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http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2008/04/29/20080429ddm007030119000c.html から転載。
イラク戦争:「大規模戦闘終結」宣言から5年 米の専門家2人に聞く
「イラクでの主要な戦闘は終結した」。ブッシュ米大統領が03年5月1日に空母エイブラハム・リンカーン艦上で大規模戦闘の終結を宣言してから来月1日で丸5年になる。開戦からわずか40日余りでの「終戦」宣言は、米軍のパワーを見せつけたかに見えたが、情勢はその後一転。内戦の泥沼化こそ回避したものの、駐留米軍の出口はいまだに見えない。占領が失敗した原因や今後の対応について米国の情報当局、軍の専門家に聞いた。【聞き手・小倉孝保】
◇開戦の理由探した米政権−−ポール・ピラー氏、元米NIC情報官
−−米情報機関が大量破壊兵器などの情報で間違った理由は。
◆情報提供者の信頼性を分析する者と情報収集者とのコミュニケーションが不足していた。結果的に、質の悪い情報に頼った。また、情報以前にブッシュ政権は、イラク開戦を決定し、政権幹部は「開戦の理由になる情報はないか」と繰り返した。政策決定者は開戦に都合のいい情報だけを求めていた。
−−情報機関内に戦争への反対は。
◆過去、米国がかかわった主な戦争は、何らかの攻撃に対応する形で行われてきた。しかし、今回は米国指導部が仕掛けた攻撃で、誤った異常な戦争だ。もちろん、多くの情報当局者は戦争に反対だった。しかし、そうした意見を言うのは我々の仕事ではなかった。
−−政権幹部が戦争にこだわった理由は。
◆ブッシュ大統領は中東地域を政治・経済的に変革したいと考えていたのだろう。また、チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官(当時)などは、超大国としての地位を維持するため、軍事力を使って米国の価値観を世界に広めたいと考えていたのではないだろうか。
−−開戦時、混乱を予想していたのか。
◆情報当局者は今の混乱に驚いていない。民族、宗派の対立の激化を予想していたからだ。一方、政策決定者にとってこの事態は予想外だった。彼らは、戦争を支持する少数の専門家による最も楽観的な見通しに頼っていたからだ。
−−混乱の原因は。
◆占領への準備が十分でなかったのは確かだ。でも、どれだけ周到に準備していたとしても、混乱回避は難しかっただろう。イラクでは、王制の一時期を除き、人々は自らの利益追求のため武力を使ってきた。それは文化になっており、彼らはそれ以外の方法を知らないのだ。
−−今後、イラクにどう対処すべきか。
◆米軍はすぐに撤退すべきだ。撤退後、状況がさらに悪化するという意見があるが、駐留を長引かせたところでそれは変わらない。(ワシントンで)
◇米軍拠点移し後方支援を−−アンソニー・ジニー氏、元米中東軍司令官
−−フセイン政権は脅威だったのか。
◆開戦前、我々は完全にサダム(フセイン元大統領)を封じ込めていた。イラク軍は崩壊寸前で何ら脅威ではなかった。
−−でも、ブッシュ大統領はイラク侵攻を決定した。
◆大統領やチェイニー副大統領が大量破壊兵器疑惑や(国際テロ組織)アルカイダとの関係を持ち出したとき、間違った戦争になると感じた。攻撃すべき根拠はなかった。米軍はアフガニスタンに集中すべきだった。
−−米国が戦争に突き進んだ理由は。
◆ブッシュ大統領は米同時多発テロ(01年9月11日)後、とても劇的なことをしなければならないと考えたのではないか。その彼を、ネオコン(新保守主義派)が利用した。ネオコンは、フセイン政権を倒せば、中東の状況をダイナミックに変えられると考えた。ばかげた論理だった。
−−開戦時、米軍内に戦争への反対は。
◆反対はできない。軍は政治の決定に従わねばならない。しかし、私が知る限り、多数の幹部は戦争を懸念していた。
−−理由は。
◆米軍にはイラクの戦争・占領で38万〜40万人の米兵を必要とする計画があった。しかし、ラムズフェルド国防長官(当時)はその計画を捨て、少数の兵士で戦うことにした。とても楽観的だった。
−−占領失敗の理由は。
◆米占領当局のブレマー文民統制官(当時)はイラク軍を解体し、政府系工場を閉鎖した。治安維持の能力がないところに、職を失った国民があふれ略奪が発生した。イラクは民族、宗派が複雑で周辺国との関係も難しい。占領当局者はそれも理解していなかった。
−−今後の対応は。
◆米軍は駐留拠点をクウェートなどに移し、イラク軍の訓練など後方支援に集中すべきだ。世界には米国を敵視する環境が生まれている。だから、我々は欧州諸国や日本などの協力を求め、イラクの産業など民間部門を育て、安定化に道筋をつけるべきだ。(バージニア州フォールズチャーチで)
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◆イラク戦争を巡る経緯◆
03・ 2 パウエル米国務長官が国連安保理でイラクが移動式生物兵器施設を保有すると主張
3 イラク戦争開戦
4 バグダッド陥落、フセイン政権崩壊
5 ブッシュ米大統領が大規模戦闘終結を宣言
12 フセイン・イラク元大統領拘束
04・11 ブッシュ大統領再選
05・12 ブッシュ大統領が大量破壊兵器情報の誤り認める
06・ 4 マリキ氏をイラク首相に指名
5 イラク正式政府発足
12 フセイン元大統領の死刑執行
07・ 1 ブッシュ大統領がイラク新政策で増派(計3万人)を決定
9 ブッシュ大統領が08年夏までの増派部隊撤収の方針を表明
08・ 4 ブッシュ大統領が増派部隊撤収後の追加削減に慎重姿勢を表明
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■ことば
◇大量破壊兵器疑惑
パウエル米国務長官(当時)は03年2月、国連安全保障理事会で、米国の情報当局が集めた衛星写真や電話の盗聴会話を基に、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を所持しているのは間違いないと主張した。国連の査察団は査察継続を要求したが、米政府は「差し迫った脅威」としイラク攻撃に理解を求めた。しかし、パウエル長官が提出した「証拠」はその後、アルコール依存症とされるイラク人の作り話と判明。米国調査団は04年10月、最終的に、「イラクに大量破壊兵器は存在しない」と報告した。
◇イラク封じ込め
開戦前までの米国のイラク政策。イラク軍のクウェート侵攻(90年)を機に、▽国連制裁▽国連による大量破壊兵器査察▽米英両国によるイラク南部と北部での飛行禁止空域設定−−が柱となっていた。
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■人物略歴
◇Paul R Pillar
米陸軍将校から77年、米中央情報局(CIA)入り。主に中東・南アジア情勢やテロ情報を担当。イラク開戦時は国家情報評議会(NIC)情報官。現在、米ジョージタウン大客員教授(安全保障問題)。
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■人物略歴
◇Anthony C Zinni
65年、米海兵隊入り。ベトナム戦争などを経験し97〜00年、中東軍司令官としてイラク空爆(98年)を指揮。退役後の01〜02年中東特使。現在、米デューク大客員教授(安全保障問題)。
毎日新聞 2008年4月29日 東京朝刊