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米内光政・・・この元海軍大臣はある意味、対米戦争を誘導したにも関わらず、GHQから呼び出しすら掛かりませんでした。
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投稿者 TORA 日時 2008 年 3 月 16 日 11:16:44: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu164.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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米内光政・・・この元海軍大臣はある意味、対米戦争を誘導した
にも関わらず、GHQから呼び出しすら掛かりませんでした。

2008年3月16日 日曜日

◆戦前から日本に潜在する「敗戦革命」という名前の猛毒。 2007年9月21日 目を覚まして日本人
http://blogs.yahoo.co.jp/keinoheart/36333129.html

 こんばんは!
(* ^ー゚)ノ-☆

 いきなりですけど・・・皆さんは・・・「敗戦革命」 という言葉を聞いたことはありますか?

 この言葉を理解することは、保守派にとっては必須条件と言ってもよいぐらい、絶対に重要なことなので、ぜひ、覚えておいて頂きたいと思います。

 この「敗戦革命」とは・・・旧ソ連の生みの親であるレーニンが編み出した理論と言われています。彼が母国のロシア帝国で成功させた共産主義革命をモデルとした革命思想のことです。

 この思想の概要は・・・
1)帝国主義国家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。
2)戦争当事国を疲弊させ、戦争による不満を充満させ、国家元首と国民を離間させる。
3)敗戦国はモラルも一気に低下し、国家元首が窮地に立たされる事で、追い落としが可能となる。
4)共産主義による新たな希望を持たせる宣伝活動と、謀略、時には暴力をもって国家元首を追い落とし、新たな共産主義国家を建国する。

 おおよそ、このような感じです。これをレーニンの母国に当てはめると・・・

1)日露戦争のきっかけは謀略とは言えないようですが、結果として日露戦争は彼の思惑通りに進行します。
2)ロシア帝国は戦争で疲弊し「血の日曜日事件」を起こしてしまい、国民も皇帝もお互いに疑心暗鬼に陥ります。
3)日露戦争の敗北以降ロシアは国内体制のたがが緩み、第一次大戦の戦況が思わしくなくなると皇帝一家も処刑されてしまいます。
4)共産主義の理想が国民を酔わせ、3度の臨時政府も躓づいて政情不安に陥ります。
  これは不思議とソ連が出来るまで続きました。

 この革命思想はレーニンの実体験によるものですから、かなりリアルに世界中の革命思想家に影響を与えたと言っても良いでしょうね。

 現実の世界では、日本の敗戦はアメリカ軍の占領によってなされたので、敗戦革命は目的の半分までしか成功しませんでした。しかし、ソ連にとっては、日本が戦争を起こしたお陰で、アメリカを戦場に引ずり出し、支那大陸も結果として中共の手に落ちたので成功なのです。

 さて、この革命思想は実は戦前の日本にも入り込んでいたことを皆さんはご存知でしょうか?

(´-ω-`;)ゞポリポリ

 こう言うと・・・

「えっ?まさかぁー、天皇陛下万歳と教えられた軍国日本が、」
「そんなことある訳、ないじゃぁ〜ん」 ┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ 

 ・・・って、言われそうですけど、もし貴方もそう思っていたとしたら、それは大間違いです。現実には、当時の日本では、民主主義がかなり進行していたので、受け入れられてしまっていたのです。

 モダンな先端思想として、特に日本の上流階級を中心に取り込まれていました。 ただ、天皇家に対する忠誠心は国家の義務とする風潮があったので、誰もが公言できるような雰囲気に無かっただけです。

((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 逆に、今の時代のように、浅間山荘事件や成田空港闘争を見せ付けられた国民にとっては、共産主義の過激な思想を体感し、ソ連や北朝鮮の杜撰な国家体制を目撃した後なので、共産党のシンパも一定数以上には増えず、一歩身を引いて考える事ができますけど・・・

 当時は、まだ出来たばかりの新しいソビエト連邦は、それこそ・・・光り輝く理想の国家・・・に見えたものなのです。

 その光り輝く理想国家に見えるソ連式の共産主義思想をそのまま受け入れ、身も心も共産主義に囚われた・・・『左翼』と

 天皇陛下を頂いたまま共産主義革命(国家社会主義体制)を起こそうという、奇妙な理想を掲げた・・・『右翼』と

 当時の日本で、社会変革を望む連中は、結局は同じ穴の狢だったということなのです。

(;;´Д`)ノ はうぅ〜・・・

 では、なぜ受け入れられるような土壌が日本で育まれたのか?

