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巨大石油企業がイラクに抱いた夢(Falluja, April 2004 - the book)
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投稿者 gataro 日時 2008 年 1 月 15 日 09:14:16: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://teanotwar.seesaa.net/article/78509747.html から転載。

2008年01月14日
巨大石油企業がイラクに抱いた夢

イラク侵略は石油を目的としたものである。ブッシュ政権と大手メディアは、なぜかしらこの点について箝口令を敷くことに成功しています。『ピーク・オイル』の著者、リンダ・マクウェイグによる分析。

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使命はまだ達成されていない
巨大石油企業がイラクに抱いた夢
2008年1月5日
リンダ・マクウェイグ
ZNet 原文

米国キャピトル・ヒルにある有名なレイバーン・ビルの気持ちのよいホールで、私はデニス・クシニッチに近づいていった。クシニッチはオハイオ州選出、ほっそりとして少年のような外見の議員で、一人で早足に歩いていた。誰も彼に注目していなかった。私は議員補佐や観光客のあいだを縫うように進み、彼に追いつこうとした。7月半ばの暑い日だった。誰も彼に注目していないことに私は驚いていた。デニス・クシニッチという名前はそれほどよく知られてはいないかも知れないが、アメリカ合州国の大統領候補となっており、米国の全国テレビで、民主党内のいわばラルフ・ネーダーのように、議論に参加している。建物を出たところでようやくクシニッチに追いついた。迎えにきた目立たない車に彼が乗り込む直前だった。車の窓をノックしたとき、彼はフロント・シートに座ったところだった。驚いたことに、彼は窓を下げ、いたずらっぽい顔に笑みを浮かべた。インタビューをしたい旨と理由を告げると、午後にインタビューすることにすぐさま彼は合意した。心臓の鼓動が早まった。彼が民主党の大統領候補に選ばれる可能性はないかも知れないが、それでも私にとって米国大統領に関することがらにここまで実際に近づいたのはこれが初めてだった。

デニス・クシニッチを追いかけていたのには理由があった。その理由こそ、彼が民主党の大統領候補指名を得る可能性を、次のミス・ユニバースでミス・サウジアラビアがグランプリを取る可能性がないのと同じくらい小さくしているものだった。クシニッチは、イラクで進行している注目すべき事態について、公然と語っていたのである。すなわち、死と暴力が続く中で、イラクの石油をめぐって驚くべき活動が進められていたことについて。イラク政府は、提案されていたイラク石油新法を採択し実施するよう、米国政府から巨大な圧力を受けていた。この法律が通ると、イラクにある未開発の膨大な石油が外国企業に配られることになる。

西洋のメディアは、一般にこの法律を「石油収入分配法」と呼んでいる。つまり、潜在的に膨大な額になるイラクの石油収入を、互いに闘っているエスニック・グループ----シーア派、スンニ派、クルド人----のあいだでどう配分するかに関わるものと伝えられている。けれども、この法律はそれ以上のことを述べている。イラクの石油部門に対する外国の投資について法的枠組みを決め、巨大多国籍石油企業の支配権を復活させる可能性があるものとなっている。巨大石油企業は、1970年代に中東を席巻した強力な石油ナショナリズムの中で中東地域の支配権を失い、膨大な石油資源は中東諸国政府が握ることになった。最終的に賭かっているのは、イラクの砂の下に眠る石油という黒い金がもたらす巨大な富から利を得るのは誰か、である。イラクに暮らす、日々の食べ物にも事欠くような2500万人のイラク人か、それとも、ビッグ・オイルとして知られる世界で最も裕福な企業の所有者たちか。

デニス・クシニッチは、ビッグ・オイルがイラクの富を手にすると考えており、彼自身の言葉によるとこの「世界史上最大の略奪」に対して人々の注意を引こうとしてきた。クシニッチの考えが的を射ているだろうことを示す鍵の一つは、ビッグ・オイルとの癒着で悪名高いブッシュ政権が、イラク石油法を非常に重視していることである。2007年5月、ディック・チェイニー副大統領がバグダードを訪問し、石油法採択が急務であるというメッセージを送ったことをメディアは伝えた。チェイニーのような大物が戦争で破壊されたバグダードを訪れ、たった一つの法律について採択すべきだと主張するときには、チェイニーがイラクの人々の安寧以外の何かを頭に置いていたのかも知れないと考えてみる価値がある。

