世界各紙が報じたが、誰一人否定する者は現れなかった。
2006年10月にイスラエルの最大紙、イディオト・アハロノートは、ダハラーンは大統領親衛隊とファタハ配下の武装組織へ武器を供与し組織改良のために、米政権から2千600万ドルを受け取った、とすっぱ抜いた。この報道前に米国治安調整官のダイトン将軍(パレスチナ自治政府でイスラエルとパレスチナの治安問題を調整、パレスチナ治安軍に資金・武器提供、訓練の責任者)は、アッバース議長とダハラーン大佐に支援を申し出ており、実際にダハラーンは06年5月に米国製武器を満載した大型トラックを受け取った。この武器は06年10月初頭に燃え出したファタハとハマスの内戦の火に油を注ぐことになった。
他にも97年にイスラエル有力紙、ハアレツは、パレスチナ自治政府の要人がイスラエルや海外銀行に秘密口座を持っていると暴いた。その記事でダハラーン大佐にはイスラエルの銀行だけで5千300万ドルの預金が存在すると判明した。同様に同年、カーリティ国境検問所の収益毎月250万ドルを徴収し、テルアビブにある自身の秘密口座の一つに移していたことも暴かれた。
ダハラーンは地元のイスラム大学を卒業、当時イスラム主義の学生としばしば衝突した。学生時代にダハラーンはファタハの青年組織「シャビバ」を創設し加盟したと主張するが、「シャビバ」は西岸で設立されたとの情報が多く彼の主張は破綻した。
在任中のオスロ合意直後に故ヤーセル・アラファト議長の庇護を受け、ダハラーンは予防治安部隊長官を務めた。占領軍に代わりパレスチナ内で同合意に反対する全員の粛清を図った。後にアラファト議長の治安顧問となった。当時ダハラーンはパレスチナ問題とパレスチナ人民の象徴としてのアラファトを擁護、01年にはアラファトの反対者を占領当局の手先、追従者と評した。
03年6月ダハラーンは、ジョージ・ブッシュ米大統領(息子)とシャロン・イスラエル前首相と会談し、ガザの治安に関する詳細な報告を行った。その中で彼は両首脳に、我こそ同地区の主導権を押さえ、抵抗運動を殲滅できると強調し、米側から支援の約束を取り付けた。ところがその後ダハラーンは態度を180度転換、アラファトに改革の必要性を訴え彼を攻め立て、ファタハ内改革派のリーダーになることを求めた。
ダハラーンはファタハ内外で常に論議を巻き起こしている。数日前にはファタハ幹部のホサーム・オドワーンは、ガザ地区でファタハを崩壊へと追いやったダハラーン大佐を筆頭とする指導部に対するファタハ革命裁判所の設置を要求した。
そのような革命裁判所は本当に近々設置されるのか?ダハラーンはパレスチナに対する反逆罪で裁かれるのか、それともファタハ内での職務怠慢だけが問題とされるのか?
http://www.elosboa.com/elosboa/issues/534/eshtbak9.asp
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20日のイスラム・メモはダハラーンについて次のように書いている。
現在のイスラエルから逃れてガザのハーンユーヌス難民キャンプに暮らす貧しい家庭で1961年9月29日にダハラーンは生まれる。
1994年、イスラエルの諜報機関のユシー・ギヌサール元長官との間に、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に石油製品を配給する仕事をそれまでの企業からダハラーンの会社に切り替えるという大型商談を結んだ。銀行の統計によるとダハラーンは200万ドルもの利益を掴んだ。その後中東でも最高級な5星ホテルの一つとされるガザ海岸のアルワーハ・ホテルの所有者になった。
1997年訪米中のパレスチナ使節団のダハラーンの耳元にビル・クリントン大統領が、「あなたは、あなたの国民の将来の指導者になるだろう」と甘く囁いた。
2004年7月にアラファトに軍事クーデターを企てるが失敗する。その数週間後レバノン紙、アッディヤールは、アラファトは友好国の諜報機関の高官から、「ダハラーン内相は貴方の命を狙って陰謀している」と警告を受けた。ダハラーンを召還したアラファトは怒りを抑えて、「ダハラーンよ、良く聞け、自分の親を殺す者は相続出来ないぞ」と語った。
http://www.islammemo.cc/article1.aspx?id=45754
写真はイスラエルのオルメルト首相(右)とヒソヒソ囁きあうダハラーン(ダーラン、ダフラーンなどの表記法も見られる
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