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先月、亡くなった911トゥルサーのジョージ・カーリン。最後までトゥルサーでした。
この声明は、ロン・ポール議員が、差し迫っている財政破綻、金融破綻について書いたものです。
ロン・ポールは来週、議会の特別許可を得てこの声明を提出し、
この声明は連邦議会議事録に記録されることになります。
幸せなことに、私たちは、この「自由のための運動」ブログで
この声明を皆さんに一番最初に紹介する機会を得ました。
ロン・ポール
2008年7月2日
私は、過去35年間にわたって、
アメリカの未来について私が抱く非常に深刻な懸念について表明してきました。
私たちが過去100年間とってきた針路が、私たちの自由、安全、繁栄を脅かしてきました。
ずっと長く抱き続けてきたこの懸念ではありますが、日増しに確信するようになっています。
今、何か重大な出来事が私たちに降りかかろうとしているその時に私たちはいるのだと。
急迫してきているこの出来事は、気づかないうちに済んでしまうというようなものではありません。
それは、私たちすべてに影響を及ぼします。
私たちの国アメリカの一部の範囲に限定されたものにもなりません。
牙をむいて襲いかかろうとしているこの大混乱は、
今まさにそのくびきから解き放たれようとしており、
世界の経済と政治体制がそれを共有することになります。
回避すべき数々の戦争の無意味さに世界の人々は苦しめられてきましたが、
私が最も危惧していることは、私たちが今すぐにでも今進んでいる道筋を変えなければ、
このまま進むと、世界中の一般の人々をも巻き込む大衝突、経済的苦難を招来するということです。
アメリカは、自由市場と私有財産権によって、
自国内だけではなく、世界中で、大きな富を築き、発展する先頭に立ってきました。
今や、私たちは自由、自立、勤勉、質実という生活信条に対する確信を失ってしまい、
そのかわりに、帝国を建設し、インフレ〔通貨膨張・おかね刷り散らかし〕と借金によって、
その財政をまかなうということをやっています。すべてが変わってしまったのです。
なんとも恐ろしいことであり、歴史に記される出来事であります。
今日、私たちが直面している問題は、歴史上においては新しいものではありません。
権限が一部の者たちに集中している独裁主義は、長い歴史においては、そこここに見られます。
何世紀にもわたって、インフレと借金が、圧制者たちによって、
権力を握り、侵略を推し進め、人々に「パンとサーカス」を与えるために利用されてきました。
国家は、何の重大な報いを受けることもなく、
「大砲とバター」〔軍事と福祉〕をまかなえるのだとする考えが1960年代にはありました。
それは、皆が唱えたスローガンだったのです。
そのときには、ベトナム戦争も福祉国家の拡大も問題ないと教えられました。
根拠なくそう思いこんでいたことが間違いだと1970年代には判明しました。
今日における状況は、古代や1970年代とは異なるのです。
私たちは今やグローバル経済のなかにいるという議論もひとつです。
世界の人口は増え、現代の科学技術、通信、旅行によって、
世界の人々は結びつきの度をより深めています。
現代の科学技術が、自由の理念、自由市場、健全な通貨、交易を促進するために使われていれば、
新しい黄金時代の到来を告げるものとなっていたでしょう。
そういうグローバリズムであれば私たちは受け入れることが出来ます。
しかし、そのようにはなっておらず、現在私たちが享受している富と自由は、
減少していく一方であり、それを支えている哲学の基盤はもろくも崩れそうな有り様です。
それは、戦争と福祉という体制で私たちに気づかせないようにしている、
我が国の橋と堤の現状と同じようなものです。
私が恐れているのは、私の懸念が現実のものとなりつつあり、
私が最初に思っていた以上に悪い事態にすらなりうることです。
もう大混乱は、私たちの家の戸口にまで来ています。
自由の壮大な試みが深い冬眠に入ってしまう前に、
針路を正すには、もう時間はあまり残されていません。