しかしながら、クシニッチは、ワシントンでこの点に関する反対の声を喚起することはできなかった。民主党の中でさえ、米国政府がイラクの石油を民営化【私有化】しようとしていることについては無関心をもって迎えられ、ときに敵意を向けられさえした。民主党議員のあいだではこの戦争に対する評判は悪いにもかかわらず、イラクの石油をめぐる悪辣な動機が戦争の背後にあったのではないかと批判することに対して民主党議員は非常に及び腰である。

結局、米英のビッグ・オイルが地上に残された未開発の石油大鉱脈を支配しようと身構えており、17万人の米兵たちがそれを助けるために駐留している中、キャピトル・ヒルにいる監視人とメディアは、それにまったく注目していないようなのである。部屋のど真ん中に膝までどっぷりと油に浸かった象がいるにもかかわらず、レイバーン・ビルのホールを歩くクシニッチと同様、まったく注目を浴びていない。ブッシュ政権はイラクでの災厄をめぐってすべてのものをむちゃくちゃにしているが、一点についてだけは大成功を収めている。ブッシュ政権がイラクの石油をむやみにほしがっていることから、人々の議論をそらすことにはなぜかしら成功したのである。

***

2006年11月の米国議会中間選挙で民主党が劇的な勝利を収めたため、ワシントンには変化の兆しが見られた。古風な選挙箱を通してアメリカ合州国の人々はジョージ・W・ブッシュの忌まわしい戦争はもうたくさんだし、兵士を米国に呼び戻したいというメッセージを送った。翌12月にはイラク研究グループ(ISG)----元国務長官と国防長官、元州知事、元最高裁判事などを含むワシントンの高官たちからなる超党派のパネル----が発表した報告書により圧力はさらに強まった。共和党員(でブッシュ一家の旧友)ジェームズ・A・ベーカー三世と民主党の有力者リー・ハミルトンが共同代表を務めるISGは、それまでMoveOn.orgなどが主張していた大義を勢いづけた。

ISGが米軍の段階的撤退を呼びかけたことは話題になり、ワシントンがシリアとイランの政府と対話を進める機会ともなった。米国政府内部のこれら有力者グループは、イラクにおけるブッシュの大失敗を認め、アメリカ合州国の人々とともに、手に負えない若ブッシュをたしなめようとしたのである。

少なくとも、表面上はそのように見えた。詳しく調べてみると、実は、ISGが提唱していた戦略は、ブッシュ政権とほぼ同じであることが明らかになった。すなわち、十分に強力なイラク軍を創設し、米国の支配下に置かれたイラクという枠組みのもとで治安維持にあたらせること。実際、ISG報告は、イラク軍に米軍兵士を参加させ、イラク警察に米国の訓練官を派遣し、内務省にFBIのエージェントを送り込み、イラク諜報部門にCIAのエージェントを送り込むことで、イラクにおける米国の支配をいっそう拡大する見解を示していた。

中でも恐らく最も意味深いのは、ISGがイラクの石油に対して出した結論である。石油はイラクGNPの70%を占め、したがってイラクの将来をほぼ決定するほど重要なものなので、イラクの主権という概念が意味を持つためには石油の支配が含まれなくてはならない。ISGチームもこの点を認識し、ホワイトハウスに対して、イラクの石油を支配しようとはしていないことを明言すべきであると勧告した。報告書の勧告第23項は、「大統領は、合州国がイラク石油の支配を求めていないと述べなくてはならない」と明言している。

そのように言ったあとで、ISGのメンバーたちは本当の仕事に取りかかり、どうすれば米国政府がイラクの石油を実効支配できるか検討し始める。例えば、報告書の勧告第62項は、外国からの投資を促すためのイラク石油法草案作成に、米国は「技術支援」を提供すべきであると述べる。勧告第63号は、「国際社会と国際エネルギー企業によるイラク石油部門への投資を米国が促し」、「イラクの指導者に国営石油産業を営利企業と見なすよう促す」ことを求めた。これらの勧告は、実質的に、イラク石油産業を再設計して外国からの投資と多国籍エネルギー企業に大きな役割を負わせるよう、米国政府に呼びかけているものである。

ホワイトハウスを運営する共和党政府の政策に対する攻撃となっているどころか、ISG報告書は、米国がイラクを支配することについて民主党も共和党も基本的に同じ考え----イラクの巨大な石油資源を多国籍石油企業に向けて開放すること----を持っていることを明らかにしている。

