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バクー油田開発とノーベル
皆さん!「ノーベル」といえば、なにを連想しますか。誰です「ノーベル飴」と答えた人。
確かにそのような飴がありましたっけ。
「ダイナマイトの発明」 それもありますね。
「ノーベル基金の設立」 そうそう一番有名な話ですね。
しかし、忘れていませんか。バクー油田の開発と石油産業の近代化を進めたバクーの石油王であること。
そして、その石油産業が共産主義を育んだことを・・・。
でも、バクー油田に関わったノーベル兄弟は3人、正確にはダイナマイト実験で爆死した末弟にエミールがいました。
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カスピ海西岸に突き出たアフヘシェロン半島には太古の時代から屋根の四隅で燃え盛る炎の拝火教(ゾロステー教)の寺院が多くありました。最も名高いものはバクー近郊スーランヌイにあるアテクガ寺院です
(中略)
信者にとっては何故そこで、永遠の炎がもえてるのか謎でした。
その秘密は竹で作られた筒により地下から屋根まで石油ガスが導かれていたのです。この寺院は625年に破壊されましたが、その後修復され、現在でもゾロスター教の聖火としてトーチの先端でえんえんと燃え続けています。宗教に"火"ガ取り入れられた事と、その地域に石油が豊富に存在するということは、密接な関係があるようです
噴出・滲み出る石油
カスピ海沿岸は、ほとんどどこでも石油が滲み出ていました。
原油による沼地のようなものでした。
原油はカスピ海に流れ出て悪臭が立ち込めていたそうです。
(中略)
カスピ海一帯は石油資源の宝庫として、沿岸の5ケ国が領海占有権、海底占有権の解釈で争っています。そのどちらで占有権を決定するかにより石油の取り分が大きく違うそうです。喫茶店でも触れています。昨年のニューヨークの同時多発テロに端を発したアフガン戦争もカスピ海の石油ガス輸送のパイプラインをアフガニスタンからバキスタンに敷設しようとするアメリカ石油資本というよりブッシュ大統領の関わる石油利権に繋がる複雑な相関関係が見え隠れしているのです。この話は、別の機会に譲ります。
(中略)
ここ、バクーにアメリカ ・ペンシルバニアのドレーク油田に続いて本格的な石油産業が誕生しました。
バクー油田
カスピ海の沿岸都市バクーは石油掘削ヤグラが乱立していました。カスピ海には原油が流れ込み悪臭ガ立ち込め環境は悪かったといいます。しかし、小規模鉱区が多く、約415の手掘り油井があったといわれています。1873年に最初の油井が噴出しました。
(中略)
石油により都市は近代化した。
石油に夢をみて人びとが群がった。
最近のカスピ海周辺油田地帯
1870年代のノーベルのバクー油田開発から100年有余カスピ海での油田開発競争が再燃しました。「海」か「湖」かの論争は『喫茶室』にご来店を願うとして、ソ連のペレストロイカを切っ掛けに当時大半がソ連領内だったカスピ海での油田開発は石油各社が先駆けを狙っていました
バクー周辺での新規埋蔵地域の発見に加えて、カザフスタン領土内にあるテンギス油田で、現在北カスピ海を代表する大油田となっています。
(中略)
ノーベル三兄弟登場・製油所建設とダイナマイト発明
1873年スエーデンの発明家イマヌエル・ノーベルの息子ロバート・ノーベルがバクーを訪れます。イマヌエルには3人の息子がいました。長男のロバートは次男のルドブィッヒの仕事を手伝っていました。次男は父の仕事を受け継ぎ軍事産業を営んでいました。
その関係でライフルの銃床となる木材(文献によれば艤装品の説もある)の買い付けにバクーを訪れたのです。そのころ、バクーは既に規模は小さいものの石油産業が芽ばえ街は栄えていました。
彼は、たちまち石油の虜になります。懐には、弟から預かった木材買い付けの資金があります。その資金を流用し1875年にバラハニーに利権を取得小さな製油所を手に入れます。
その後、次弟からの資金援助もありバクーでも強力な精製業者となりました。
次弟のルドブィッヒは、アメリカでの石油産業の急成長を知り、自ら石油産業に乗り出します。発明家という素養を備えており連続蒸留装置の技術改良などたちまち製油所を効率的に改造しました。
掘削業者、包装業者、輸送業者を傘下にいれ一大石油産業を確立します。さらに、油井と製油所との間にパイプラインを敷設しました。『ロベルト・ノーベル製油所』を設立し国際石油会社としての地位を築きます。
長男ロバートは、弟ルドブィッヒが自分の領分を犯したことに反発スェーデンに帰ってしまいます。しかし、1879年に『ノーベル兄弟石油生産会社』を設立しました。ノーベル一家ははロスチャイルド家と競争することになります。
(中略)
ロバートが弟に出資させて、バクーに定住したとあります。しかし、ノーベル基金の設立者が末弟のアルフレッドであり資金調達の役目がアルフレッドであるのが定説です。このアルフレッドがダイナマイトの発明者(1867年)であります。産業発展の為には、安全な爆薬が必要であるということで研究を重ねました。その爆薬とは、ニトログリセリンで、僅かなショックで爆発するこの液体を安全なものにしたいと研究しました。
