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チェ・ゲバラと「反革命思想」
(チェ・ゲバラ)
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チェ・ゲバラと「反革命思想」。
というタイトルを見て「また無知無教養な喜八が勘違いしているな」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
そうではありません。
「ゲバラは『革命思想家』だが、喜八は『反革命思想』の持ち主である」という意味のタイトルです。
チェ・ゲバラ(1928-1967)。
言わずと知れた「キューバ革命の闘士」であり「民衆の英雄」です。
このごろはチェ・ゲバラ人気がすっかり復活しました。
若きゲバラの姿を描いた映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』のヒット。かつての世界的ベストセラー『ゲバラ日記』の復刊。ゲバラTシャツなども流行っているようです。
かくのごとき「ゲバラ人気復活」は中南米諸国の現状に依っているのでしょうね。
アメリカ合州国(金融資本)は自らの「裏庭」とみなす中南米各地で、近年あからさまな「弱肉強食・ぼったくり」経済政策を展開してきました。
開発がなかなか進まずビンボー状態が続く中南米の国々に「アメリカ式の経済政策を導入すれば、おたくの国も豊かになれますよ」と甘言をささやき、米国人エコノミストを現地派遣して、「カイカク」を指導した。
日本でもすっかりお馴染みとなった「規制緩和」「自由化」「民営化」の掛け声も勇ましく、大々的に米国式「カイカク」政策を推し進めた。
その結果はどうなったか?
たしかに一部の貪欲《どんよく》で冷酷な(おそらくは良心を欠いた)者たちには大儲けの機会を提供した。
彼ら彼女らにしてみれば「米国式『カイカク』大マンセー!」といったところでしょう。
しかし、それ以外の多くの人たち、一般の労働者は生活の安定も仕事の安定も失ってしまったのです。
国民のあいだに経済格差が広がり、さらには世代を超えて格差が固定化し、今日のメシすら覚束ない極貧層が激増した。
となれば「アメリカ式『カイカク』などロクなものではない!」と憤《いきどお》る人々が激増するのも当然であります。
その結果、南米には左派政権が続々と誕生しているのですね。
「ならば『サヨク』の喜八はさぞ嬉しかろう」なんて穿《うが》ったことを仰る方もいらっしゃるかもしれませんが・・・。
それも違います(笑)。
私は「サヨク(左翼)」ではありません。
「いまのところ代替するものがない」という、ごくプラグマティックな理由で市場経済を支持するバリバリの(?)資本主義者であります。
自慢するわけではありませんが、「資本主義を制限なしにスクスクと育て上げるのは弊害が多すぎる」という常識をわきまえている資本主義者でもあります。
こんなことは「常識中の常識」と言っていいでしょうが・・・。
そんな「常識中の常識」を敢然と無視して、あるいは気がつかないフリをして、自らの貪欲を正当化しようとする者たちは確かに存在します。
いわゆる「新自由主義者」と呼ばれるような人たちです。
しかし、彼ら彼女らには「主義」とか「思想」の名に値するものなんてないでしょうね。
「新自由主義」と呼ばれるものの本質は「抑制が効かなくなった、限度のない『貪欲』」「実も蓋もないあからさまな『自己中心性』」だと私は考えています。
思わず力が入って、話題がそれました・・・。
チェ・ゲバラに話を戻しますと、ゲバラ・ファンがすべて「サヨク(左翼)」かというと、そんなことはありませんね。
たとえば、麻生太郎さん。
自民党の「大物議員」である麻生太郎さんが自らの事務所の壁に飾ったゲバラ・ポスターの前でにこやかに微笑んでいる写真を、つい最近見たことがあります(参考ページ)。
「国民新党」代表代行の亀井静香さんの「オレが尊敬するのは、大塩平八郎とチェ・ゲバラだ!」という発言はこれまで何度か(活字媒体で)目にしています。
「喜八ログ」で全力応援している城内実さん(拓殖大学客員教授・前衆議院議員)も自らのブログの「真正保守主義とは」というエントリで以下のように書かれています。
私はキューバ革命の闘志チェ・ゲバラのことを良く知らないが、いろいろ事情があったにせよ、権力を握ったカストロとたもとを分かち高位高官の道を蹴って敢えて人民のために下野したのは評価できると思う。資本主義勢力と戦って散った根性はあっぱれだ。どこか日本のサムライ精神に似ているような感じがしてならない。
こうして見るとゲバラ・ファンには「右」も「左」も関係ないようです。
ここで「カミングアウト」をいたしますと、小学校6年生のころの私(喜八)のアイドルは「チェ・ゲバラ」でした。
「国語」の授業中「愛読書は何ですか?」と先生から訊かれ、誇らしい気持ちで「『ゲバラ日記』!」と答えたことを思い出します。
都会の小学校ならともかく、なにしろ田舎ですから『ゲバラ日記』を愛読書に挙げる生徒も私1人しかいなくて、結構な優越感があったことも覚えています(嫌な子供ですね)。
小学校6年当時の私からは、圧制に苦しんでいる民衆を解放したチェ・ゲバラの生き方は最高に格好いいように思えたのです。
というわけで、小学6年の喜八少年は「革命思想」に燃えていたと言ってよいと思います。
しかし、幼き「革命思想」は1年後には無残に打ち砕かれる運命にありました・・・。
1972年、「連合赤軍」による「あさま山荘事件」が発生。
その後、12名もの「同志」を「内ゲバ」により虐殺した「連合赤軍リンチ事件」の全貌が明らかにされていきました。
これは私(喜八)にとっては物凄い衝撃でした。
「革命」いや「革命ごっこ」の筆舌にしがたい愚劣さ醜悪さが、このとき中学1年生の喜八少年に強烈に刷り込まれたのです。
チェ・ゲバラに憧れた幼き「革命思想小学生」は忽然として「反革命思想中学生」になりました。
「『革命』なんてロクなものではない」と・・・。
このときの後遺症でしょうか、いまだに「総括」という言葉は大嫌いです。
連合赤軍の若者たちは「総括」という名の下に「同志」を拷問し処刑していったからです。
また、議論の価値をナイーブに信じることができなくなりました。
若き「革命家」たちは、互いに殺し合いを始める前に、それこそたっぷりと議論をしたことが分かっているからです。
かくして三十数年前に「反革命思想」に帰依した私は、いまでも強固な「反革命思想者」であり続けています。
社会をより良い方向に改革していくことは絶対的に必要であろう。
しかし、それは「革命」というような暴力的・軍事的・冒険的手段によってはならない。
体制内部からの持続的な改善・改革が行われるべきだ(※)。
(※これは多分「保守思想」ということになると思います)
ゲバラ・ポスターやゲバラTシャツは、たしかにえらく格好いいけれど、私は買い求めたり身に着けたりすることはないでしょう。
また、ブログでチェ・ゲバラを称揚《しょうよう》したりすることもないでしょう。
昔々その昔、中学1年生のときに「さよなら、ゲバラ。さよなら、革命」を果たした私ですから・・・。
http://kihachin.net/klog/archives/2008/02/guevara.html