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東京大空襲と陸軍記念日
田中良太2008/03/10
1945年3月10日の米軍による東京大空襲は、陸軍記念日を狙った「降伏勧告」だった。日本の戦争指導者が決断できない間に沖縄の全滅、広島・長崎への原爆攻撃を招き、100万の人命を無駄に失った。私たちは戦争指導者の被害者であって、加害者ではない。アジアの人たちとは、同じ被害者として連帯すればよいのだ。
目 次
(P.1)陸軍記念日を狙った東京大空襲
http://www.news.janjan.jp/column/0803/0803072244/1.php
(P.2)似ている「加害責任」論と「1億総懺悔」論
http://www.news.janjan.jp/column/0803/0803072244/2.php
◆陸軍記念日を狙った東京大空襲
3月10日は63回目の東京大空襲の記念日である。以前、東京大空襲を記録する運動に携わっている人たちと話していたとき、彼(女)らが、3月10日は陸軍記念日だったという事実を知らなかったことにショックを受けた。私の方から「それでは東京大空襲の意味がわからないでしょう」と言って、議論になった。
東京大空襲はすさまじい焦土作戦だった。早乙女勝元著「東京大空襲」(1971年、岩波新書)によると、1945年3月10日、サイパン、グアム、テニアンなどから飛来した最新鋭爆撃機B29が334機も東京を襲った。午前0時8分から2時27分までの間に焼夷弾4万8,194発(総重量約2,000トン)を落とした。
死者8万8,793人、負傷者4万0,918人、被災者100万8,005人、焼失した家屋26万7,171軒、全半壊の家屋を入れると家屋の損壊は26万8,358軒にのぼった。当時の浅草、深川、本所、城東4区はほとんど全滅状態だったという。
早乙女氏は1932年生まれで私より10歳年上だから、この日が陸軍記念日であることを知らないはずはない。しかし「東京大空襲」にそのことは出て来ない。陸軍記念日であったことを忘れた東京大空襲論議が多いのは、この本の影響かもしれない。
1945年に入った段階で、米国・日本戦の勝敗の帰趨はあまりにも鮮明だった。前年の44年6月19日、マリアナ沖海戦で敗れた日本海軍は、空母・航空機の大半を失った。そしてテニヤン(44年8月3日、守備隊8,000人玉砕)グアム(同10日、守備隊1万8,000人玉砕)など、太平洋の島々が米軍に占拠された。さらに10月24日のレイテ沖海戦では、連合艦隊の無謀な突入作戦が失敗、武蔵、瑞鶴など主力戦艦・空母を失った。12月19日には大本営がフィリピン・レイテ島での地上決戦を放棄した。
制空権、制海権は完全に米軍に握られ、陸上部隊も含めた日本軍に戦闘能力など残っていなかったのである。
当時の日本は「陸軍政権」だった。首相兼陸相だけなく陸軍参謀総長も兼務した東條英機は前年の44年7月18日に退陣を余儀なくされた。しかし後継首相は陸軍大将の小磯国昭で、陸軍支配は続いていた。
米軍は陸軍記念日を選んで、東京を焦土にする「大空襲」を敢行したのである。日本国民に対して、というより明治憲法で主権者とされていた天皇に対して、あるいは天皇側近の重臣たちに対して、
<日本の軍隊にはすでに戦闘能力など残っていないのです。陸軍記念日という最も大切な日に、最も大切な場所、帝都・東京を守ることさえできないのです。その証拠をお見せするため、陸軍にとって最も大切なこの日、ここを焼き尽くす攻撃をやるのです>というメッセージを発したはずだ。
この時点で目的が「戦争の早期終結」だったことは間違いあるまい。「無差別殺人の残虐行為」ではあったにしても、「戦争の論理」には従っているのである。
◆似ている「加害責任」論と「1億総懺悔」論
当時の日本は「理性を失った国家」だった。東京大空襲後、4月1日には米軍が沖縄本島に上陸し、沖縄地上戦の全面展開となった。6月23日に沖縄守備軍全滅。戦死9万人、非戦闘員死者10万人!
4月5日には小磯内閣が総辞職し、2日後に鈴木貫太郎内閣が成立した。鈴木は海軍大将から侍従長に転じた人物で、その使命は誰が考えても終戦だった。5月7日に同盟国ドイツが無条件降伏したのに、6月8日には、昭和天皇臨席の最高戦争指導会議で「本土決戦」方針が決まる。「B29に竹ヤリ」で戦うというのである。
6月下旬以降は、マリアナ、硫黄島、沖縄などからの米軍爆撃機がひっきりなしに飛来し、地方中小都市や鉄道網を襲った。その延長線上にヒロシマ・ナガサキの被爆があった。
米国は原爆投下も含めて「戦争の早期終結が目的だった」と正当化する。しかし目的が正しいからといって、一般市民を無差別に殺戮することが許されるはずはない。東京大空襲・原爆投下など非人道的行為は非難されるべきだ。
しかし戦争の論理を無視して、兵や一般国民の命を紙くずのように捨てていた日本の戦争指導者に対しては、米軍以上の憎しみをぶつけるべきだろう。米軍の「勧告」どおり東京大空襲で敗戦を決断していたら100万人近くの人命が救われたのである。
「戦後50年」だったころ、「日本の加害責任論」が流行った。「大日本帝国」は加害者だった。しかし、その反省の上に立って現行憲法で再出発した「日本国」は、国際平和を希求する新たな国なのだと整理する必要があったのではないか? 論理性を放棄した「加害責任論」は、敗戦直後の「1億総懺悔」論とあまり変わらない。
職業軍人と縁のない私たちは、非理性的な戦争指導者の被害者ではあっても、加害者ではない。アジアの人たちとは、同じ被害者として連帯すればいいのである。
「日本人」をひとまとめにする論議はたいてい怪しげだ。日本人は単なる属性の一つで、一人ひとりの個人はほかに多くの属性を持っている。例えば春闘なら、経営者と労働者に分かれる。そういう区別をしないで「日本人は……」という言い方のときは、「まず疑え」であろう。