今回やってくる危機は、今まで世界が経験したレベルとは違うものであり、
はるかに大きいと言うには根拠があります。
グローバリズムというのは、将来が明るくなるようなやり方では利用されていません。
グローバリズムは、政治家たち、官僚たち、中央銀行家たちの間違いのすべてを、
グローバル化する、世界に拡大するためにしか利用されていないのです。
私たちが、他の人々に対する謙遜と敬意の念を持っていれば
有無を言わせない唯一の超大国であろうとするなど決して受け入れなかったでしょう。
私たちの傲慢さと攻撃性によって、世界帝国は史上最強の軍隊を背景に拡大してきたのです。
このようなグローバリストたちによる世界への介入は、
世界各国のすべての市民に対して、諸問題を引き起こすものでしかありません。
日々生活を営んでいる世界中の人々の幸福に何一つ寄与することもありません。
この10年間で、ここ私たちが住むアメリカにおいて、
私たち個人の自由がどれほど計画的に破壊し尽くされてきたか考えてみてください。
今の経済危機は、まだ始まったばかりの段階とはいえ、誰の目にも明らかです。
ガソリンの価格は、1ガロン4ドルを超えました。教育費や医療費が急騰しています。
住宅バブルは崩壊しました。ナスダック市場のバブルも破裂しています。
株式市場は急落しています。失業率は上昇し、不完全就業者数は膨大です。
政府の借金はおそろしく膨れあがり、
手の打ちようがないほどの借金を抱えている個人も増えています。
私たちがスタグフレーション〔景気停滞下でのインフレ(物価高)〕の状況にあるのかどうか
について疑問の余地はほとんどありません。
もうすぐ出てくる質問は、
このスタグフレーションが、インフレのまま恐慌になるのは、いつですかというものです。
世界経済がグローバル化されてきたこと、私たちが直面する問題は世界規模であること、
その理由には様々ありますが、
もしも、私たちが、金〔ゴールド〕と交換できない紙切れを、
ハイ、これが「おかね」でちゅよと言われて使っている法定不換紙幣のカラクリと、
長期にわたって膨らんできたドルのバブルを理解しないのであれば、
私たちは何に直面しているのかということも理解できません。
何段階かありました。
1913年に連邦準備制度が発足してから1933年までは、
中央銀行が、自分こそドルを管理する公的立場の者だということを確立した時期でした。
1933年までに、アメリカ国民は、もはや、金貨というものを持てなくなりました。
こうして、戦争と福祉のために連邦準備制度がお金を刷って通貨膨張させるようなことがないように、
抑制していたものが取り除かれてしまいました。
1945年までに、ブレトン・ウッズ体制が創り出され、ドルが世界の準備通貨となって、
さらに抑制していたものが取り除かれました。この体制は、1971年まで続きました。
1945年から1971年までの期間、
連邦準備制度には、まだいくらか抑制となるものが残っていました。
アメリカ国民ではない外国人は、1オンス35ドルで、ドルを金〔ゴールド〕と交換できたのです。
しかし、ドルが過剰に刷られ創造されていたため、この体制は1971年に終焉をむかえたのです。
インフレ〔通貨膨張〕と市場をグローバル化し、世界的なドルの巨大バブルを発生させたのは、
ブレトン・ウッズ体制の崩壊後の話です。
このバブルが今、破裂していっているのです。
今までの経済上の数多くの間違いの結果どんな目にあうのかを、
今私たちは目のあたりにしているのです。
しかし面白いことに、この35年間は、逆に、私たちはこの欠陥だらけの制度から利益を得てきました。
なぜなら、世界の人たちが、それがまるで金貨〔ゴールド〕であるかのように、ドルを受け入れたので、
私たちは、このドルという紙っ切れ(ニセガネ)をじゃんじゃん刷って、
海外で浪費して(間接的には、これで私たちの仕事が海外に出ていってしまうことにもなります)、
労せず得た繁栄を楽しんでさえいればよかったのです。
アメリカのドルを受け取って、商品やサービスを提供する人々は、
そのドルをまた私たちに喜んで貸してくれたのです。
こうして、私たちは、自分のたちのインフレ〔通貨膨張〕を世界に輸出し、
