★阿修羅♪ > 戦争a2 > 493.html
 ★阿修羅♪
ブッシュは、フセインの支配からイラクを奪い返し、アメリカの属国を拡大しようとしたところ、逆にイランの属国を拡大させる?
http://www.asyura2.com/08/wara2/msg/493.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 5 月 18 日 15:19:02: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu168.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
ブッシュは、フセインの支配からイラクを奪い返し、アメリカの属国を
拡大しようとしたところ、逆に敵国であるイランの属国を拡大させる?

2008年5月18日 日曜日

◆戦争に勝つということはどういうことか 永井俊哉
http://www.nagaitosiya.com/a/victory.html

英米は、第二次世界大戦で犯した過ちと同じ間違いをイラク戦争で繰り返している。二つの戦争に共通する構造を浮かび上がらせながら、戦争に勝つということはどういうことかを考えてみよう。

1. 戦争の三つのレベル
戦争に勝ったかどうかを判断する時、どのレベルで勝ったのかということを考えなければならない。戦争には、戦術(tactics)・戦略(strategy)・政治(politics)という三つのレベルがある。政治のために戦略があり、戦略のために戦術がある。優れた戦術があっても戦略がなければ戦闘に勝てない。また戦闘に勝っても、政治的外交的成果につながらなければ、意味がない。

戦術と戦略の区別は、マキャベリのそれに由来するといわれるが、クラウゼヴィッツは、「戦略」と「戦術」を次のように区別する。

どのような武器を使ってどのような攻撃ができるのかは、戦術レベルの問題である。例えば、湾岸戦争では、レーダーや赤外線の探知を避けるステルス戦闘機や命中精度の高い誘導システムを備えた巡航ミサイルトマホークなどが使われた。こうした武器を使った効果的な攻撃方法が戦術である。

多国籍軍は、こうしたハイテク兵器で、味方に人的被害をもたらすことなく、敵の牙を抜き、しかる後に地上軍を投入してクェートの領土を回復する作戦を立てた。この作戦は多国籍軍の戦略だ。戦略は、政治という目的と戦術という手段を結びつける戦争の設計図である。

イラクからクェートが撤退を始めた時、パウエル統合参謀本部議長がブッシュ・シニア大統領に「あと24時間あればイラクの戦車部隊を全滅させることができる」と追討の意見を具申したが、ブッシュ・シニアはそれを却下した。もしフセインの軍隊が壊滅したら、イラクに軍事的空白が生じ、イランが漁夫の利を得る可能性がある。「なぜブッシュ・シニアは、フセインの息の根を止めなかったのか」と人はよく首をかしげるが、アメリカにとっては、どちらも敵であるイランとイラクが対等に対峙してくれるのが、一番良いのである。イラク軍を完全につぶさなかったのは、まさに大統領の政治的判断による。実は多国籍軍の中核を担った英米は、第二次世界大戦での苦い失敗から教訓を得ていたのである。

2. 第二次世界大戦の勝者は誰か
第二次世界大戦は、1939年9月にドイツのポーランド侵攻に対して英仏両国が対独宣戦したことによって始まった。この頃イギリスでは、次のようななぞなぞがはやっていた。

ムッソリーニ、ヒットラー、チェンバレン(当時のイギリス首相)、ダラディエ(当時のフランス首相)のうち、勝つのは誰か?

Mussolini,
Hitler,
Chamberlain,
Daladier,
Which
Wins?

答えは、各単語の3番目の文字を拾ってみれば分かる。Stalin(スターリン)である。このなぞなぞは冗談で作られたのかもしれないが、その答えは正解であった。

第二次世界大戦は、イギリスが相互援助条約を結んでいたポーランドを守ることを直接のきっかけとして起きる。ポーランド政府要人は、ドイツ軍の侵攻を受けて、ルーマニアに逃れ、そこからパリ在住の元上院議長ラシュウィッチを大統領の後継者に指名した。パリの亡命政権はその後ロンドンに移って英仏と共にドイツと戦う。

ところが、ナチスドイツが敗北した後もこの亡命政権が返り咲くことはなかった。1944年12月に、スターリンは、ソ連占領下ですでに誕生していたポーランド共和国臨時政府を認めるように英米に主張した。チャーチルはロンドン亡命政府の要人がポーランドに帰国後総選挙するよう強く主張したが、ソ連は反共産分子を大粛清した後で総選挙をしたので、ポーランドにはソ連の傀儡政権ができてしまった。