けれども、この超党派合意はイラクの人々自身の考えとは逆である。昨年6月と7月にワシントンの非営利組織「政策研究所」が行なった世論調査では、イラク人の3分の2近く----シーア派の66%、スンニ派の62%、クルド人の52%----が、イラクの石油部門を海外投資に開放することに反対していることが明らかになった。ワシントン政府内では、イラク人の反対はすでによく知られていた。イラク研究グループ(ISG)に参加したある上級研究員は、匿名を前提に、民主党も共和党も、イラクで多国籍企業が主な役割を果たす必要がある点について合意していると述べた。同時に彼は、そのやり方がイラク内部で政治家にも市民にも人気がないことを認めた。「[これをめぐる]視点は、『神が我々にこの石油をくれた。それはイラクの人々の利益のためだ。外国人がやってきて石油を持ち去ることは望まない』」というものだ、と彼は言う。「イラク人はむちゃくちゃ民族主義的だ。自分たちの産業を近代化するために外国の投資が重要だということさえわかっていない・・・・・・。イラクの政治体制はそこをまだ理解してないんだ」。

このコメントについて何よりも驚くのは、イラクの人々が米国の計画に反対していることを知りながら、なぜかしらイラク人の反対など無意味だと決めつけている点である。イラク人の反対は、尊重すべきものではなく、乗り越えなくてはならないものに過ぎないという考えは、イラクをめぐる米国政府の基本となっている。

デニス・クシニッチはこのような考え方に大きな問題を感じている。「この国には、我々には力があるのだから、他人の石油を盗んでよいという考えがある」。クシニッチが、米国はイラクに対してイラクの石油をどうすべきか口を出す立場にはないと言おうとすると、民主党内でも強固な反対に直面する。昨年春、民主党が一定の進歩がなければ戦争予算を削減するという法案を作成していたとき、クシニッチは民主党議員団の中で、この問題を提起したという。ホワイトハウスが提示した「進歩」の指標の一つは、石油法案の採択だった。石油法はイラクの石油を支配しようとするものだと述べてクシニッチが反対したとき、「有力な民主党議員から、文字通り何度も、怒鳴りつけられた。米国が石油を支配するかも知れないという点については徹底的な否定がなされている。この問題を提起するだけで、指導陣の一部から攻撃を受けた」。

クシニッチの反対を無視して、民主党が多数を占める議会は、石油法の採択を「指標」の一つとする戦争予算法を採択した。同僚の民主党議員が単に石油法の内容に無知なのか、あるいは「石油を民営化しようとしている政府に民主党指導陣の一部が共謀しているのか」どちらかわからないとクシニッチは言う。民主党員の中に、ビッグオイルにとても近い人々がいるのですか? クシニッチは少しためらったあと、それはより大きな問題の一部であり、より大きな問題は、民主党も(共和党と同様)、「資源戦争という破滅的なロジックにはまっていることにある。これは、石油産業と近しいということ以上に大きな問題だと思う。米国の利益は中東地域の石油支配にかかっているという考えがある」と述べた。

クシニッチ批判の根底には、米国のイラク侵略占領の動機は石油にあるという点がワシントンの政治的議論では完全に禁じられていることが横たわっている。クリーン・エネルギーを推進するアドボカシー・グループ「国際オイル・チェンジ」の代表スティーヴ・クレッツマンは、侵略の動機に石油があるかも知れないという点は、民主党議員も、北米の主流派メディアも決して持ち出さなかったと述べる。「国際オイル・チェンジ」は、口先が先行するダウンタウンのロビー風景から遠く離れたワシントン北部の小さな家を事務所としている。「イラクの主産物がレタスとピクルスだったとしても、アメリカ合州国はイラクを侵略していただろうことを信じたまえ、という、宗教ファナティズム、厳格な教条主義が、西洋で蔓延しています」とクレッツマンは言う。クレッツマンは、石油を侵略の動機として指摘した人が超過激派か妄想にとりつかれているかのように見せかけることにブッシュは成功したため、それを指摘しようとする者は主流派にはほとんど一人もいなくなったことに驚いている(これに比するものとして、2004年の大統領選のときに、ジョン・ケリーのベトナム戦争をめぐる印象的な記録が不利に働いたことをあげることができる。ブッシュ自身、国家警備隊にいたためベトナムには行かずにすんだが、これはよくとっても「無許可離隊」に相当し、悪くとると実際の戦争逃亡者に相当する)。