その結果、1866年に安全に取り扱えるダイナマイトを発明しました。
彼のダイナマイト発明の目的は、鉄道のトンネルを掘る平和産業に貢献することでした。
ルドブィッフ。ノーベル・タンカーの建造
さらに当時は、輸送手段としては木製の樽を使用し、カスピ海を600マイル北上していました。そこから、小船に積み替えてボルカ川を遡り運んでいました。破損、漏洩等効率が悪く悩みの種でした。石油をバラで運搬する船船倉にタンクを作り石油を入れる、しかし、(今で云うタンカー)は"油と水"の関係から船の安定が悪くこれもバクー産の石油のヨーロッパ諸国への販売拡大を妨げる要因となっていました。
持ち前の技術革新のルドブィッヒは、水と油の密度差による不安定要因をクリアしたスェーデンで特別タンカーを
1878年にカスピ海に就航さすことに成功しました。 ゾロスター(Zoroaster)号です。ほどなく、カスピ海からボルカ河、バルト海をタンカー船隊が航行しました。ノーベル三兄弟の果たした貢献について整理してみます。
バクーの石油産業はロバートが先鞭をつけ、次男が製油所の技術革新により近代化そして末弟がダイナマイト発明による特許料により莫大な資金の蓄積により、石油産業への資金提供という図式になります。
ロバート・ノーベル : 化学者・石油産業の先鞭者・最初にバクーの石油に着目した。
ルドブィッヒ・ノーベル: 軍事産業(父の会社継承)・蒸留装置の革新・タンカーの開発・ロシアの悪路用車輪発明・石油王
アルフレッド・ノーベル: 化学と経済の才能に長ける・ダイナマイト発明 各国で特許取得莫大な資産蓄積・ノーベル基金設立
ロスチャイルドの進出
ロシヤ帝国での石油産業の市場は厳しく、国民の大半の人びとは石油を買うことすら出来ませんでした。そこで石油業者は市場を外国に求めました。カスピ海を北上するノーベルのルート対抗して黒海の町までの輸送手段として鉄道建設(バクーからバツーム)を計画しましたが、その資金がありませんでした。そこに現れたのが、マイヤ・ロスチャイルドです。ノーベルの成功に刺激され1886年に莫大な資金を投入し『カスピ海・黒海会社』を設立しました。アドリア海の製油所を買い取りロシアから原油を運ぶ計画を考えました。ノーベルとの戦いになり、シェル石油も絡んできます。
スターリン登場 労働運動の昂揚頂点に ノーベル家、ロスチャイルド家の追放
バクーの石油労働者の労働条件や生活条件は過酷でした。
バクーの労働者はほとんどが家族から離れて単身で働いていました。一日の労働時間は14時間から16時間が強いられ労働者の不満は蓄積していきました。バクーは『カスピ海沿岸の革命の温床』になりつつありました。革命を扇動する拠点が出来つつありました。バクーと石油産業は将来の革命の指導者を育てる場所となりました。
その若き活動家の卵の中に、「コバ」と呼ばれる男がいました。彼こそ、後に『ヨシフ・スターリン』と呼ばれる男でした。彼は、ロスチャイルド家に対するストライキをはじめ石油産器用相手のストライキの首謀者となりました。
1905年10月ストライキはロシア全域に広がりました。燃え盛る油井の火が地獄のごとく煙の雲の中にたちあがりました。
その後一旦スターリンは投獄されますが、やがて出獄し政治、社会の大変動がロスチャイルド家、ノーベル家をロシアから追い出すこととなります。以後、ロシアをはじめ東欧諸国は社会運動の坩堝に巻き込まれていくのです。国家は石油なり、社会主義国家建設の国威高揚から石油産業を描く切手は社会主義国に多く発行されました。
(中略)
バクーの労働者を扇動し、投獄されたスターリンは、40年後、ソ連の指導者となった彼はこの同じ油田を侵攻してきたドイツ軍から守ることになる。
バクーが確保できなかったことはドイツにとって致命的な打撃となっりました。
ロシアはこの労働争議を国民の目からそらす為に日露戦争に積極的に迎えたといわれています。何時の時代も内政問題を外に向けるものです。しかし、日露戦争には敗れ、労働争議は悪化しニコライ皇帝は窮地に陥ります。
1917年11月6日ロシア革命への道へと進みます。
ノーベル家、ロスチャイルド家は育て上げたロシアの石油産業から追放されることになりました。
(後略)
[新世紀人コメント]
カスピ海の沿岸はロシアにとっては見過ごす事が出来ない地域である事はお判りいただけると考える。従ってイランへのイスラエルや米国の限定的な戦争(爆撃など)に対してロシアが対抗処置を取ろうとする事はおおいに有り得る事である。
グルジャも沿岸から少し離れただけの地域なのだ。
イラン革命を切っ掛けにしてソ連体制が崩壊に向かわされた訳であるが、今ではこの逆の動きが起きかけていると言える事態進行なのかもしれない。尤もこれは意図的なものとは言えないではあろうが。
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