 それは・・・当時、戦前の日本では、伸びていたと言っても、まだまだ国家の工業力が発展途上であったのに、台湾、朝鮮、南洋、後には満洲、等々の経営も背負っていたので、負担が重過ぎました。

ε-(;-ω-`A) フゥ…

 日本は 『いわゆる植民地』 から搾取するようなことをせず、国内の投資よりも外地への投資が優先されてしまい、東北地方の飢饉などが発生しても十分な対策が取れませんでした。

 そういう国内の背景があり、さらには海外からの人種差別的な不公平な圧力もあって、日本には社会全体にとっても息苦しい閉塞感が生まれてしまったのです。

ヽ(;´Д`)ノ クッ苦シィ・・・

 その打開策として、共産主義革命や国家社会主義体制は魅力的に写ったということです。

 そういった流れの中で5・15事件や2・26事件などの若手の軍人による決起があり、2・26事件などでは、昭和の天皇陛下を廃し、陛下の弟君である秩父宮殿下を擁立する考えを持った者もいたりしたのです。

(;゙゚’ω゚’)うわああああああ

 革命の名称こそ語られませんでしたが、日本の閉塞状況を打開するには・・・「日本こそ敗戦革命が必要だ!」 ヽ(`д´;)/

 と、考える人間が少なからず、戦前には居たのです。

 さらにたちが悪いことに、軍部の官僚エリートの中にもかなり浸透していました。

 現代の保守派の人には、とても信じられないことかも知れませんけど、紛れもなく、戦前の日本には・・・裏切り者、売国奴が国家の中枢にいた!という事です。

 悲しく、怒りを強く感じることですけど・・・

(*´Д`)=3ハァ・・・

 戦前はエリート将校の全てが一生懸命に戦ったのではありません。愚かな売国奴や小役人の官僚軍人が日本を敗戦に導いた部分がかなりあるのです。どんなに庶民の兵隊が勇敢であったとしても、エリート将校のミスが多ければ戦争は負けます。

 ましてや、わざと負けるように仕組んだアホがいたとすれば、それは負けて当たり前です。逆に私達はそういう奴は、絶対に戦犯として追求するべきだと思うのです。

 GHQはそういう日本を敗戦に導いた・・・米軍にとっての功労者は、わざと追求しませんでした。そういう売国奴の多くは、戦後ものうのうと生き延びたのです。

ウリャァ!! (ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。・

 終戦直後、陸軍大将の阿南惟幾さんが、切腹をする前に部下に語った言葉があります。

「米内を斬れ!!」 (#`Д´)o/ 

 米内光政・・・この元海軍大臣はある意味、対米戦争を誘導したにも関わらず、GHQから呼び出しすら掛かりませんでした。

 現在では、彼は戦争に反対していた 『平和主義者』 というありがたいレッテルを貼ってもらっていて、それ以上に追求される気配さえありません。

 その米内光政は、なんと久間防衛省長官もビックリするような・・・こんな言葉を吐いています。

「原爆やソ連の参戦は天佑だった!」
( ̄ー ̄)ニヤリ

 因みに・・・米内は大正4年(1915年)にロシア出張をし、ロシア語も堪能で、19世紀の進歩的詩人プーシキンを愛読したりもしています。

 現代の日本を知るには、過去の真実を知る必要があります。まだまだ日本は、先の大戦を敗戦に追い込んだ・・・いえ、『敗戦革命』に追い込んだ本当の戦犯を裁けない国なのです。

(つД`)グスン 


◆プーチニズムの闇 2006年12月4日 ロシアが気になる
http://amihappy.exblog.jp/4295802/

「KGBのシステム、そしてソ連国家に将来はないと思った。」
プーチン大統領の発言である(2000年3月)。KGB要員として東独駐在中に起きたベルリンの壁崩壊を回想してそう語った。

大統領は少年時代、ソ連の工作員が活躍する映画を見たのがきっかけで、工作員を志した。レニングラード大学にやってきたKGBの勧誘員が、「スパイ生活の喜び」を語ったことに感激し、すぐ応募したそうだ。
KGB入りしたプーチン氏は、そこの「科学と技術」部門に属し、のち東独ドレスデンにあったKGB技術センターの一員となった。シュタージ(東独の秘密警察)と協力して西独市民になりすまし、西独企業から最新技術を盗む東独スパイを養成する仕事やドイツ経済の分析・研究などをしていたという。そして、この東独駐在時に共産主義に見切りをつけたプーチン氏は、ソ連崩壊後KGBを退職、出身地サンクトペテルブルク市の副市長になり、外資導入による経済発展を目指し目覚しい成果を挙げた。その時つけられたあだ名が「灰色の枢機卿」。何となく不気味さ?が漂うイメージだ。(後略)


(私のコメント)
昨日書いたようにソ連の崩壊はKGBや軍部のエリートたちによる内部からの自発的崩壊であり、そうでなければエリティンなどはいつでも踏み潰せた。そしてプーチン大統領の経歴を見ればわかるようにKGB主導のロシアの復活が起きた。ロシアは政治改革を先に行なってドイツなどの外国資本を導入する事によって経済を立て直そうとしている。

中国は共産党体制はそのままにして外資の導入を図って経済を発展させましたが、経済が拡大すればするほど政治との軋轢が生まれてきて、ソ連崩壊以上の混乱が起きてしまうだろう。本来ならば経済の発展と共に政治も自由化させていくべきなのですが天安門事件でUターンしてしまった。

チベットで大規模な暴動が起きているようですが、各地にも飛び火して最終的には力で抑えきるか、共産党青年団のようなエリート集団が自発的内部崩壊で政治改革を行う事になるだろう。しかし共産党幹部が経済の実権を握っているから簡単には利権を手放すはずもなく、血で血を洗う文化大革命以上の犠牲を出すかもしれない。