侵略の動機として石油への言及が抹殺される点は重要である。というのも、それによって、イラク戦争は、最悪のイメージで語られる場合でさえ、素朴な大統領が中東に民主主義をもたらそうとして失敗した試みとして描き出され、ほかの主権国家の資源を盗むための帝国主義的企てとしては伝えられないからである。デニス・クシニッチが実質上村八分にあっているという事実も、ここから説明できる。彼は、単に戦争を強く批判しているだけではなく、それ以上のことを言っている。石油が侵略の動機の一つだったと示唆することで、彼はいわば無人地帯に足を踏み込み、同僚の民主党議員のあいだでさえ自分の立場をはずれたものにしているのである。民主党議員の多くは、陰謀論者と言われるのを避けるために、この話題からは距離を置いている。

このタブーの効果は、『議会旬報』の執筆スタッフ、ロバート・トムキンとの会話でも見て取ることができた。イラクの指標の一つとして議会で問題になっていたイラク石油法についてトムキンに訪ねたとき、彼は困惑したように見えた。彼は、米国議会の議論はイラクからどう撤退するかについてのものであり、「複雑な石油法の中身についてではない」と指摘した。私が、石油法はイラク侵略の動機についてより大きな問題を提起しているのではないかと言うと、彼はじりじりし、苛立ちを見せさえした。「おやおや、あなたはこの戦争が石油に関係していると信じているごく少数の一人をつかまえようとしているのか・・・・・・確かに、世界中のデニス・クシニッチたちはそう言うだろう。パリにもそう考えている奴らがいるかも知れない。ほとんどの人が、ブッシュ政権は石油目当てでイラクを侵略したと思っている」。それから、カナダ人の私がデニス・クシニッチのような蛮人やパリにいるもっと悪い輩に騙されないよう、トムキンは、ブッシュがイラクを侵略することに決めたのは、「父親とのサイコドラマが大きく関係している。石油とはほとんど関係ない」と付け足した。

石油がキャピトル・ヒルにいる人々の心から断固として離れたところにあるとしても、町の向こう側では、イラクの新たな石油法について考えるのにさほど抵抗がない人々がいた。実際、ホワイトハウスから角をまがってすぐにあるコネティカット・アベニュー国際税投資センター(ITIC)事務所では、イラクに提案された新たな法律に対して大きな関心と熱情が蔓延していた。ITICがこの法律に関係していたことを考えると、これは驚くべきことではない。

ITICは、自称「非営利の研究教育財団」であるが、とりわけ石油関係を中心とした、企業利益のためのロビー集団といったほうが真実に近い。代表のダン・ウィットはそれには強く抵抗するだろうが。「我々は誰を代表しているのでもない」。風采のよいエネルギッシュなウィットはこう主張する。確かに、ITICは特定の個人や会社を代表しているわけではない。むしろ、ITICは特定の企業グループ、すなわちビッグ・オイルの利益を代弁している。スポンサー(そして理事に名を連ねている者たち)の中には、エクソン、シェヴロン、シェル、BP、コノコフィリップス、ハリバートンの面々がいる。ITICは太い政治的パイプも持っている。名誉共同代表として理事に名を連ねる一人に、ジョージ・P・シュルツ(リチャード・ニクソンとロナルド・レーガン政権で国務長官だった)、連邦準備制度理事会の理事長を務めた影響力の強いポール・ボルカーがいる。さらに、レーガン政権の政府に参画していたウィットが政治的コネを自慢しているのは明らかだった。彼の机にはレーガン大統領と若き日のウィットが一緒に写った写真が置かれており、そこには「ダン・ウィットへ、よろしく、ロナルド、レーガン」と署名があった。壁に掛かった写真の一つは、ウィットとジョージ・ブッシュ父が写っていた。

ホワイトハウスで働き、右派の企業ロビーに関わったのち、ウィットは1993年にITICを設立した。旧ソ連の共和国を海外投資に開放することを促すためだった。ウィットとITICはその後の10年間で速やかに成功を収め、ロシアとカザフスタンの税制と投資政策を、海外投資に有利なものにすることに成功した。2003年3月に米国がイラクを侵略したとき、これまで門戸を閉ざしていた資源豊富な地域をまた一つこじ開ける機会がやってきたようだった。

2003年5月、ブッシュがイラクで「使命は達成された」と宣言した直後に、ウィットは石油と租税の専門家チームを集め、イラクの石油を海外投資に開く計画を立て始めた。英国の巨大石油企業BPの元エコノミストであるブライアン・オコナーが率いたこの10名からなるチームには、コンサル会社トランスボーダーの税金専門家フィリップ・ダニエル、米国石油企業の重役としても働いてきた、イラクの元石油関係官僚ムハマド=アリ・ザイニーも参加していた。

