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http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10121973792.html から転載。 2008-07-31 11:40:23 戦争が生み出した「原子爆弾」。 しかし、人生そのものをも焼き尽くした悪魔の兵器ゆえ、多くの真実は悲しみの中に封印され続けた。 広島・長崎を始めとする日本各地とアメリカを舞台にした3つのストーリーは、ドキュメンタリーとドラマで構成。 ============================================= http://www.tv-asahi.co.jp/genbaku/introduction.html アメリカ戦略爆撃調査団が撮影した被爆3ケ月後の長崎の映像。 第2話 被爆国・日本にもあった「幻の原爆開発計画」 終戦の翌年、アメリカの新聞に驚くべき記事が掲載された。 「マッチ箱一箱分で米国のニューヨークを吹っ飛ばす爆弾が出来る」 昭和16年4月、日米開戦を目前にした陸軍は、当時、東京駒込にあった理化学研究所仁科研究室に原子爆弾の開発を正式に依頼する。 昭和20年3月21日、永沼不二夫さん(当時15歳)は、ラジオから流れた大本営発表の硫黄島玉砕のニュースで父・文男さんの死を知った。 第3話 原爆投下部隊・天才パイロットの光と影 広島原爆投下の2週間前、皇居に長崎原爆と同じ形をしたパンプキン型爆弾を落としたパイロットがいた。彼の名はクロード・エザリー。 郵便局荒らしや強盗未遂…酒に溺れて転落していくエザリー。 一体、彼に何があったのか・・・ ============================================= 出演者コメント
gataro-cloneの投稿
「『原爆』〜63年目の真実」 朝日系 8月2日(土) 午後9時放映
テーマ:戦争責任(歴史)
開局50周年を迎えた2008年・・・テレビ朝日が平和への祈りを込めて贈るスペシャルドキュメンタリーが「『原爆』〜63年目の真実」(8月2日 朝日系 土 午後9時放映)。番組は3話で構成されている。
63年前のあの夏、キノコ雲の上と下でいったい何が起こっていたのか?
原爆の記憶が風化していく中、半世紀以上の時を経て「最後の生き証人」たちがついに重い口を開いた。
明らかになる驚愕の真実の数々。
そこには「原爆」に翻弄された若者たちの人生があった。
番組では、3人の若者がたどった数奇な運命を、新たに発掘した機密文書や大迫力のCG、本物の爆撃機B29を使った再現ドラマで描いていく。
21世紀の子供達に語り継がなくてはならない、昭和史から置き去りにされた「原爆の真実」。
それは、今を生きる人々にも語り継いでいかなければならない「平和へのメッセージ」でもある。
そして、それぞれのストーリーを繋ぐのは、番組ナビゲーターの中井貴一。
ストーリーの鍵となる当時の写真や映像を映し出したバーチャルスタジオで番組の世界に誘い、さらにはひそかに眠っていた原爆の証拠品や物語の主人公となる人物の残した手紙などを紹介することで、「原爆の真実」により迫っていく。
第1話 瓦礫の長崎に立つ少女
およそ16分のこのカラーフィルムは実は戦後長い間、封印されてきたものだ。
被爆した人たちの悲惨な状況を、アメリカは覆い隠そうとしたからだった。
しかし、その中に残されていた笑顔を見せる少女の映像…これだけが何度も撮り直しをしている。
この映像にはどんな意味が隠されているのか…??
女優・石原さとみがこのフィルムを撮影したダニエル・マクガバン氏をアメリカ・ロサンゼルスに訪ねる。マクガバン氏は3年前に他界していたが、息子にあるメッセージを託していた…。
「あの時、ナガサキで微笑んでくれた少女のことが、私はずっと気がかりだった…。彼女はどんな人生を歩んだのだろうか?」
石原さとみは、その少女の消息をつかむため、63年前のフィルムを手がかりに長崎の街へ。
次第に見えてくるフィルムに焼き込まれた真実のカケラ…。在校生1500人のうち1300人が死亡した小学校。そこに、少女を探し出す重大なヒントが隠されていた。
何人もの被爆者たちの体験を聞きながら、少女の行方を追う石原さとみ。
63年の時を超え、少女に対面することは出来るのか・・・?
そして、フィルムに隠された真実とは・・・
「日本は原爆を開発していた。朝鮮半島北部で実験は成功」
なんと太平洋戦争末期、敗色が濃厚となっていく日本で起死回生を狙って極秘裏に原爆製造計画が進めてられていたのである!
陸軍の強い圧力のもとで必死にウラン濃縮に挑む若き科学者たち。
そして原爆用のウラン鉱石を掘っていたのは福島県に住む15歳の中学生たちだった。
少年たちはそう聞かされて素手にわらじ履きでウラン鉱石を掘らされた。
その一人、永沼不二夫さん(当時15歳)の証言を軸に物語は進行していく。
仁科研究室には後にノーベル賞を受賞する朝永振一郎をはじめとする優秀な科学者が集まる。
この極秘プロジェクトは仁科の頭文字から“二号研究”と名付けられた。
仁科は核爆発によるエネルギーをアメリカの科学者と同様にほぼ正確に予測し、原爆製造に必要なウラン235の濃縮分離実験を始めることになる。
一方でウラン鉱石掘りに駆り出されたのは、福島県石川町の中学生たち160人。石川町にある石川山は昔から稀少鉱物の産地として有名でウラン採掘の場所として白羽の矢が立ったのである。
このウラン鉱石を掘る作業が始まる直前、永沼少年のもとに戦地に行った父親から手紙が届く。父の赴任地はあの硫黄島だった…。
中学生たちのウラン掘りが始まったのはその一週間後のことである。
この年、4月13日、仁科研究室にB29の空襲があり、原爆開発に欠かせない実験装置が炎上してしまう。
翌日、仁科は東京の研究室での計画続行を断念。研究員たちは大阪や山形に散って細々と計画を進めることになる。
それでも永沼不二夫さん等中学生たちはウランを掘り続けた。
グラマンの機銃掃射を受ける危険な日々が続く中、ついにその日がやってくる。
広島原爆…。
仁科博士はこのときこう書き記した。
「我々、二号研究の関係者は腹を切る時がきたと思う」
そして終戦。
ウラン鉱山で玉音放送を聴いた中学生たちに教師はこう語りかけた。
「明日からはスコップの替わりに教科書を持ってきなさい」
結果的には標的をはずしてしまうが、彼こそが広島原爆を落としたB−29エノラ・ゲイに爆撃のGOサインを出していた509部隊のパイロットである。
彼は長崎原爆の後、8月17日に予定されていた第3の原爆作戦=東京原爆投下に際して投下パイロットの候補にもなっていた。
戦後、509部隊はアメリカで英雄として迎えられるが、なぜか彼だけは奇行を繰り返すようになる。
やがて彼は日本に手紙を書き送る。
『原爆投下は誤りだった・・・私もヒロシマの犠牲者である。』
ヒロシマへの謝罪・・・
当時、アメリカでは異例ともいえる元パイロットの謝罪。
しかし、その真意は明らかにされる事もないまま、エザリーは59年の生涯を終えた。
俳優・大沢たかおの「エザリーの人生を辿る旅」が始まった。
元米軍兵士や親族ら関係者によって明らかになるエザリーの半生。
やがて、彼らの口から語られたのはエザリーの人生を大きく狂わせることになったある実験だった。
テニアン島そしてアメリカ横断ロケを敢行。
大沢たかおが旅の最後にたどり着いたエザリーの心の叫びとは・・・?