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(回答先: チベットでの、CIAによる中国政権転覆工作は再び開始されたか―3月26日 Asia Times― 投稿者 DOMOTO 日時 2008 年 3 月 29 日 22:08:07)
ドミトリー・コスイリョフ、ロシア・ノーボスチ通信社、政治解説員。
http://jp.rian.ru/society/20080110/95986297.html
恐らく、この書類に関する問題で最も興味のあるのは、何故、そして、誰にとって、それが必要か?だろう。話は、著名な政治学者ナタリア・ナロチニツカヤ率いる「歴史見通し基金」により作成された「アメリカ及び欧州連合諸国の人権」と題する報告のことを指している。
なぜアメリカ国務省は、アメリカを除く、世界の国に人権評価を散布するこのような書類を毎年発行するのかは、理解できる。アメリカには、このような、アメリカ国家は、何らかの目的達成のために最初の一撃をくらわせる鈍器のような書類を持っている。最近から中国政府がアメリカの書類と殆ど日を違えずに同じような自国の書類を発行するようになった時、(その書類にはアメリカでの人権についてなによりも多く書かれているが)すぐにすべてが理解できた。中国は、第一に、アメリカばかりが人権評価を他国に散布する独占権は許せないことを、第二に、中国だってこのような書類を発行しても良いはずであり、そのことに対してどうこう言われる筋合いはないことを示したかった。
ナタリア・ナロチニツカヤが下院の議員であり下院の国際問題委員会の副議長であった時、ロシアも中国と同じ様な、ただし議会の路線に沿ってであり、政府の路線ではない、足跡を歩むことを決定したことは容易に想定できた。しかし、最近の下院選でナロチニツカヤは落選した。従い、彼女が作成した我々の前にある書類は、民間人物のグループが作成した単なる研究用の書類になってしまった。
このような状況故に、基金の書類は、極めて個人的な色彩の強い書類として認識せざるをえなくなったが、ロシアの国家機関にとっても、そして、国内外で何らかの政治的決定を下す立場の者にとっては非常に参考になる書類になっている。
報告の紹介はまだ公式的には行われてはいないが、それはすでに、例えば歴史見通し基金のサイトで読むことはできる。報告の最初の印象は、率直に言うと、効果的なものだ。報告書の著書は疑問を残していないということから始めよう。どの学生も、理論的には、これと全く同じ書類を作ることはできる。なぜなら、基金の専門家グループは情報源を忠実に引用しているだけだからである。アメリカ国務省、法務省あるいは統計局などのサイト、NPO「国際アムネスティー」そして「フリーダム・ハウス」のサイトから引用している。入手困難な情報や機密情報は何もない。すべての事実が利用可能なものばかりだ。
データを個々に見れば、皆がですでにどこか目に触れており、それも一度だけではなく何度も目に触れているように思われる完全に開放されたデータばかりで印象度も薄いが、基金によって「報告書」という形でまとめられると印象が非常に強くなる。しかも、印象度の高いのは、報告書が開かれるその項目、すなわち、闘争やテロリズムに関連する人権の制限、などの項目ではない。このような項目は、例えば、イラクのアブ-グレイブ刑務所での拷問や裁判や審理に掛けずにグアンタナモ基地に容疑者を連れて来るCIAの「空飛ぶ刑務所」、そして、ヨーロッパ諸国がこの際トランジットの役目を果たしている、など、すべてすでに知られている。このことについては他の文献でも非常に多く書かれている。
興味があるのは別の項目だ。例えば、レソトとスワジランドと並んでアメリカは女性が育児休暇を取る権利を保証していない。あるいは、アメリカ領土で、外国国家あるいは外国市民がロビー活動をする場合、アメリカ政府は彼らの活動について情報に接することができる法律があること、などである。
報告からはっきり判ることは、現在の世界で最も緊迫した問題は、グローバル化の時代にあって避けられない人々の移民の問題だ。アメリカでもヨーロッパでも、移民者は、合法的かどうかは関係なく、大量のそして露骨な人権侵害が発生している。どうやら、彼らの持つ文明は、外国人の場合、労働力の押し寄せに対して何をしてよいのか理解できず、人権とは自国市民の場合だけのためだけに存在するかのようだ。ここには、アメリカやドイツ、フランスでの警察の残酷さあるいは司法の横暴の根本的な原因が隠れている。このような事例は報告書の中でも枚挙にいとまがない。
この諸外国についてのこの書類がなぜロシアに必要なのかという話に戻ろう。
問題は、ここには当初からの矛盾が根底にあることだ。基金の報告書自身が、ある国に関して、その国で人権が守られているかどうかにより自国の外交政策を根拠づけることは、ただ単に崩壊的であるだけでなく、国を壊滅にもたらすことになることを確信を持って示している。なぜなら、このような政策は結果的に、「人権」という言葉自身が良い場合でシニカルな薄ら笑い、悪い場合は、強力な拒否反応になり、それは、我々が国際政治で毎日見ていることである。一度こうなると、論理的結論を出す必要が出てくる。ロシアは、他人の間違いと愚かさを教訓に、パートナー国の国内の人権遵守の原理にもとづいてロシアの外交政策を決めることは決してしないことを宣言すべきだ。実を言うと、今回の基金の報告のような書類を作成し公表すべきでない。
しかし、ロシアは、まったくそのように行動していない。少なくとも、ロシア国外での民族ロシア人の人権についてはである。自国の外交をこの問題に非常に結びつけてすらいる。
基金の報告書は、しかしながら、他国に関する国家機関により公表された判断としてではなく、賢い研究書類として興味があり有益である。この書類が触れているのは全世界についてではなく、世界の文明のうちひとつだけであることを指摘したい。この意味において特に貴重なのは、ナタリア・ナロチニツカヤの序論の部分である。彼女は、人権の概念が、アメリカやヨーロッパの文明においていかに共通の宗教をこっそりすりかえて、反駁を許さないイデオロギーになった異常な現象を研究している。しかも、これは比較的最近起こった。見て欲しい、20年前、極端にイデオロギー的組織、ヨーロッパ連合は、かなり論外の(全く判らない)組織のままだった。そして最近になって、その組織は、他に囲まれて、国際法を崩壊(つまり、民族間関係の権利の崩壊)と、その根底が「世界市民」の反宗教的文化、なんだか新しいトロキストのメシア信仰(救世主思想)を設定する課題を設定しようと試みた。
ロシアの書類には、同時にグローバル化は西側社会で人種差別と外国人排他主義を生み、矛盾を発生させていることも報告している。人権は、国内では使われ方が弱い対外的作用の道具のようだ。
言い換えれば、この矛盾により引き裂かれる情報源から出て来る判断を従順に受け入れるのではなく、この権利擁護の侵略の中のどこにエゴとシニカルな部分があり、そして合理的な根源があるのか冷静に理解すべきなのだ。我々には、我々が自分のあらゆる利益を保証する棍棒としての新しい「人権擁護」宗教は必要ない。しかし、我々にとって、世界には人権の問題へのどのようなアプローチが存在するのか、どのような法律や規準が存在するのか、ロシアにとって他人から何を学ぶか、そして何に対して礼儀正しい障壁を設定するか、を判別することが重要なのだ。