戦前の日本も軍部独裁政治が行き詰まり、経済も疲弊して立ち行かなくなり大改革が必要になった。しかし日本にはKGBのようなエリート集団がなく、内部から改革を行う事は不可能に近かった。朝鮮や台湾や満州などの開発は日本には荷が重過ぎることであり日本国内が疲弊してしまった。

しかし植民地を手放したり、中国から撤退したり、大軍縮を行う事は改革を行なう主体がない以上は「敗戦革命」という手段で革命を起こそうというグループが出来てもおかしくはない。「敗戦革命」というのはレーニンが生み出した共産主義革命理論なのですが、当時としては新鮮な思想であり、当時の近衛文麿たちの下に革命を目指すグループが出来たのだろう。

近衛自身が共産主義者であったかはわからないが尾崎秀美などの共産主義者がグループに入り込み「敗戦革命」に突入して行ったのかも知れない。その中に米内光政を中心とする海軍左派も加わったとすれば、日本が戦争に突入していった動機がはっきりする。なぜ敗戦がわかっている戦争に突入したかが一番の謎ですが「敗戦革命」が目的だったとすればすっきりする。

「株式日記」でも以前に書きましたが、日中戦争の拡大には米内光政が一番の責任があり、当時の陸軍は不拡大方針だった。日米戦争の口火を切ったのも海軍であり、なぜアメリカが参戦してくるかを見極めなかったのだろうか? 海軍部内に「敗戦革命」を目指すグル−プがあったのだ。


◆『日本は勝てる戦争になぜ負けたのか』 新野哲也(著) 真珠湾攻撃について、永野とルーズベルトのあいだに、密約があった? 2007年8月13日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/38e0cbfb6224a8c9c77880eff395a08d

海軍首脳は、ある時期から、いっせいに、対米非戦派から主戦派へ転向している。日米開戦の功労で元帥になった永野修身、山本五十六を連合艦隊司令長官に任命して真珠湾攻撃のプランを練らせた米内光政海相、東条内閣で海相に就任した鳴田繁太郎、真珠湾攻撃の計画が中止なら、辞表を書くと息巻いた山本五十六ら、海軍の英米派が一丸となって真珠湾にむかっていくすがたは、異様である。

ソ連型の敗戦革命は、北進論の放棄と支那戦線の拡大が両輪だった。対ソ戦のみちを封じたうえで、日支を消耗戦にひきこみ、共倒れになったところで、「敗戦から内乱」のセオリーにしたがって、陸軍の一部と革新官僚が、革命軍・ソ連を迎え入れるという筋書きである。

これを、海軍にあてはめると、西方戦略の放棄が、北進論の放棄にあたり、支那戦線の消耗戦が、真珠湾攻撃から南太平洋海戦にいたる海軍の不可解なたたかいに該当する。ちがうのは、敗れた日本を支配するのが、ソ連ではなく、アメリカということだけである。


◆三村文男(著)『米内光政と山本五十六は愚将だった』近衛、広田、杉山は死刑で、米内が無罪はおかしい。 2005年4月29日 株式日記
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu93.htm

近衛声明を推進した主役の四相のうち、近衛、広田、杉山は、東京裁判による追及と断罪で非業の最期をとげた。ひとり米内のみ訴追を免かれ、戦後の生を全うした。のみならず昭和天皇の厚遇に浴し、それによって今も「一等大将」とか、「昭和最高の海軍大将」といった阿諌に事欠かない。しかし東京裁判史観によってでなく、われらの祖国日本の歴史の上で彼等の残した足跡は、功罪ともに正しく評価されねばならないのではないか。ことに近衛声明に於ける米内の責任は、他の三者の比ではない。その罪万死に値すといっても過言ではあるまい。


(私のコメント)
このような「敗戦革命」の結果、日本はアメリカの半永久的植民地となり、日本国民はGHQの洗脳工作によって思考能力を奪われてしまった。司馬遼太郎や阿川弘之といった洗脳工作員は小説といった手段で見事に米内光政や山本五十六を戦争に反対した平和主義者のごとく評され、現代においても半籐一利氏などの小説家がNHKなどを通じて洗脳が覚めない様に活動している。

日中戦争の経緯や東京裁判の経緯などを詳細に分析すれば、米内光政の戦争責任は回避できないものであり、日中戦争に反対したのは陸軍参謀本部の石原少将や多田中将たちであり、戦争をすれば負けることを一番知っていたのが陸軍であった。終戦時の陸軍大臣の阿南大将が「米内を切れ」という言葉を残したのも、日本を「敗戦革命」に導いた一番の首謀者が米内光政だったからなのだ。


『日本軍のインテリジェンス』 小谷賢:著 日本は独ソ戦勃発の情報を事前に得ていながら時間を浪費し、既定路線の南進策を選択
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/246.html


1908年にローズヴェルトはグレイト・ホワイト・フリート艦隊派遣の発表
に全世界は驚愕。フランスでは日米開戦必至と見て日本国債が暴落。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/239.html


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