2004年の秋、ITICチームは報告書をまとめ、イラクは自国の独立石油産業を維持してそれを展開するよりも、石油部門を海外投資に開いたほうがよいとの勧告を出した。報告書は、イラクが抱える巨額の債務が独立開発を困難にするだろう、というのも、歳入を債務返済にあて、また、イラク市民へのサービスにもあてなくてはならないから、と強調していた。

最も重要なITICの勧告は、海外投資を惹き付けるためにイラクは「生産共有合意(PSA)」を採用すべしというものだった。報告書を読むと、それは単に最も現実的なアプローチであるように見えるが、実際にはPSAは、大きな議論の的となる政策である。というのも、PSAは、重要な決定権と利益の大部分を、イラク政府にではなく海外の石油企業に与えるものだからである。多くの点で、PSAは1900年代から1960年代まで、ビッグオイルと産油国の間にあった協定を思い起こさせる。この時期、セブン・シスターズと呼ばれる多国籍企業の小コンソーシアムが、世界の石油カルテルを運営し、国際石油市場のあらゆる側面を支配していた。

現在、PSAは一般に、石油埋蔵量が少ないか、埋蔵が確認されていないために交渉力が弱い国で用いられている。石油会社がリスクの大部分を負い、それに応じて利益の多くも石油会社が手にする。しかしながら、イラクはPSAの候補としては想像もできないような地域である。イラクには膨大な石油資源の存在が知られており、さらに高度な石油技師がいる(ただしこれら専門家の多くがイラクの暴力を逃れて外国で難民生活を送っている)。

色々な点を考えると、イラクは1970年代に全面的に採用した国有化モデルを追求するほうが論理的であるように思われる。石油産業をモニターする英国の草の根組織「プラットフォーム」の共同代表グレッグ・マティットは、世界の主要産油国の基本は、国有モデルのもとで公共企業が石油産業を担うというものであると述べる。「世界でわかっている石油埋蔵量の4分の3を占める産油国トップ7のうち、PSAに署名したのは第7位のロシアだけだ」とマティットは言う。彼はさらに、ロシアの三つのPSAはロシア共和国であまりに不人気なため、ロシア政府は協定の再交渉をしようとしていると述べる。

マティットによると、PSAを選ぶか国有化モデルを選ぶかは、イラクの財政に極めて大きな影響を及ぼす。彼は、イラクは債務のために石油産業を独自に開発することが難しいというウィットの議論をあざ笑い、イラクの巨大な石油資源を担保に使えば、必要な資金はいくらでも借りることができると指摘する。マティットは、イラクが石油部門に投資した資金はかならず将来十分に期待された成果をあげることになると述べる。マティットと英国の石油専門家イアン・ラトリッジは、国有モデルではなくPSAを用いると、イラクは結局1940億ドルを失うことになるだろうと計算している。しかもそれは、イラクにある60の開発されていない油田のうち、優先開発に割り当てられた12の油田だけについて計算したものである。マティットは、この計算は一バレルあたり40ドルという価格に基づいていると述べる(この記事が印刷に回っている段階の石油価格の約半分である)。石油価格が高い状態が続き、さらに多くの油田を考慮するならば、イラクの歳入におけるPSAによる損失は今後数十年で数千億ドルにのぼるだろうとマティットは語る。「現在のイラクの国内総生産の6倍に相当する可能性がある」。

PSAがビッグ・オイルにとってとりわけ有利であることを指摘しているのはマティットだけではない。影響力の強いワシントンのシンクタンク戦略国際研究センターの上級石油アナリスト、ロバート・エーベルも、同じ見解を表明している。イラクが自らの将来を自らコントロールできるよう求めて活動しているマティットとちがい、エーベルは石油企業の元重役で、石油産業と政府、議員たちと密接に協力しながら米国の戦略的利益を追求している立場にある。それにもかかわらず、優しげな声で話す上品そうなエーベルも、PSAがイラクの人のためというよりも多国籍企業のためであることを認めている。「自分が石油企業にいたら、PSAこそが望むものだ」と彼は、設備の整った大きな事務所で行なったインタビューで語った。「イラクに住んでいるならば、石油収入の大部分がイラクに入ることを望むだろう。PSAのもとではそうはならない」。

PSAのもとでどのような条件になるかは様々であるが、脆弱なイラク政府にとって、巨大多国籍石油企業との交渉は極めて不利な立場にあるだろう。実際、通常30年にわたり続くPSAの条件を、イラク政府は米国の軍事占領下で行うことになる。