その結果をこうむるのを遅らせることが出来てきたのです。
そして今、その結果がこれから身の回りで始まろうとしているのです。
そもそも最初からこれは長く持ちこたえられるものではないのです。
今、私たちは、その報いを受けなければなりません。
私たちの巨額の対外債務は返済するか清算しなければなりません。
私たちが受けてきた特典は、もう期限切れになるのです。
世界の人々は、もうドルの保有に乗り気ではなくなってきているからです。
その結果として、この国で物価高〔インフレ〕になっているのです。
それが今日、私たちが目撃していることであります。
海外ですでに、ここアメリカよりも物価高〔インフレ〕になっているところもあります。
それは、外国の中央銀行が米国債をどんどんマネタイズ〔現金化〕し出した結果であります。
長期にわたってドルを刷り続けてきて、すぐさま物価を押し上げることはないかもしれません。
しかし、時が経てば、やがて必ずそうなります。
いままでのドルの供給で膨れあがっている分に対して、今、その巻き返しが起こっているのです。
ガソリン1ガロンで4ドルもかかるなんて最悪だと思っていますが、
これは、そのほんの始まりに過ぎません。
ドルの危機とガソリン価格の高騰に対する解決策として、
石油を「掘れ、掘れ、掘れ」と扇りたてても、それは注意をそらすものでしかありません。
市場への供給を増やすために掘るのも、まあいいでしょう。
しかし、そういう話にしてしまって、
財政赤字の罪、連邦準備制度のやってるペテンから目をそらさせているのです。
このバブルが、今までと違う、今までよりも大きなものだと言うのには、もうひとつ理由があります。
世界の中央銀行家たちは、秘密裏に共謀して、世界の経済の中央計画を策定してきたのです。
中央銀行家たちの間で、過去15年間にわたって、
米国債を「マネタイズ」する〔ドルを刷って返す〕取り決めがあったと私は確信しています。
それは、秘密裏に、いかなる監視の目も届かないところでです。
特にアメリカ議会は、そうしたことに注意を向けることもありませんし、まったく理解もしていません。
この私たちへの「贈り物」にも終わりが来ますし、私たちが抱える問題はさらに悪くなるのです。
各中央銀行も各国政府も、非常に強い権力を持っていますが、
(価値のない)ドルをつかまされている状況にあることを理解した人々が、
感情に突き動かされて、そのドルを経済に注ぎ込み出せば、インフレの熱に火がつき、
結局は、市場がそんな者たちの権力など圧倒してしまうのです。
今回は、非常に多くのドル、そして非常に多くの国々が関わっているのです。
過去15年間、どんな危機がやってこようと、ドルという「紙の供給」で済ますことができました。
そうして、特に、アラン・グリーンスパン氏は、連邦準備制度理事会の議長として、
このバブルを史上最大の規模にまでしたのです。
人為的に低くした金利で貸し出されている過大な資金による間違いは巨大で、
市場は、それを修正しようとします。
過大な借金、間違った投資、過剰投資、その他もろもろの問題がそこにはあり、
これらは、政府が決してやるべきではなかった支出をしたことによって引き起こされています。
海外侵略の軍国主義、福祉ばらまき、そして、80兆ドルの様々な社会保障を約束していますが、
それはすべて終わるのです。
今ある要望すべてに答え、それらを手に入れられるほどのお金も、
富を創り出す能力も私たちは持っていません。
なぜなら、私たちは、市場経済を拒否し、健全な通貨・健全な財政を拒否し、自立を拒否し、
自由の大原則を拒否したからです。
こうした資源や資金の誤った配分は、
すべて正される必要がありますし、その修正は必ず来るものなのですから、
これから「大きな出来事」が展開していくときに、そこに何かよい面を見いだすことも出来ます。
人々には二つの選択肢があります。
もう一つありますが、それは私たちには利用できません。
よろつきながら現在の体制に同調して、
借金とインフレとウソ偽りで、今のこの体制を支えるという選択肢です。
それはもうありえません。
