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新刊紹介: 『イラク 米軍脱走兵、真実の告発』 (イラク情勢ニュース)
http://www.asyura2.com/08/wara4/msg/185.html
投稿者 新世紀人 日時 2008 年 9 月 15 日 17:14:31: uj2zhYZWUUp16
 

http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2008_the_book_Joshua_Key.html

新刊紹介: 『イラク 米軍脱走兵、真実の告発』

イラク派遣米兵が脱走を決意するまでの手記
山本史郎・記
2008/09/09
イラク情勢ニュース
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イラク・レジスタンス・レポート


DVD日本語版
イラク・レジスタンス
からのメッセージ
発売中 1500円
『イラク 米軍脱走兵、真実の告発』
   (原題:THE DESERTER’S TALE)
 ジョシュア・キー著/ローレンス・ヒル構成
 井手真也訳/合同出版/¥1,680 (税込)

 イラク戦争に派遣された1人の米軍兵士が、一時帰国を認められたあと、イラクの戦場に帰らないことを決意した。脱走である。しかし彼にとっては、それは不正義への加担を拒否するために、彼がなしえた唯一の選択だった。この本は、イラク派遣中から深刻なトラウマとなっているPTSDとたたかいながら、彼ジョシュア・キー元米陸軍上等兵がまとめた手記である。

 本書の著者であるジョシュア・キーがイラクに派遣されたのは、イラク戦争開戦から3週間後の2003年4月。そして同年11月に一時帰国し、12月に一旦はイラクに帰るべくダラス空港の合衆国陸軍カウンターでチェックインしようとするが、予定されていたフライトがたまたま延期になった時、彼は軍からの脱走を決心する。ジョシュアの妻ブランディは、子どもたちまで逃亡生活に引き込む夫の選択を受け入れ、国境を越えてカナダに難民申請するまでの数ヶ月、逮捕を恐れながら逃亡生活を支えている。

 「自分は子どもたちの人生をめちゃくちゃにしていると感じた。それでもブランディはぼくを見捨てなかった。ぼくを疑ったことも、軍から逃亡することについてぼくの気持ちを問いただしたことも、詳しい説明を求めたこともなかった。イラクのことについて、ぼくは罪のない人々が次々と死んでいる、これ以上市民を犠牲にする行為に加担したくないとだけ言った。ブランディにはそれで十分だった。ぼくの手を取って、話を聞いていた。『軍が間違ったことをしているなら、あなたは戻らなくていいわ』」(第8章 脱走兵への道)

 妻は「たった7ヶ月前に出発したときと、すっかり変わってしまった」夫の様子から、2週間の休暇の間に「軍が間違ったことをしている」ことを察し、夫がそこから抜け出そうとするなら、1も2もなくそれを助けることが正しいと確信したようだ。

 そう感じさせた夫の様子とは、イラクでの体験が原因でPTSDに苦悩する姿であり、時折り彼が口にするイラクでの罪悪感である。7ヶ月前にジョシュアがイラクに出発するとき、ジョシュア本人も妻のブランディも、イラクではテロリストと戦うのだとして米軍の正義を疑ったことはなかった。それがわずか7ヶ月で、あるいは7ヶ月後の夫と2週間をすごしただけで変わってしまうほど、イラク占領の実態と米軍の犯罪行為は深刻の度をきわめていた。そのことを本書はリアルに伝えてくれる。

 「ファルージャへ来て最初の週のある日、3分隊約20名の小隊全員は、ある検問所にいた。・・・(略)突然、地面が揺れ始めた。ぼくはひざを突いたが、揺れがわれわれの小隊の銃撃によるものであることはすぐ判った。・・・その車が検問所に近づきすぎていたことにぼくは気がついた。10フィート(約3メートル)ほど停止線を行きすぎていた。・・・車の中で、男がひとり死んでいた。首がひも状の肉数編でかろうじて体とつながっていた。・・・車のチェックをし、死んだ男をぱたぱたと叩いてボディチェックをした。車の中には武器はなかった。まったく異常なものはなかった。われわれによって流された血以外は何も。」

 「ぼくは、このような暴虐を市民に対して振るうのは間違っていると考えた。それでもまだ、イラクにわれわれアメリカ軍がいるのは正しいと思っていた。テロを根絶するためにわれわれはここにいるのだと信じていた。」(第3章 はじめての戦場)

 「切断された頭部をけっていたやつらと同様のことをメーソンがしようとしたと知って、吐き気がした。4人のイラク人の殺害、切断された頭部でアメリカ兵が楽しんでいたゲーム、現場へ到着したときの上官たちの沈黙、メーソンが同じような行為をしようとしたこと。すべてが一体となって、ぼくがかろうじて保っていた国家に対する信頼の糸を断ち切り、戦場で持つべき信念を打ち砕いた。」(第4章 狂気のサッカーゲーム)


 「イラク滞在期間中、ぼくは約200件の家宅捜索に加わった。でも、アル・ハッバニーヤに来た頃には、とっくに家宅捜索に正当な理由があるとは思えなくなっていた。武器もテロリストの証拠も一度も見つからなかった。市民の家の玄関のドアを吹き飛ばし、目に入るものはすべてぶち壊し、男たちを殴り、手錠をかけ、どこかに送り出す。家宅捜索のたびに、われわれがイラクの人に与えた恐怖は、何をもってしても正当化できなかった。・・・暗い考えがガンのようにぼくの心の奥深く住みついた。それは大きくなり、化膿し、過ぎた日々のいちいちについて、さらにぼくを苦しめた。われわれアメリカ人はイラクでテロリストになってしまったのだ、と。」(第6章 テロリストは誰か)

 ジョシュアがイラクに派遣されたのは、バグダッドが陥落した2003年4月からの6ヶ月半ということである。それはアメリカのイラク占領にとって、いわば、もっとも「平穏」な時期であったはずだが、その期間中でさえも、米軍兵士たちがイラク人に対して好き勝手に振る舞う横暴は、アメリカという国家への信頼を当の兵士たちから失わせるのに十分であった。イラク人の有言無言の抗議や敵意に満ちたまなざしに囲まれ、自責の念と、見たこともない「敵」から襲われる恐怖感が脳裏から離れないジョシュアは、既に休暇で帰国する前から、「きっかけ」さえあれば、いつ脱走(不正義からの離脱)を決行しても不思議でなくなっていたのだろう。

 それが一部の「悪い」兵士による犯罪でないことは、ジョシュアの体験する軍隊生活や同僚兵の言動、あるいは上官の対応に示される軍のシステム(命令系統のありよう)からも明らかである。ジョシュア自身の生い立ちから陸軍の募集に応じた頃の意識状況が飾ることなく淡々とまとめられていることも、彼が特殊な若者ではないことを教えている。

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