それにもかかわらず、ウィットとITICは、PSAこそイラクの人々に最も大きな利益をもたらすものだと言い張る。ウィットは、ITICは、企業スポンサーと同じくらいイラクの人々を助けることに関心があるとさえほのめかす。彼は、ITICは石油企業スポンサーとイラクの人々およびイラク政府を「クライアント」とする「二重忠誠」の立場にあると語る。けれども、いったいどうすれば、イラクがITICの「クライアント」だと言えるのかははっきりしない。イラクはITICの助言に対して何も支払っていない。そもそもどうして支払うはずがあるだろう? ITICのスポンサーは、自分たちに最も有利なようにイラクの石油を採掘しようと狙う企業である。それらの企業は、自分たちにとって有利なかたちで石油を開発したいイラクの人々の利益とは完全に異なる利害関心を持っているはずである。ITICが、「クライアント」であるイラクに有益なサービスを提供していると示唆するのは、狐が「クライアント」である鶏小屋に有益なサービス提供を申し出ていると言い張るのに似ている。

さらに皮肉なのは、ITICが慈善組織として課税控除対象となっていることである。ウィットは、企業スポンサーは、利益の見返りを期待することなしに、好きな額を寄付することができると述べる(「5000ドルの企業もあれば5万ドルの企業もある」)。本当に見返りはないのだろうか? ITICは、石油企業すべての利益になるような石油開発の法的枠組みをイラクに適用しようとしている。ビッグ・オイルという集団の利益を追求しているのであって、エクソンやBPといった個別企業の利益を追求しているのではないと言っても、その活動は各企業にとって非常に有益である。石油企業がITICへの「寄付」によって慈善事業関係の領収書をもらえるという事実も、狐が鶏小屋の警備サービスで課税免除付領収書をもらえるのと同じように、おいしい。

イラクの人々のことを考えていると言っている割には、ITICとその企業スポンサーは、イラクの巨大な債務を利用して自分たちの利益になるようにイラクの石油部門を開放させようとすることに何ら悩みは感じていないらしい。ITIC報告書は、海外からの投資を用いることで「政府はほかにどうしても必要な様々なプログラムの予算を石油開発に費やす必要がなくなる」と論ずる。もちろん、ITICのスポンサーになっている石油産業が西洋諸国政府への巨大な影響力を行使して、イラクの財政が置かれた苦境を軽減するために債務軽減を働きかけることもできるのだが。

西洋諸国には、イラクの債務免除を行う大きな理由がある。債務の大部分はイラクが独裁政権下にあったときのものなのだから。

債務を免除すれば、イラクが民主化するためには大きな助けになる----イラク民主化は、米国の「目標」だったはずである。けれども、西洋の貸付機関の中核を担う国際通貨基金(IMF)は、西洋企業の利益、とりわけ石油企業の利益にとって有利な法律がイラクでできた場合にのみ、債務を軽減したいと述べている。

実際、結局のところ米国政府の支配下にあるIMFは、重債務諸国に対する影響力を行使して、それらの国の経済を西洋企業の利益にかなうように再設計することで悪名を馳せている。IMFはイラクで手段を選ばない行動に出ている。2005年12月にIMFと合意した「借入予約協定」で、イラク政府は「石油部門を完全な営利企業形態にすること、・・・・・・新憲法と国際的な成功事例にのっとった石油法案を新たに起草し、石油部門の財政制度を決定するとともに、石油部門への私企業からの投資を行う枠組みを作ること」に合意している。イラク政府が債務軽減のために署名を余儀なくされたこの協定の中で、IMFは、石油関係の政策は「最も緊急に」必要とされる改革の一つであるとし、2006年12月31日を実施期限とした。

ダン・ウィットは、IMFがイラクに対してとった強硬な態度を嬉々として利用してITICの影響力をさらに強め、イラクにおけるビッグ・オイルの計画を推進している。2005年1月、ベイルートでイラク政府関係者とIMFおよび世銀が会談したとき、その会議の直後にITICはイラク政府関係者との独自会議を設定した。「飛行機代などを節約することができた」とウィットは説明する。どうやら、多国籍石油企業がスポンサーとなっている組織にとって、飛行機代の節約は重要なポイントだと言いたいらしい。もちろん、もう一つの利点は、参加したイラク政府関係者の目に、ITICとIMFが協力しているように映り、それによって、問題含みのPSAを含む、イラク石油部門の開放へ向けたITICのキャンペーンの影響力を強めることができることにある。