同じことはユーラシア大陸の反対側でも起きる。アメリカは日本から中国市場を手に入れるために、日本と戦うことになったわけだが、日本を打ち負かした結果、中国は、ソ連の影響下に入ってしまった。イギリスもアメリカも、戦闘には勝ったが、政治では負けたのである。

チャーチルとルーズベルトは、カサブランカ会議で「英米両国は、日本とドイツの無条件降伏を達成するまで戦争を容赦なく継続する決意だ」と声明した。日下公人も指摘するように、これは戦争のやり方としては下手なやり方である [日下 公人:人間はなぜ戦争をやめられないのか―平和を誤解している日本人のために]。相手を丸ごと敵に回すことなく、敵国の反政府勢力においしい有条件を約束しながら、内部から崩して行く戦略が、味方の損害を最小にするためにも、またとんびに油揚げをさらわれないためにも必要なのである。

スターリンが勢力拡大に成功した背景には、連合軍の中核となったアメリカのルーズベルト大統領が、社会主義に好意的であったことがある。ルーズベルト大統領と言えば、今でもアメリカ国民の間で最も人気のある大統領だが、彼がアメリカの国益に本当に貢献したかどうかは、とても疑問である。

ルーズベルト大統領は、ニューディール政策で、アメリカ経済を世界恐慌から立ち直らせたということになっている。しかしその成果はヒットラーのケインズ政策よりはるかに見劣りがする。本題と関係がないので詳しく述べないが、近年の実証的研究から、ニューディール政策は失敗であったと言われている。

ルーズベルト大統領のもう一つの失敗は、ソ連が将来アメリカの敵になることを予測していなかったことである。彼はソ連と一緒に、日本が無条件降伏するまで時間をかけて日本と戦うつもりだった。もしルーズベルトが大統領職を続けていたら、日本はその後ドイツと同様に、分断されていたかもしれない。ところがルーズベルトは4月12日に死去した。新たに大統領となったトルーマンは、単独で日本を占領することに方針転換する。彼は日本に誕生した鈴木貫太郎内閣を降伏のための内閣と考え、「無条件降伏とは軍隊の降伏である」というやや譲歩した声明を発表する。日本の無条件降伏を日本軍の無条件降伏へと修正したわけだ。

当時鈴木内閣は、戦後米ソが対立するであろうことを認識していた。それならば、一刻も速くアメリカと和平を結び、ソ連の脅威に備えるべきだった。ところが鈴木貫太郎は、そうした政治戦略を持つことなく、ポツダム宣言を黙殺し、国民には本土決戦の首相談話を発表していた。もしも、あの時トルーマンの提案を受け入れていれば、原爆が落とされることはなかったし、北方領土問題も生じることがなかった。

3. イラク戦争の勝者は誰か
2003年3月、アメリカは、イギリスなどとともに、大量破壊兵器を保有するイラクの独裁者サダム・フセイン大統領とバアス党政権を排除するという大義名分の下、国連決議による許容もないまま、対イラク戦争を始めた。この戦争は、米英側に大きな損失がないまま、開戦1ヶ月半ほどで実質的に終了し、同年12月には、サダム・フセインが拘束され、戦術・戦略的には成功だった。にもかかわらず、この戦争が成功だったと評価する人はほとんどいない。

ブッシュ・シニア大統領が、第二次世界大戦の教訓を生かして、フセイン政権のレジームチェンジにまで深入りしなかったのに対して、息子のブッシュ・ジュニア大統領は、ルーズベルト大統領と同じ過ちを繰り返してしまった。ルーズベルトが敵国に戦争を始めさせることで国際世論を味方につけたのに対して、ブッシュ・ジュニア大統領は国際世論に反して、自ら戦端を開いたという点で、ルーズベルト大統領以上に下手なやり方をしたと評することができる。

バブル崩壊後に生じたデフレ対策の戦争という意味で、ルーズベルト大統領の戦争とブッシュ・ジュニア大統領の戦争はよく似ているのだが、結果も似たようなものになりそうだ。ルーズベルト大統領が、ドイツの支配から東欧を、日本の支配から中国を奪い返し、アメリカの属国を拡大しようとしたところ、逆に敵国であるソ連の属国を拡大してしまったように、ブッシュ・ジュニア大統領は、フセインの支配からイラクを奪い返し、アメリカの属国を拡大しようとしたところ、逆に敵国であるイランの属国を拡大してしまうということにならないだろうか。