二つの選択肢の一つ、これは過去に政府というものがしばしば採った選択肢で、
自由の大原則を退け、より大きな、より権限の集中した独裁的な政府になって、
問題解決をはかろうというものです。
ちょうど私たちが、アメリカ帝国の経営を大統領に許したように、
大統領に独裁的な権限の数々を与えることこそ、私たちのするべきことだと言う者たちがいます。
これこそ、ものすごく危険なことなのです。
911事件の後の全体的な雰囲気として、
非常に多くのアメリカ国民が、自由よりも安全を求めようとしました。
もうすでに、もうすでに私たちは非常に多くの個人の自由を失いました。
経済の崩壊を心底恐れることによって、
1930年代のニューディール政策ですら、
トマス・ジェファーソンが起草した独立宣言に見えるほどまでに、
ごく一握りの者たちを中央計画の策定に駆り立ててしまうのです。
政府が経済を支配し運営するのを私たちが許せば許すほど、
恐慌というものは、より根深くなり、より長引くのです。
1930年代、1940年代初めが、そういうことだったのです。
同じ間違いがなされようとしています、もし私たちが目覚めないのであれば。
しかし、良いお知らせがあるのです。
私たちが正しいことを為せば、そんなに悪いことになる必要がないのです。
私は、この18ヶ月間、大統領選挙運動に取り組んでいた最中に、
「何か大きなこと」が起こっているのを見ました。
私たちは、目覚めることが出来、正しいことを為すことが出来るのだと、
私は自信と元気を与えられたのです。
私は文字通り何千人もの高校生、大学生の若者たちに出会いました。
彼らは自由な社会というものに一生懸命取り組んでいく責任を引き受けるのに、
とても意欲的なのです。
おせっかいを焼こうという多くの政治家たちが約束する「揺りかごから墓場まで」の福祉は、
いらないというのです。
自由のメッセージを聞く人が増えれば増えるほど、
より多くの人たちがこの取り組みに参加してきます。
私たちの外交政策、福祉制度、通貨金融政策、もうほとんどすべての政府が提示する解決策が、
失敗であったことは、もう誰の目にも明らかなのです。誰もが納得することなのです。
そして、自由というものがどのようにうまく行くのか、どうしてそれが可能なのかという、
未来に向けた積極的なメッセージが、今こそ緊急に必要とされているものなのです。
自由な社会における自立というものを受け入れて得られる最良のものの一つが、
自分自身の人生を成し遂げるという真の個人の満足です。
これは、政府が、監視者、親、供給者の役割を引き受けるときには得られないものです。
なぜなら、政府がそのようなことをすれば、個人の誇りは消滅させられるからです。
しかし、本当の問題は、
政府というものは、彼らが言うほどの安全も経済的安定も提供できないということです。
政府が約束する、いわゆる良いことというのは、
必ず、他の者の自由を犠牲にして獲得されるものなのです。
これは、失敗した制度であり、そのことを若者たちは知っているのです。
自由な社会を回復するということは、
私たちの家を整理し、贅沢をしていたその代価を払わねばならない必要があるのを、
なしにするというものではありません。
しかし、その苦痛は、私たちが正しいことを為せば、長く続くものではないのです。
何より、帝国は、財政破綻によって終焉を迎えざるを得ないのです。
私たちがやってる戦争は停止します。
市民的自由に対する攻撃も止みます。
そして、繁栄が戻ってくるのです。
どちらを選択するかは明らかです。
難しいことではありません。
大きな出来事が今始まろうとしている、それが私たちに大きなチャンスを与えてくれているのです。
今の潮の流れを逆転させ、1776年に始まった真に偉大なアメリカ革命を再び始めるのです。
チャンスが私たちを呼んでいます。私たちが今直面しているこの緊迫と危険のなかで。
「何か大きなことが起ころうとしている」。
このことを通して発見しよう。
自由でうまく行くということ、自由こそ皆が望んでいるものであり、
私たちが今、目撃しているこの経済的、政治的な大きな出来事は、
不幸に見えて、実は幸福をもたらすものであるということを。