米英が新たな石油開発体制について望んでいることをめぐってイラク内部で誤解がないよう、米国政府は2006年4月、イラクに「石油顧問」を派遣すると発表した。この「顧問」は実際には「顧問団」で、米国の巨大コンサルティング企業ベアリングポイント社との契約のもとで活動している。米国国務省発表によると、ベアリングポイント社は、「海外投資を含め、石油を始めとするエネルギーに関係する法律の枠組みを決めるにあたって法的・制度的助言を与える」役割を負っている。この「石油顧問」はバグダードの米国大使館職員、米国商務省や資源エネルギー省の弁護士と協力して働いている。こうした米国の口出しはすべて、イラクの人々がイラクの法律を構築する際の「支援」であるという。

イラク政府もすぐさま行動に出た。2006年7月26日、米国の「石油顧問」が指名されてからわずか4カ月のうちに、イラク石油相フセイン・アル=シャフリスタニがワシントンを訪問して米国資源エネルギー省の会合に参加し、機密扱いの新石油法草案を多国籍石油企業9社の重役に提示したのである。

しかしながら、新法のもとでの収入の分配をめぐってイラクの様々な政党派閥のあいだに大きな緊張が生まれたため、イラクはIMFの期限を守らなかった。一方、イラク石油労働者組合がイラクの石油を民営化【私有化】することに強く反対し、スンニ派、シーア派、クルド人の政治家たちも反対の声を強めていった。米国政府が新たに圧力を強めたため、イラク内閣は2007年2月に石油法を承認したが、翌月、イラク議会に法案を提出すると、強硬な反対にあった。議員たちが反対した項目の一つは、連邦石油・ガス評議会の設置である。この評議会には外国の石油専門家が参加し、海外石油企業との長期的協定に署名する権限を有するものだった。

2007年5月に断固たる態度のディック・チェイニーがバグダードを訪問しても、イラク議員に法案を採択させるには至らなかった。8月半ばには、419人の著名なイラク人石油専門家やエコノミスト、知識人が、請願書に署名し、新石油法に対して大きな憂慮を表明した。9月半ば、クルド人がイラク政府を無視して独自の石油法を採択するに至って、少なくとも短期的には、イラクの新石油法は挫折した。

爆撃で破壊され、多くの人々が殺され、政府がほとんど機能していない状況にあってさえ、イラクの人々は、イラクの石油を何らかのかたちで支配しようという米国の計画に対して驚くほどの抵抗を示している。米国がイラクの石油を支配するという任務が達成されるまで、米軍兵士の撤退を想像することは難しい。

***

米国連邦準備制度理事会の理事長を長く務め、それにより世界経済に対して神のような権力を発揮し、尊敬を集めているアラン・グリーンスパンは、一般に、不可思議、夢想的、聡明と言う形容詞で表わされる。2007年秋、彼が、長いこと待たれていた回想録を出版したことで、もう一つの形容詞、「いかさま」が付け加わった。

少なくとも、グリーンスパンの大冊「激動の時代」を読んだ者の中には、彼が「いかさま」であるとの見解を持つ者がいただろう。というのも、著書の中で彼は、「誰もが知っていること、すなわち、イラク戦争が主として石油のためであることを認めるのが政治的に不都合であることは悲しい」と書いているのである。彼が議員秘書の仕事に応募する立場にないことは幸いだった。

実は、イラク侵略の動機に石油があることを認めた最初の主流派コメンテーターは、グリーンスパンではない。2003年1月、ニューヨーク・タイムズの外交問題コラムニスト、トマス・フリードマンが、コラムの中で石油の問題を提起し、「簡単に言うとイエスである。イラクで我々が戦争を起こすとき、石油の問題がその一部にあることは確実である。それを否定するのは笑止の沙汰だ」と述べている(奇妙なことに、フリードマンは同じコラムの中で、次のようにも書いている。「石油のための戦争に、個人的には問題はない。エネルギー節約のまじめなプログラムも同時に実施するならば」)。

実際、石油のために戦争するという点については、それが十分有効であると見なされる限り、米国はとくに遠慮なく認めてきた。たとえば、米国のエネルギー・アクセスを守ることは決定的な国家利益であり、国際法上の根拠はまったくないにもかかわらず、米国政府は軍事介入を合法化する大義と見なしてきたのである。1970年のアラブ諸国による石油輸出封鎖のあと、ジミー・カーターは次のようなカーター・ドクトリンを宣言した。「ペルシャ湾岸地域を支配しようとする外国勢力は、それがどこであれ、米国の決定的利益に対する攻撃であると見なし、軍事力を含む必要なあらゆる手段で撃退する」。