イラクが民主的国家として自立するための、2005年1月の選挙の結果、イスラム教シーア派が過半数を占めた。

第一次世界大戦後にイギリスがイラクを建国して以来、スンニ派がイラク政治を支配してきたが、今後は、シーア派がイラクを支配することになりそうだ。周知のとおり、イスラム教徒は、スンナ派とシーア派に大別され、シーア派のイスラム教徒は、スンナ派と比べて、原理主義的・反欧米的・反帝国主義的傾向が強い。英米にとって、スンナ派よりもシーア派の方が好ましくないことは言うまでもない。

第二次世界大戦終了後、東欧から中国にいたる巨大な共産主義ブロックが出来上がり、英米は、この共産主義ブロックの「封じ込め」と「巻き返し」に苦労するわけだが、同様に、今回のイラク戦争終了後、イランからイラクを経てシリアにいたる巨大なシーア派ブロックが出来上がり、英米は、このシーア派ブロックの「封じ込め」と「巻き返し」に苦労しなければならなくなる。

英米が、イラクの石油利権を確保するという当初の政治目的を達成するためには、本来どうすればよかったのか。その答えは、第二次世界大戦の考察から容易に見つけることができる。第二次世界大戦において、英米は、敵国にいる反体制派を味方にすることなく、無条件降伏を迫り、ドイツ人や日本人全体を敵に回し、ドイツと日本の軍事力を完全に崩壊させることで、ドイツと日本の占領地をソ連に明け渡す結果となった。これと逆のことをすれば成功したはずだ。

すなわち、英米は、イラク人全体を敵に回すことなく、スンナ派、特にサダムの生地であるティクリート出身のスンナ派の既得権益の維持を約束して、彼らを味方につけ、バース党や軍隊といったスンナ派がイラクを支配する権力機構をそのままにして、サダム・フセインだけを除去し、サダムが占めていた位置に乗れば、彼らの帝国主義的目的を達成できただろう。

スンナ派、特にティクリート出身のスンナ派が英米に協力するはずがないと思うかもしれない。しかし、彼らがフセインを支持したのは、フセイン個人が好きだからではない。フセインが特権を与えてくれたからだ。だから、もしも英米が、特権階級に、これまで以上の経済的特権(それは、経済封鎖を解くことによって可能である)を約束するならば、彼らは、英米に協力し、特権の見返りとして、石油利権の支配を認めたことだろう。

ところが、英米の占領軍は、スンナ派を、フセインとの結びつきが強いという理由で敵視し、シーア派ともイランとの結びつきが強いという理由で距離を置き、結局、イラク人のほとんどを敵に回してしまった。これでは、イラクの統治がうまくいかないのは、当たり前である。英米軍の占領政策は、分割統治(divide et impera)という政治力学のイロハを無視しているという点で稚拙であった。

結局のところ、ブッシュ・シニア大統領が一番恐れていた事態を息子が作り上げることとなった。ルーズベルト大統領の失敗も愚かだったが、その失敗から何も学ばなかったブッシュ・ジュニア大統領はもっと愚かである。

(私のコメント)
ブッシュ大統領が現在中東を訪問していますが、イラク戦争も終決の目処が立たず膨大な戦費と4000人以上の戦死者を出したまま任期を終えるようだ。アメリカがイラク戦争に踏み切った理由はコロコロ変わるのでよく分かりませんが、理由はいくつでもあげられる。石油の為か? ドル防衛の為か? 大イスラエル建設の野望の為か? 軍需産業のためか? それともアメリカを衰退させる為か? 田中宇氏は衰退させるためという説をとっている。

「株式日記」では、アメリカのキリスト教右派とイスラエルの工作機関が手を組んだ事によって、9・11テロを実行してアメリカ軍をイラクに呼び込んで大イスラエルを建設する、という説ではないかと思っている。これは大政治戦略であり50年くらい先にならないと正体は見えてこないだろう。

イラク戦争は戦闘自体はアメリカ軍の圧勝で終わりましたが、イラクのゲリラ組織も路肩爆弾テロで反撃して米軍に4000人以上もの戦死者を出すに至っている。ゲリラとの戦闘が長期化していることで戦略的にも失敗していると見るべきだろう。しかしユーフラテス河からナイル河に至る大イスラエルが建設に成功すれば、キリスト教右派とイスラエルの野望は達成されたと言える様になるかもしれない。

もっとも田中宇氏によれば、イスラエルはイギリスに操られており、イギリスはイスラエルを使ってアメリカをコントロールしているという見方をしている。だからブッシュとチェイニーはイスラエルの言いなりになっているようなふりをして、わざと不始末をしてイスラエルに憎しみが集まるように振舞っているとも見える。

