★阿修羅♪ > 戦争a4 > 238.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
日本軍トップの撃墜王(撃墜数202機)/零戦撃墜王 天下の浪人「零戦虎徹」 岩本 徹三氏/空戦八年の回顧
http://www.asyura2.com/07/war95/msg/439.html
投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 9 月 06 日 22:05:21: fzrYJ5Wj4Dt36
日本海軍トップの撃墜王 (撃墜数202機)零戦撃墜王 天下の浪人「零戦虎徹」岩本徹三
最強の零戦パイロットと謳われる名操縦士である。
彼の淡々とした戦史の中に。
戦いが日常化している現実を見、
また、男の闘争本能をみる。
理不尽な軍隊の中で、
精一杯自分に与えられた任務を果たした、
下士官の記録。
彼の記録した撃墜数202機は、
男の矜持である。
これを信じなくて、なにを信じようか。
日本の搭乗員は大変優秀だった。
あの長い戦争の中で、
前線に立ちながら、生き残ったいた
撃墜数202機は、太平洋戦争一である。
あの長い戦争を
撃墜王として生き残った。
それだけでも、素晴らしい。
戦神に最も愛された零戦搭乗員である。
零戦撃墜王―空戦八年の回顧
天下の浪人虎徹。
彼は自らを浪人と評している。
日本の海軍の中で、
自分を浪人と感じていた彼が。
哀しくて愛しい。
撃墜数202機に偽りなし!!
中国、真珠湾、アーリューシャン、ラバウル、トラック、フィリピン、沖縄。
岩本は常に戦場にいた。
撃墜数が多いのはその多くが邀撃戦によるものだからだ。物量の敵は100機200機と一日に何回も爆撃に来る。
敵の数だけ撃墜数も増えていく。
坂井三郎の大空のサムライと違うコースを歩んでいるのも読む価値のあるところだ。
坂井が開戦時台南空からフィリピンを攻撃したのに対し、岩本は真珠湾、珊瑚海海線と空母搭乗員だった。
坂井はガダルカナルでの出撃で負傷し日本へ帰国したのに対し、岩本は日本が苦しいときも常に第一線で戦い続けていた。
18年にはすでにこう言っている。
「もう誰の目にも勝敗は明らかだった。我々はただ卑怯者になりたくないために戦っていた。それがラバウル魂だ。」
沖縄戦ではさよならバンクをふって敵艦に体当たりする特攻隊を見送るシーンが何度となく描かれている。どんな気持ちで見送っていたのだろう。
零戦撃墜王 空戦八年の記録
冷静沈着にして勇猛果敢 優れた状況判断 毎日が生死をかけた 空中戦の日々を淡々と書いておられるが 現在の私達が生きている生活環境
では想像もつかない日々を生き抜いてこられたことは嬉しい限りです
戦後は戦中とは違う戦いの日々だったと思いますが若くして亡くなられた事は残念です岩本氏の生の話や記事などをもっと見聞したかった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9C%AC%E5%BE%B9%E4%B8%89
神風特攻 と 日本海軍トップの撃墜王 (撃墜数202機)零戦撃墜王
神風特攻に対しては、断固反対を主張したと伝えられる。上官に意見を求められた際は「命ある限り戦ってこそ戦闘機乗りです。」と自論を述べ、作戦実行に反対した。また神風特攻作戦志願書には一筆「否」と記入する。当時の日本軍で、特攻志願書に「否」と記入したのは岩本徹三が唯一であろう。彼自身は、制空隊指揮官として特攻機の援護に当ったが、特攻機の突入を目の当たりにして、髪の毛が逆立つ思いであったと回想している。
特攻隊が日々消耗していく一方で、単機で無数の米軍機を相手にした撃墜王がいました。昭和13年に緒戦で4機撃墜したのを皮切りに、終戦までに200機以上を撃墜して最後まで生き残った岩本徹三氏です。(戦後,病気で三十代で死去。)彼が本領を発揮したのは、ラバウルでの三号爆弾による攻撃でした。敵の爆撃機の編隊の前方上空1000メートルで投下した三号(クラスター)爆弾は、空中で爆発して「子」爆弾をB24の群れに降らせます。たった一発の三号爆弾で、20機以上のB24が墜落しています。岩本氏は、3回ほど投弾して50機以上を撃墜しています。空中戦では、B24一機を撃墜することすら極めて困難な仕事だったのに。三号爆弾という画期的な兵器が日本にあり、それを使いこなせる岩本という稀有な専門家が日本にいた。岩本氏があと20人いたら、戦局は大きく変わっていたかもしれない。
今の日本に必要なのは、特攻隊よりも、老獪で冷静沈着で知性迸る岩本さんのような存在 との、ブッシュ親子の自作自演テロの11
http://www.asyura2.com/0505/senkyo14/msg/1137.html
に、誇るべき偉大な日本人 日本軍トップの撃墜王(撃墜数202機)/零戦撃墜王 天下の浪人「零戦虎徹」 岩本 徹三氏を知りませんでした!
cf : http://www.asyura2.com/07/war94/msg/402.html
のラバウルでの歴戦の勇士零戦撃墜王(撃墜数機80機)であった浜園重義さん