これについて、仮に、サダム・フセインのような、どうふるまうかわからない独裁者が湾岸地域の石油に対する米国のアクセスを危機に陥れようとしたらどうなるだろう? 1990年代半ば、こうしたシナリオを考慮して、ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、ポール・ウォルフォウィッツなどの著名な共和党員たちが、当時のビル・クリントン大統領に公開状を出し、「世界への石油供給のかなり」を含む米国の決定的な国家利益を守るためにサダム政権を転覆するよう求めていた。

サダムが1990年代後半から、米国企業ではなくロシア、フランス、中国の諸企業と石油開発交渉を進めていたという事実も、数年後に共和党が政権を握ったときに心配の種となっていたことは確かである。ニューヨークの「グローバル・ポリシー・フォーラム」のジェームズ・ポールが指摘するように、「それら他の企業はすべて、大きな収穫を手にする。石油産業の全将来を決めるようなものだ」。ビッグ・オイルは巨大な利益を上げてきたが、将来の利益は古い油田にかわる新たな油田を見つけることにかかっている。イラクは新油田を開発するために、ほかにないほど重要な地域だった。

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イラクの石油にアクセスすること(そして米国石油企業にとって問題となっている数十億ドルもの利益)に加え、石油企業と米国政府には、石油に関してさらに大きな目標があったのかもしれない。イラクはこれまで、産油国の中で重要な指導的地位を占めており、石油世界を西洋に有利なかたちで再編するための変化をもたらす触媒と見なされている。

ISGへの助言も行っていた米国の石油専門家エイミー・ジャッフェは、過去40年間に産油国の石油ナショナリズムを推進するにあたってイラクが果たした指導的役割を強調し、イラクが石油輸出国機構(OPEC)の創設メンバーだったこと、油田を国有化した最初の国の一つだったことを指摘する。「過去30年間、[イラクの]石油輸出政策は、国際的な石油供給と価格設定において決定的に重要な要因だった」とジャッフェは言う。彼女は、ライス大学のジェームズ・A・ベーカー三世研究所に勤務している。

イラクの闘争性とほかの産油国に対する影響力は、西洋の憂慮するところだった。グレッグ・マティットによると、西洋諸国は、産油諸国から民族主義的な抱負を取り去りたいと望んでいたのだから。「エクソンやシェルといった巨大石油企業と米国政府にとって大きな問題は、国家資源、とりわけ石油について、主権を主張する声が強まってきたことにある」。

確かに、石油ナショナリズムとOPECの勃興により、ビッグ・オイルは世界石油市場の全面支配からの後退を余儀なくされた。巨大石油企業はいまでも産油国との契約のもとで石油開発と生産を行っているが、石油の所有者ではなく開発者となっており、ずっとその立場を逆転させようと狙ってきた。

ジャッフェは将来的にイラクが果たすだろう重要な役割を指摘する。彼女は、イラクがふたたび「OPEC諸国と共同で活動する指導者となり、石油資源への将来の投資を制限し、石油生産を制限して石油価格を上げる」ことの危険性を強調する。一方、イラクが自ら海外投資に石油部門を開放すれば、積極的な役割を果たし、「世界石油市場により多くの競争をもたらし、そのうちエネルギー価格を下げることになる」だろうと述べる。それは世界経済にとって極めて重要である、と。

もちろん、OPECとエネルギー高価格時代にビッグ・オイルが繁栄してきたのは明らかである。それにもかかわらず、ワシントンと石油企業が、世界経済の生命線である世界の石油体制を、中東の粗悪な独裁者の言いなりになっている状態から、ふたたび米国の支配下に置きたがっていつ点についても、疑問の余地はない。

したがって、ジャッフェのコメントが示すように、イラクに賭かっているのは、何十億ドルもの石油収入だけではなく、世界経済の健康を最終的に決定する商品をめぐる支配権なのである。むろん、イラク侵略を計画した者たちの頭の中にこうしたことがあったと主張するのは、世界中のデニス・クシニッチやアラン・グリーンスパンのような考え以上に妄想に取り憑かれたものと言われるのだろうが。

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リンダ・マクウェイグはジャーナリストで、「It's the Crude, Dude」の著者(日本語訳は『ピーク・オイル』・作品社)。

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投稿者:益岡

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