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現代ではどなたにも想像出来ないことを、その昔体験し、今なお生きている老人がいる。
戦況も困難になってきたツルブ・マーカス岬戦。優勢な米軍を相手に、多くの死傷者を出しながらも健闘を続ける第65旅団将兵は、至って士気旺盛である。しかしながら「カ号作戦」の発動により、止むなくラバウルへ向けての転進は、上層部の想像もつかない苦闘の連続であった。
当初の携行食糧は、早くも底をついて腹は減ってくる。疲労困憊の体に鞭打ちながら、木の実を拾い、野草を食み、河の水を水筒に補給した。
雨季で増水した幾多の渡河時には、ラワンの大木を斧で数時間(時には数日)かけて切り倒して橋をかける。作業以外に魚を捕る者も。
マラリア患者が出てくるが、他の負担増になるため非情ではあるが置いてきぼりにせざるを得ない。その後どうなるのかは想像に難くないのだ。
河巾が広いと、折角数時間掛けて切り倒しても対岸に届かず、無情にも流れて行ってしまうこと数回。
河口に差し掛かると「うねり」が大きく、互いに肩を組みながら渡る。海岸に何時までもいると、敵艦とか敵機に発見されやすいので、再びジャングルの中へ。
足がもつれて倒れた大木を跨ぐのが辛い。時には跨ごうと思った大木が腐っていて崩れ、転倒することもあった。
隊列は次第に長くなってくる。途中河岸には水を飲もうとしたらしい膨れあがった友軍兵士の遺体、殆ど鉄帽、軍靴、衣服の一部のみとなった遺体などなど。
敵愾心は募る一方である。きたない話だが、大便は真っ白でべとっとしていた。
気ばかりあせるが、どうしようもない。毎晩ラワンの大木の根っこの間で戸伏大隊長と並んで寝た。大隊長も気晴らしにかフランス国歌を歌ったり、私に教えたりもした。
急流の深い河に転落して流され運良く助かったこともあった(既報)。
来る日も来る日もスコールと渡河。
衣類の乾く暇もない。
非情だが、またマラリア患者が数名で出る。
戦力が又減る。
濡れた地図を広げると漸く目的地に近いことを知る。一同に知らせると思わず歓喜の声があがり元気が出てきた。「もう直ぐだぞー!!」。 知らせる私の目から不覚にも涙が・・・・。
2ヶ月、600キロ余に及ぶ転進を達成したこの感激。迎えに来てくれた兵たちと抱き合って泣いた。腹ペコの髭男も明日からの対敵行動を忘れて・・・・。
戦友会でもこの話になると一同の目が輝いてくる。「経験した者でなけりゃ話しても判らんですよ」と。敗戦後60余年。復員後一回マラリアに罹ったが、なんとか生き永らえて、今日も「飽食」のテレビ画面を観ている。