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伊元大統領「ゲダフィ暗殺計画、仏が伊民間機を撃墜」(Megachip)
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投稿者 kamenoko 日時 2008 年 2 月 28 日 23:14:29: pabqsWuV.mDlg
 

伊元大統領「ゲダフィ暗殺計画、仏が伊民間機を撃墜」(Megachip)

コッシーガ伊元大統領がまた爆弾発言。

80年に起きた”ウシータ事件’伊民間機墜落事故は、ゲダフィ暗殺を目論む
フランス軍機に撃墜された とテレビで。

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事件のあらまし

  Ustica事件というのは、イタリアの未解決事件のひとつである。イタリアには、
マフィアがらみであったり、秘密結社が絡んでいたり、右翼や左翼のテロ事件に
秘密警察が絡んでいるっていう事件が一杯あって、未だに真実が分からない
事例が山のようにある。これを総称して、I misteri d'Italiaという。
そのマンマのサイトもあったりする。
 http://www.misteriditalia.it/

 さて、Usticaとはどんな事件であったのか? 様々な本や映画にもなっており、
その全体像を明確に書くには、このブログでは無理なんで、大雑把に概要だけを
記しておく。

 1980年6月27日、20時08分。乗客と搭乗員合計81名(内子供が13人)を乗せた
Itavia社のDC9が、2時間遅れでボローニャを飛び立ち、パレルモへ向かった。
 21時04分、パレルモへの着陸態勢に入るようにローマの管制塔が通信を試みるが、
繋がらず、レーダーから機影が消える。
 あちこちから救援のためのヘリコプターが飛び立つが、翌朝になって、旅客機の
残骸がUsticaの近くで発見された。墜落した場所は、水深3000メートル。回収
された遺体は、わずかに38体だった。

 その後事故原因の究明が始まるのだが、可能性としてあったのは、空中衝突、
機体の破損、爆弾、そしてミサイルによる攻撃だった。
 何故か、イタリア空軍は、この事故究明に積極的でなく、空軍が持っていた
通信記録などがなかなか出てこない。
 どうやらその裏には、同じ時刻に、リビアの戦闘機がイタリアの領空を侵犯して、
空軍が攻撃に出ていたらしいのだ。
 そして、2時間遅れで飛んでいたこの旅客機を、誤ってミサイルで撃墜して
しまったのではないかという可能性が出てきた。
 1987年と1991年に、深海3700メートルから、旅客機の残骸が引き上げられ、
ほぼ96%を回収し、それを復元。一体何があったのか? その原因が究明され
始める。
 イタリア語版のwikipediaに概要が出ているが、あまりにも中立的だ。
 http://it.wikipedia.org/wiki/Strage_di_Ustica

 この過程で、空軍は、原因究明を妨害するような行動を行い、国家に対する
不利益をもたらしたとして、空軍の将軍たちが、裁判にかけられるのだが、
今回の判決は、現行法では、裁く事が出来ないとして、無罪判決となっている。

ブログ 「oggi come oggi 日々の出来事」
”真実は闇に葬られる”(2007年1月11日)より引用させていただきました。
http://tady.seesaa.net/archives/20070111-1.html

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以下、表題の記事訳出

 コッシーガ「ウシータの悲劇を起こしたのはフランス人」
                    byCarlo Lania 初出’Il Manifesto’

「私が共和国大統領だった時期に、我々の情報機関から告げられた。ウシータの
悲劇を起こしたのはフランス人だったと」。 DC9 Itavia機の墜落から28年後、
1980年6月20日夜に乗客乗員81人の命を奪った悲劇の断片を埋めることを唐突に
決心したフランチェスコ・コッシーガの発言だ。 昨日SkyTG24(スカイ局の
ニュース番組)でインタビューに答えたコッシーガは、パリに責任があるとの
疑惑を知ったのはSISMI(*伊情報・軍事保安庁)からで、当時のクラクシ内閣
大統領府政務次官ジュリアーノ・アマートにも報告されているはずだと述べた。

もしその状況が確認されたら、そのリークは85年から87年の間であったといえる。
「私が大統領の時期にアマート政務次官と私に、海軍機から弾着でなくresonance(*?)
ミサイルを撃ったのはフランス人だったとの報告を情報機関から受けた。

もし弾着だったら民間機の破片も残らなかっただろうだろう」。 
コッシーガ元大統領がフランスに言及するのはこれが初めてではない。昨年1月
にもラジオ・バオバブの番組で類似の発言をしているが、ここではSISMIと
Santovito将軍(77年〜81年まで諜報局を率いた)に関する言及はなかった。
「説はこうだ。フランス人はゲダフィの乗った飛行機が去ったことを知っていた。
情報を得たSantovito将軍のSISMIはそれを離陸直後のゲダフィに伝え、引き返した
ゲダフィは助かった、これは事実だ。 それを知ったフランス人は、逆方向からの
イタリア(民間)機を見るとレーダーに映らないよう後方に隠れた」コッシーガ。

コッシーガの発言についてアマート内務省側からのコメントは出ていない。
しかし元共和国大統領の主張は、長きに渡ってウシータの空で何が起きたのかを
探し続けていた者たちの関心を強く引くものだった。 「コッシーガの結論は、
私の捜査で得たものと一致する」 公的捜査を担当したロザリオ・プリオーリ
予審判事は語る。「情報源が私のものとは違うとはいえ、彼の情報は信じるに
値する。 私はその軍用機の国籍を明かすことはできない、米もしくは仏といった
言い方であれ」。 プリオーリは捜査の過程で米国にも赴いている。「NATOに
よればあの晩は空には空母が存在する可能性もあるほどの激しい動きがあったと
いう。 可能性はそう多くない。クレマンソー、しかしフランスはトゥールーズに
いたと主張する。あるいはナポリの米サラトガか」。
SISMIがゲダフィに警戒態勢をとらせたとの説も説得力がある。 「SISMI内部で
Santovitoの親アラブ派と親イスラエル派の不一致があったとの説は、捜査の始め
から流れていた」とプリオーリは断言する。

遺族の弁護士をつとめるアレッサンドロ・ガンベリーニも、コッシーガの発言を
過小評価していない点では一致している。 「あの晩マルタ上空まで到達して
引き返した飛行機があったことは知られている。 フランスは司法共助依頼に
完全な形で回答しなかった唯一の国ということもあり、コッシーガの情報は
精査すべきでしょう」。 遺族会会長をつとめるダリア・ボンフィエッティは
コッシーガの発言に「愕然とした」という。 「将軍たちが起訴された重罪院の
審問を受けた時のコッシーガはひとことも話さなかったのに、今さら。
OK。彼の発言の重要性は、政府が腰を上げて事実か嘘かの調査をするかどうかで
わかると思うわ。

 =終わり=

http://www.megachip.info/modules.php?name=Sections&op=viewarticle&artid=6054

* SISMI 日本語wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/SISMI

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