歴史学的に言えば、戦争は時代によって見方や評価が異なるものであり、古代に起きた戦争でさえ評価が変わることがある。たわいのない小さな戦争が後世から見れば大きな意味を持っていたこともあるし、勝ったか負けたかも評価が逆転する事もある。後世にどのような影響を与えたかを見れば評価が変わるのは当然だ。

大東亜戦争においても、戦闘では無条件降伏したことから完全に負けたといえる。しかし終戦から半世紀以上も経って、政治的に見ればイギリス、フランス、オランダ、アメリカなどの植民地は解放され独立を勝ち取ったといえるし、人種差別撤廃の動きも国際連合憲章や世界人権宣言の国際条約が締結された事からも政治的勝利は明らかだ。戦前の国際連盟では人種差別撤廃条項は米英の反対で否決された。

アメリカで公民権法案が可決されたのは1963年であり、それ以前は黒人は人種差別されて当然の人種差別国家であった。もし大東亜戦争後のアジア・アフリカの独立が無ければ、現代のアメリカもバラク・オバマは大統領候補にはなれなかったであろう。いわば人種差別撤廃を訴えた日本と、人種差別国家であったアメリカとが戦争をしたのが大東亜戦争なのだ。

第二次世界大戦にアメリカを巻き込んだのはイギリスですが、アメリカは歴史的に見ればイギリスに操られて第一次大戦以降は戦争をさせられ続けていると言える。イラク戦争も黒幕を探ればイスラエルを操っているイギリスなのかもしれない。しかしそのイギリスを大帝国から転落させたのは日本であり、ねずみの嫁入りのような日米英の因果が浮かび上がってくる。

第二次世界大戦における最大の勝利者であるソ連は1991年に崩壊して無くなった。アメリカにしても戦闘で勝利はしても、中国は蒋介石が逃げて共産党が政権をとってしまったし、東ヨーロッパも共産圏入りしてしまった。世界最大の経済力を持つアメリカとしてはそれだけの市場を失ってしまった事になる。90年代に入ってようやく中国も東ヨーロッパもグローバル市場になりましたが、そのアメリカが経済的に影が差しはじめている。

完全に敗北して国家も分断されたドイツは90年代に統一を回復して、EUを結成してアメリカに対抗する国家連合となりましたが、ヨーロッパの統一というナチスドイツのヒトラーの野望は、EUの結成で平和裏に達成されたとも言えるだろう。複雑なのはイギリスであり、東西ドイツの統一にもイギリスのサッチャー首相は反対した。イギリスの伝統的な外交政策である大陸に強力な国家を作らせない外交戦略は、EUの結成で失敗したといえる。

それに対してブッシュ・シニア大統領は東西ドイツの統一に賛成したのはなぜか? アメリカにもイギリスやイスラエルに操られる事に反対する勢力があり、ヒトラーを援助したり東西ドイツを統一させたりすることでイギリスに反抗する勢力がある。イギリスは近い将来にはユーロ通貨にも参加して、ヨーロッパの一小国になるのだろうか。

イラク戦争が今後のアメリカをどのように変えていくのだろうか? 今後ともイスラエルに操られて大イスラエル建設に協力していくのか、それとも裏ではイランと手を組んでイスラエルを解体させる陰謀を企むのか分からない。ブッシュ家とサウジアラビアの関係を見ればわかるように、アメリカでも親アラブ勢力があり石油で結びついている。

アメリカには二つの対立勢力があり、一つは石油資本勢力であり、それに対して金融資本勢力がある。サブプライム問題も金融資本勢力と石油資本勢力の対立が見え隠れしているように見える。ブッシュとチェイニーはアメリカを衰退させる事で多極化戦略をとろうとしているのだろうか? このあたりになると陰謀の裏の裏まで見なければならないから訳が分からなくなる。

このように見ればイラク戦争はアメリカの行方を左右する戦争であり、大イスラエルを建設するのか、それともイスラエルをイランを使って消滅させるのか分からない。イスラエルにすれば、イラクにアメリカ軍がいるうちにシリアやヨルダンを支配下に置きたいところだ。そうすれば大イスラエルが完成する。ブッシュ大統領はイランとの戦争をせっつかれながらも戦争を開始しないのも、イスラエルを解体する陰謀を持っているからなのか? そうだとすれなブッシュとチェイニーは予想以上のタヌキだ。

オバマ米上院議員、チェイニー副大統領の親せきと判明
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-28377220071017

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 戦争a2掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。